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『稲盛和夫一日一言』 10月11日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 10月11日(水)は、「みんなのために」です。

ポイント:「みんなのために」という思いから事業計画を立てたときには、仕事はうまくいく。自分だけ儲けようという思いならば、なかなかうまくはいかない。

 1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす ー素晴らしい人生をおくるためにー』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、「無私の心が人を動かす」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人を動かす原動力は、ただ一つ「公平無私」ということです。無私というのは、自分の利益を図る心がない、あるいは自分の好みや情実で判断をしないということです。

 無私の心を持っているリーダーならば、部下はついていきます。逆に、自己中心的で私欲がチラチラ見える人には、嫌悪感が先立ち、ついていきかねるはずです。

 明治維新の立役者である西郷隆盛は、「金もいらない、名もいらない、命もいらないという奴ほど、始末に負えないものはない。しかし、その始末に負えない者でなければ、国家の大事を任せるわけにはいかない」という言葉を残しています。つまり、私欲がない者でなければ、高い地位につけるわけにはいかない、と言っているわけです。

 リーダーの指示ひとつで、部下の士気も上がれば、部下が苦しむことにもなります。それなのに、自分の都合によって指示をしたり、ものごとを決めたり、感情的になっていたりでは誰もついてきません。

 リーダーは、まず自らの立つべき位置を明確にすべきです。そして、私利私欲から脱却した、自分の集団のため、みんなのために、というような大義に自らの座標軸を置かなければなりません。(要約)

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)第六章「覚悟」の中で、西郷隆盛の言葉について次のように解説されています。

【遺訓三十条】
 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、邯鄲(かんたん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
(中略) 道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬ也。

訳】
 命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬというような人は処理に困るものである。このような手に負えない大人物でなければ、困難を一緒に分かち合い、国家の大きな仕事を大成することなどできない。
 そして、真に道を行う人でなければ、そのような精神は出ないものだ。

 その人に欲があれば、お金や官位(地位・ポスト)をあげようといえば簡単に動かせますが、欲のない人は損得勘定では動きません。では、欲で動かない人は何で動くかといえば、誠、仁、義といったもので動きます。

 誰もが、自分と一緒に働く人には、ぜひこうした信頼に値する人であってほしいと願うものですが、しかし実際には、なかなかそうした人物に出会うことがありません。

 京セラフィロソフィには、「仲間のために尽くす」という項があります。これは、名誉会長の「世のため人のために尽くすことが、人間として最高の行為である」という考え方が反映されたものです。

 「みんなのために」「世のため人のために」尽くすということは、美しい心が行うものであり、それを行うことによって、その人の心はさらに美しく、かつ純粋になっていきます。つまり、そうした行為、思いは自らの人間性を高め、人格を磨くためのたいへん大事な行為となるわけです。

 そうした行為を、仏教では「利他行を積む」といいます。「みんなのために」「仲間のために」というと、「世のため人のため」にくらべて対象範囲が狭い利他行ということにはなりますが、それでも周囲の協力が得られて、物事はきっとうまくいくはずです。
 
 「我欲」を封印して、「みんなのために」「仲間のために」死力を尽くす。そのことが自らの「心を高める」ことにつながっていくのです。


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