マガジンのカバー画像

ショパンの部屋

40
運営しているクリエイター

2021年10月の記事一覧

再生

『ポロネーズ Polonaises No8~No 16』 フレデリック・ショパン

ショパンのポロネーズは、上記7曲が代表、と言われていますが、そのほかにも隠れた名曲として人気のあるポロネーズがあります。その一つがこの「ポロネーズ第11番ト短調(遺作)」です。 この曲はショパンが7歳のころに作られたピアノ曲で、今のところではこの曲が、ショパンが作曲した最初の曲と言われています。しかし7歳の時にすでにポロネーズを作曲していたとは恐るべき才能ですね。この「ポロネーズト短調(遺作)」はショパンの隠れた名曲として人気も高く、多くのピアニストに愛されています。 「ポロネーズト短調(遺作)」は他のポロネーズにはない哀愁が漂う感じの曲になっており、しかし難易度としてはそう高くないので興味があったら是非チャレンジしてみてください。 ポロネーズ第8番ニ短調作品71-1(遺作) ショパンのポロネーズは7番まで、番号が付けられてショパンの生前に発表されました。しかしそれ以降も友人のフォンタナによって番号がつけられ、1955年に遺作として出版されています。この「ポロネーズ第8番ニ短調作品71-1(遺作)」は上記の11番と同じく、隠れた名曲としてピアニストたちから人気を得ています。 この曲が作曲されたのは1825年か27年と言われています。ショパンがまだ20歳になる前、15歳か17歳に作られた作品なのですね。 哀愁ただよう美しい旋律が印象的です。速く弾くことを要求はされますが音取りはそう難しくないでしょう。難易度としては中級から上級のレベルでしょうか。右手のメロディーをいかに、流れるように美しく響かせるかが重要になります。 ショパンのポロネーズまとめ ショパン ポロネーズ こちらでは、ショパンのポロネーズについて、代表作7曲とその他人気のある2曲について解説、難易度などについて触れています。また、ポロネーズの意味や由来についてもまとめています。 ショパンのポロネーズはワルツなどと並んでショパンの代表曲集として扱われています。独特のリズムですが一度掴んでしまうと楽になると思います。難易度は曲ごとにそれぞれですが、英雄ポロネーズや軍隊ポロネーズなど、演奏会などで颯爽と弾きこなせたらきっとかっこいいですよね。 FLIPPER'S 「ショパンの「ポロネーズ」主要7曲を解説!【意味/曲/難易度】」 より引用

