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『稲盛和夫一日一言』 2月21日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月21日(水)は、「両極端を併せ持つ」です。

ポイント:慎重さと大胆さの両方を兼ね備えた、バランスの取れた人間性を持つことが必要。そして、それらを局面によって正常に使い分けられる人間でなければならない。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「大胆さと細心さを合わせ持つ」の項で、両極端を合わせ持ち、正常に使い分けることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 大胆さと細心さは相矛盾するものですが、この両極端を合わせ持つことによって、初めて完全な仕事ができます。
 
 この両極端を合わせ持つということは、「中庸」を言うのではありません。ちょうど綾(あや)を織りなしている糸のような状態を言います。縦糸が大胆さなら横糸は細心さというように、相反するものが交互に出てくる。
 大胆さによって仕事をダイナミックに進めることができると同時に、細心さによって失敗を防ぐことができます。

 最初から大胆さと細心さを合わせ持つことは難しいことですが、仕事を通じていろいろな場面で常に心がけることによって、この両極端を兼ね備えることができるようになります。

 私自身、相矛盾したものを持っています。
 「この前あれほど大胆だったのに、今こうしてビビッている自分がいる。果たしてどっちが本当の自分なのだろう」と悩んだことが何回もあります。
 日ごろは部下を気遣っていながら、あるときは「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」自分がいた。「そのくらいの失敗で部下をクビにしなくてもいいではないか」と思う私と、「いや、小さいことかもしれないが、このまま放っておいたのでは組織全体が死んでしまう」と断罪を決断する非情な私、どちらが本当の私なのだろう、と思ったものです。

 悩んでもなかなか結論が出ず、二重人格者とも思える自分自身を次第に信用できなくなってくる。また、そのような悩みを社員に言えば、経営者としての信用を失いますから、悶々と一人で悩んでいました。
 そんなときに出会ったのが、米国の作家、F.S.フィッツジェラルドの「第一級の知性とは、両極端の考え方を同時に合わせ持ち、かつ、それらを正常に機能させることのできる人間である」という言葉でした。

 大胆であるべきところでは大胆に、細心でなければならないところでは細心であるべきなのです。つまり、両極端を合わせ持ち、かつその両極端を正常に機能させなければならないということです。(要約)

 また、同著「バランスのとれた人間性を備える」の項で、合理性と人間性を合わせ持つことの大切さについて、名誉会長は次のように説かれています。

 バランスのとれた人間とは、何事に対しても常に「なぜ」という疑問を持ち、それを論理的に徹底して追求し、解明していく合理的な姿勢と、誰からも親しまれる円満な人間性を合わせ持つ人のことをいいます。

 いくら分析力に優れ、合理的な行動を貫くスマートさを備えていても、それだけでは、周りの人々の協力を得ることはできないでしょうし、逆にみんなからいい人だと言われるだけでは、仕事を確実に進めていくことはできません。
 
 私たちが素晴らしい仕事をしていくためには、科学者としての合理性とともに、「この人のためなら」と思わせるような人徳、人間性を兼ね備えていなければならないのです。(要約)

 今までの自分を振り返ってみると、慎重にならなければならないところでうまく考えがまとまらないまま「エイヤッ」と変に勢いよく踏み出してしまったり、逆にここ一番というところで躊躇して、次の一歩を踏み出せずに固まってしまった等々、今考えても後悔しかない場面ばかりが浮かんできます。

 誰もがオールマイティな人間になれるはずもありませんが、今日の一言は、「あらゆる物事に対してバランスのとれた対応をとることができるよう、日々人間性を高めていく努力を怠ってはなりませんよ」という自分への戒めではないかと受け止めています。


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