『マズルカ Mazurkas No 22ーNo 41』フレデリック・ショパン

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フレデリック・ショパンのマズルカはポーランド各地方の民俗舞踊に基づいて作曲された50曲以上の作品群。

概要
ショパンは楽曲の中で、主にマズル・オベレク・クヤヴィヤクの3つの踊りの型を組み合わせて作曲している[1][注釈 1]。付点リズム・強調拍・三連符という元来の特徴をもちながら、転調や和声進行、マジャール音階・教会旋法の使用などに、作曲者の斬新な取り組みが随所に確認でき、彼の作曲語法を知る上で不可欠の素材となっている。また、元々マズルカはバグパイプの伴奏のうえで踊られたという歴史があり、このバグパイプは主音と属音の5度を保続させることができるが、それはショパンのマズルカの伴奏音型にも表れている[1]。

ショパンは作品を出版する際に必ず3つから4つのセットで出版しており、これらのセットをまとめて演奏することを意図していたのではないかと思われている

作品番号一覧

Op.41
1 マズルカ 第26番 嬰ハ短調[注釈 2]
2 マズルカ 第27番 ホ短調[注釈 3]
3 マズルカ 第28番 ロ長調[注釈 4]
4 マズルカ 第29番 変イ長調[注釈 5]

フレデリック・ショパンのマズルカ作品41は4曲の作品からなる曲集。曲順は版によって数え方が違うがここではオリジナルとされる方の曲順に従う。作曲はホ短調の第2曲のみ1838年にマジョルカ島で、残りは1839年にノアンで行われ、その翌年に出版された。ショパンの親友で詩人のステファン・ヴィトフィツキに献呈された。

Op.50
1 マズルカ 第30番 ト長調
2 マズルカ 第31番 変イ長調
3 マズルカ 第32番 嬰ハ短調

マズルカ 作品50は、フレデリック・ショパンが1842年に作曲・出版した全3曲の作品からなる曲集。献呈先はレオン・シュミトゥコフスキ。作曲経験も円熟の境地に達し、実験音楽と高度な芸術性とが融合している。

Op.56
1 マズルカ 第33番 ロ長調
2 マズルカ 第34番 ハ長調
3 マズルカ 第35番 ハ短調

フレデリック・ショパンのマズルカ作品56は3曲の作品からなる曲集。1843年に作曲・出版された。献呈先は、ショパンの友人で弟子の1人でもあったキャサリン・マバリー。円熟を極めたあとの作曲者は、身体・精神的に不安定になってゆき、徐々に作品数が少なくなり、作風は構築的なものへと変化していった。その中に書かれたこの作品は、楽想が枯渇し、霊感に欠けるとしばしば批判された。

Op.59
1 マズルカ 第36番 イ短調
2 マズルカ 第37番 変イ長調
3 マズルカ 第38番 嬰ヘ短調

フレデリック・ショパンのマズルカ作品59は1845年に作曲された3つのマズルカ作品。ジョルジュ・サンドのノアンの館で作曲された[1]。死の4年前という状況の中で、あからさまな民俗臭や、洗練された形式美にもそれぞれ距離を置いた陰りのある曲想で、作者の個性を反映している。献呈先はなし。

Op.63
1 マズルカ 第39番 ロ長調
2 マズルカ 第40番 ヘ短調
3 マズルカ 第41番 嬰ハ短調

マズルカ 作品63は、フレデリック・ショパンが1846年に作曲した作品。翌年出版された。献呈先はロール・チョスノフスカ夫人。全3曲。作曲者死の3年前という晩年の作で、落ち着いた叙情的な曲想が全曲を支配している。

脚注

注釈
1^ それぞれの舞曲の型の詳細についてはマズルカを参照。
2^ ヘンレ版ではOp.41-4 第29番。
3^ ヘンレ版ではOp.41-1 第26番。
4^ ヘンレ版ではOp.41-2 第27番。
5^ ヘンレ版ではOp.41-3 第28番。

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