再生

『ポロネーズ Polonaises No 1~No 7』 フレデリック・ショパン

ショパン:ポロネーズ Frederic Chopin : Polonaises ポロネーズはその名の通り、ポーランドで古くから踊られている三拍子の舞踊曲です。鍵盤楽器曲としてのポロネーズにも相当長い歴史があり、J.S.バッハ以前の時代から存在しています。ショパンの時代には舞踏としてのポロネーズはかなり廃れていたのですが、やはり子供の頃からポロネーズには親しんでいたようで、彼の最初の作曲もポロネーズであったと伝えられています。 第1番 作品26-1 appassionato(情熱的に)と指示された激烈な序奏から開始され、この曲を世に問うにあたってのショパンの並々ならぬ決意を感じさせる始まり方になっています。三部形式になっており、劇的な嬰ハ短調の主部と、柔らかな雰囲気の支配する変ニ長調の中間部の対比が鮮やかです。中間部において左手にメロディが移りますが、この旋律線が練習曲Op.10-7に酷似しています。ただ、各パートに満遍なくリピートが入っており、ややもすると冗長さを感じさせます。 第2番 作品26-2 第1番とセットで出版されています。第1番がメロディ+ポロネーズ風伴奏でシンプルに作られているのと比較して、こちらは密集和音を多様して重苦しさを演出するなど作曲上にさまざまな工夫が見られます。構成的には、第1番と同じ三部形式ですがこちらの方が規模が大きく、音楽的にも充実した作品になっています。 第3番 作品40-1 「軍隊ポロネーズ」として大変に有名な曲です。構成的にはやはり三部形式でモチーフや和声が極端に単純化されており、威勢の良さだけが前面に押し出される格好になっています。大変に演奏効果の高い書法になっているのに、単一の曲として見た場合は少々内容が希薄な作品という評価になってしまいます。したがって40-2と組み合わせて出版されたところに意味合いを見いだす必要があります。 第4番 作品40-2 第3番とセットで出版された曲です。低域で奏される旋律がとても陰鬱ですが、奥に秘められた複雑な感情が表現された、味わい深い名曲です。第3番の約2倍の規模を持っていますし、トリオには調性的に複雑な様相が見られ、音楽的に充実した曲になっています。作品40でショパンが訴えたかったものは「軍隊ポロネーズ」ではなく、こちらの方だということを強く意識しておく必要があります。第3番が故国ポーランドの栄光を象徴し、第4番が悲劇的な運命を象徴しているのでしょうか。そのように様々な推測ができ、この2曲をセットにして出版したショパンの意図に想像を膨らませて聴きたい曲です。 第5番 作品44 一般的にはマイナーな曲ですが、隠れた名曲としてショパン好きの間では知られています。三部形式で、ポロネーズの間にマズルカが挿入されるという非常に凝ったことをしています。つまり、ポーランドの舞踊曲2つを合体させてしまったわけで、「民族舞踊のリズムを用いて自らの民族意識と美意識を芸術として表現する」というショパンの強烈な自意識が結晶化した曲と言えます。このようなショパンの思い入れはそのまま演奏難度に反映しており、1~4番と比較して技巧的に格段に高度なものが要求されます。また、マズルカ部は拍子の表現が難しく、旋律も終止を避けて先へ先へと続くように作られているため、焦点の合わせにくい内容になっています。これにより、弾く方も聴く方も掴み所の無い感覚に陥りやすい曲となっています(それが汲めども尽きぬ幻想性を感じさせてくれる要因にもなるわけですが)。あとこの曲は強弱指示が異様に少なく、何も考えないで弾いてしまうと延々フォルテやピアノのままで続いたりします。このあたりの料理の仕方も演奏家の腕にかかってくるようで、聴き比べの面白さにつながります。 第6番 作品53 「英雄ポロネーズ」として非常に有名です。このタイトルはショパンの付けたものではないのですが、曲の内容を象徴している点では当を得ていると思います。 構成はやはり複合三部形式です。主部の合間にいろいろなエピソードが挿入されていますが、第5番で少々掴み所のない曲を作ってしまった反動か、各エピソードは過不足なくまとめられ特徴づけもはっきりしています。そのため曲想の移り変わりを把握しやすいくなっている思います。そんなわけで、完成度の高いポロネーズとして評価されているわけですが、序奏とトリオ後半以外ではショパンらしい調性へのこだわりがあまり感じられない点が残念なところだと思います。構成がはっきりしているため演奏設計のやりやすい面がありますが、演奏家による個性の表れにくい曲ともいえます。 第7番 作品61 チェロソナタや舟歌などと同時期の作で、ショパンが身体的にも精神的にも弱っていた時期にあたります。いくつかのモチーフを組み合わせて曲を仕上げる手法は「幻想曲 作品49」と同じですが、各モチーフの作りは非常に自由度が高いのが特徴です。幻想曲は「幻想」という名前とは裏腹に、しっかりとした形式感を持ったモチーフで構成されていたのです。しかし、ショパンはすでに「英雄ポロネーズ」などで完璧に形式のととのった曲を作っていますし、チェロソナタでも対位法を駆使していますので、「作曲技巧や構成を追い求めるのはもういいや」と考えて純粋に音楽としての美を追究しはじめたような雰囲気です。したがって、序奏からドビュッシーを先取りしたような音響表現を使ってきますし、一応はポロネーズのリズムも出てくるのですが、その足取りは弱く、しばしば消えてしまいます。ポーランド人としての民族意識を表現していたポロネーズのリズム、それはショパンの強烈な自意識の現れでもあったのですが、その自意識を忘れるほど新たなピアノ表現に没頭してしまったのではないでしょうか。こうしてショパンの新たなピアノ表現の幕開けを告げる素晴らしい曲となったわけですが、残念ながらショパンの病気はそれ以上の創作を彼に許さなかったのでした。 この曲は「幻想ポロネーズ」と呼ばれていますが、ショパン自身が「幻想」と命名したのがポイントです。実は当初はポロネーズではなく「幻想曲 Fantasy」として作曲されたとも考えられます(ポロネーズのリズムが弱い点、構成が「幻想曲」に似ている点など)。ただこの曲の幻想性の根源は、転調にあります。変イ長調が基本になっていますが、展開しながらどんどん転調しますので主調は常に曖昧です。この曲のトリオはロ長調で、比較的長い展開があるのですが、ここに至るために変イ長調→変ロ長調→ロ短調→ロ長調という長い推移があります。ここを聴いてるうちに普通の人は主調がわからなくなってしまいます。トリオも長調と短調をいったりきたりしますので聴きにくい曲かもしれません。かのフランツ・リストなどは出版されたこの曲を見て「ショパンはとうとう精神がおかしくなってしまったようだ」と本気で心配したようです。しかし、これらはすべて十分に吟味された上でのことなのです。実際、ショパンはこの曲を完成させるのに大変な苦労をしたようで、友人に愚痴をこぼす手紙などが残っています(笑)。ショパンの音楽は完璧なまでに磨き上げられていますので、楽譜を見ているとショパン本人も完璧な人間に思えてしまうのですが、天才といえども苦労するし、時には愚痴をこぼしながら努力することもあるということですね。 『音楽図鑑CLASSIC』より引用

