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『稲盛和夫一日一言』 5月25日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5月25日(土)は、「失敗から学ぶ」です。

ポイント:人生を強く生きていくためには、自分自身を客観的に見る素直さを持ち、過去の失敗から学ぼうとする謙虚な心を持って、一生懸命に努力することが必要。

 2001年発刊の『稲盛和夫の哲学 人は何のために生きるのか』(稲盛和夫著 PHP研究所)「人生の試練について」の章で、試練にいかに対処するかによって人生は大きく変化するとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人生とは、「運命」と「因果応報の法則」が織りなすもので、よいときもあれば、悪いときもあります。お釈迦様はそのことを「諸行無常(しょぎょうむじょう)」と説かれました。
 「無常なるがゆえに苦なり」、つまり人生は常ならざるがゆえに苦の連続だと話されています。

 私は、波瀾万丈の人生とは、よいときも悪いときも、創造主が私たちに与えてくれた「試練」だと考えています。つまり、幸運に恵まれることも、災難に遭うことも、等しく試練なのです。その試練にいかに対処するかによって、人生はさらに大きく変化していくのです。

 例えば、成功という試練に遭ったとき、幸運と成功をもたらしたのは自分の力であり、もっと成功しても当然だ、それに見合う報酬も地位も名声も得たい、と自分の欲望をさらに肥大化させていく人は、成功に酔うと同時に謙虚さを忘れ、傲慢になっていきます。
 そうすると、今までの幸運、成功を支えてきた「すべてに善かれ」という宇宙の意志と同調しなくなります。つまり、自分の心が変節することによって、衰退と没落の道を転げ落ちていくわけです。

 一方、謙虚で地味な努力を続けて幸運と成功を手に入れ、その思わぬ成功に対して心から感謝をする人。また、その幸運、成功を自分にもたらしてくれた周囲の人たちの助けに心から感謝し、その成果を自分が独り占めすることに畏れを抱いて、広く人々と分かち合い、また社会と分かち合う人。そして成功を得たあとも謙虚な心と地味な努力を忘れず、さらに努力を続けていく人。成功という人生の試練にそのように対処していく人は、さらなる幸運と成功を手中に収め、それを長く保持できるはずです。(要約)

 1978年発刊の『運命と立命』(安岡正篤著 関西師友協会)の中で、「道を忘れた技術や学問は人間を不幸にする」として、安岡正篤さんは次のように述べられています。

 「科学だ、技術だ、繁栄だと言っても、さらには政治や経済、あるいは学問だと言っても、長い目で見ると、実に頼りないものであり、はかないものである。
 それはそのなかに存在する大事な根底を忘れているからである。根底を把握しない技術や学問は人間を不幸にするだけである。それに翻弄されて、いわゆる運命にもてあそばれて終わるだけである。しかし冷静に観察すれば、その奥にもっともっと大事な、厳粛な理法というものが、道というものがあるはずである。この理法を学び、道を行わなければ、我々は何物をも頼むことはできない」

  •  「真の学問の目的は、現象の根底であり、本質である道を学ぶことである。心学を学ぶことである。言い換えればどこまでも修己治人(しゅうこちじん)の学問であります」(要約)

 名誉会長は、この言葉を引用して、次のように説かれています。
 
 これは、人々の慢心を見抜き、警告されたものだと私は思います。
 「栄枯盛衰は世の習い」といいますが、謙虚になったり慢心したりということの繰り返しは至るところで起こっています。
 その状況を脱するには、人々が謙虚に真面目になれるかどうかにかかっているように私は思います。
(要約)

 TVドラマでは、登場人物が「今までいいことなんか何もなかった・・・」とつぶやく場面が出てきたりしますが、一生という長いスパンで見れば、「よいときも悪いときもある」というのが事実だと思います。

 ですから、過去の失敗は試練のひとつであり、成功さえも試練のひとつであるとすれば、「少しくらい失敗してもいいんだ。起こってしまったことはくよくよしても始まらない。誰の人生にも失敗する自由は与えられているのだから、命までとられなくてラッキー!と受け取って、謙虚な姿勢を崩さずさらに努力していこうと前を向く。そうした姿勢を持つようにすることこそが大事なのではないでしょうか。


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