再生

『ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21』 フレデリックショパン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 フレデリック・ショパン作曲のピアノ協奏曲第2番(ぴあのきょうそうきょくだい2ばん)ヘ短調 作品21は、1830年に完成された。第2番という番号であるが、第1番よりも先に作られた(現在、ヤン・エキエル編纂の「ナショナル・エディション」では番号は付けられていない)。完成した年の3月17日にワルシャワで、作曲者のピアノ独奏により初演された。 概要 ユゼフ・エルスネルの元でピアノソナタハ短調、ピアノ三重奏曲、そして『ラ・チ・ダレム変奏曲』を書いて経験を積んだショパンが、ピアニストとして名を挙げるために満を持して作曲した初の協奏曲である。 初めての大作ということもあり、曲は第1番よりも自由な構成を持つ一方で、随所に様々な創意がこらされている。第1番に比べて演奏回数はやや少ない。作曲家の小林秀雄は、同曲の自編版(全音楽譜出版社刊 ISBN 4111101127)の解説の中で、カルクブレンナーの「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」作品61の影響を指摘している。 『レント・コン・グラン・エスプレッシォーネ』(現在では『夜想曲第20番』として有名な作品)には、この協奏曲の第1・第3楽章からの断片的なモチーフが引用されている。 第1番同様、オーケストレーションの貧弱さがよく指摘されている(この点は、ショパンが参考にしたヴィルトゥオーゾたちの影響が考えられる)。この点については、ショパンのオリジナルではなく管弦楽法に長じた他者により新たにオーケストレーションされたためだと「ナショナル・エディション」では主張されており、その証拠としては現存する自筆スコアの管弦楽部分が他人の筆跡で書かれており、ショパンの直筆はピアノパートのみである点が挙げられている(ただし、ショパンが友人らと一緒に写譜したものである可能性もあり、断言は難しい)。だが、第3楽章のコル・レーニョなど、ショパンがオーケストレーションにあたって彼なりに創意工夫を凝らしたことは明らかである。ナショナル・エディションではユリアン・フォンタナが作成したピアノスコアなどを元に本来のオーケストレーションを「復元」した「コンサート・エディション」と、従来の楽譜を校訂した「ヒストリカル・エディション」が作成された。 なお、管弦楽を補強した版をアンドレ・メサジェ、アルフレッド・コルトー[1][2]らが作成しており、このうちメサジェ版はマルグリット・ロンの依頼で作成されたもの(彼女はこの版を晩年までレパートリーとした)。2015年にはケヴィン・ケナーが編集したピアノと弦楽五重奏のためのヴァージョンも発売された[3]。 パリで親交を結んだデルフィナ・ポトツカ伯爵夫人に献呈されている。 編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、バストロンボーン、ティンパニ、弦五部。 演奏時間 ヨゼフ・ホフマンは28分15秒だが、スヴャトスラフ・リヒテルは31分13秒と第一番よりは人によっての開きが少ない作品として知られる。祖国ポーランドでは第一番と同様ゆっくりしたテンポが好まれるようで、ショパン国際ピアノコンクールでも同様の解釈を踏襲している。 曲の構成 うまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 第1楽章 Maestoso ヘ短調 4/4拍子 協奏風ソナタ形式。オーケストラによる提示部は、問いと答えのような第1主題、オーボエによって提示される変イ長調の第2主題からなり、独奏ピアノがドラマティックに登場すると、熱い音楽が繰り広げられる。再現部では第2主題は提示部と同じく変イ長調で再現されるのが特徴。 第2楽章 Larghetto 変イ長調 4/4拍子 三部形式。この楽章は、当時ショパンが恋心を抱いていた、コンスタンツィヤ・グワトコフスカへの想いを表現したと友人ティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛ての手紙で述べている。中間部は変イ短調に転じ、弦の刻みの上にユニゾンで激しいレチタティーヴォ風の音楽が展開される。 第3楽章 Allegro vivace ヘ短調~ヘ長調 3/4拍子 コーダを持つロンド形式。ポーランドの代表的な民族舞踊であるマズルカ(特にオベレクの要素が強い)を基になっている。中間部は弦楽器にコル・レーニョ(弓の木の部分で弦を叩く)奏法が指示され、ピアノもユニゾンとなり、より民族的効果を高めている。コーダはヘ長調に転じ、ホルンのファンファーレにより、明るく華やかに終結する。 脚注 1^ “item_code=8.110612”. www.naxos.com. 2018年12月12日閲覧。 2^ “wunder's version”. www.universalmusic.pl. 2018年12月12日閲覧。 3^ “new-versions-of-chopins-piano-concertos”. pwm.com.pl. 2018年11月23日閲覧。

再生

『ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11』フレデリック・ショパン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 フレデリック・ショパン作曲のピアノ協奏曲第1番(ぴあのきょうそうきょくだい1ばん)ホ短調 作品11は、1830年に完成された。ドイツ出身のピアニスト・作曲家で、ショパンが一時弟子入りを考えていたフリードリヒ・カルクブレンナーに献呈された。 概要 楽譜の最初のページ 第1番とあるが、実際は2番目に作られている(現在、下記のナショナル・エディションでは単に『協奏曲ホ短調』となっており、番号付けが廃されている)。最初に書きあげたヘ短調協奏曲を1830年3月17日にワルシャワでのプロデビュー演奏会で初演したのちに作曲に取りかかった。 新作のコンチェルトのアダージョはホ長調だ。これはことさら効果を狙ってのものではなく、むしろロマンツェ風の、静かで、憂いがちな、それでいて懐かしいさまざまな思い出を呼び起こすようなある場所を、心を込めて、じっと見つめているようなイメージを与えようとしたものなのだ。美しい春の夜の、月光を浴びながら瞑想する、そのようなものでもある[1]。 — 1830年5月15日付のショパンの手紙より[2]。 そして同年の10月11日、ウィーンへ出発する直前に行われたワルシャワでの告別演奏会においてショパン自身のピアノ独奏により初演された。その後、1832年2月26日のパリデビューでの演奏会でも演奏されて好評を博したために出版の運びとなったことが翌1833年の初版に記されている。カルクブレンナーにこの曲を献呈したのも、パリデビューに尽力してくれたことへの感謝のためであった。その後もショパンは演奏会でもっぱらこの曲を演奏し、弟子たちにも練習させた。このことから、この曲を第1番として最初に出版したのはショパンがこの曲を自信作だとみなしていたからだと考えられる。 この作品は彼の故郷ワルシャワへの告別と、飛翔の意味が込められているといわれる。協奏曲としては処女作で、ロマンティックな情念と創意にあふれる第2番と比較して、前作の経験を基に書かれたこの第1番は構成を重視した作りで規模も大きい。 ピアノ独奏部に対してオーケストラの部分が貧弱である[3]と批判されることがあり、カール・タウジヒ(曲の構成及びピアノパートにまで改変を加えている)、ミリイ・バラキレフなどが自作の管弦楽編曲を残している。 この曲の自筆譜はほとんど現存しておらず、ヤン・エキエルによるナショナル・エディションによれば、第2番同様に現在の楽譜は他人によりオーケストレーションされた可能性が高い(出版社が複数のオーケストレーターに書かせたという[4])とされている。しかし、第2楽章で弦楽器に弱音器を付けるなど、第2番と共にショパンが苦労しながらも独自のオーケストレーションを試みていたことは間違いない。 影響 ピアノ協奏曲はフリードリヒ・カルクブレナーに捧げられています。ショパンはそれを書いている間、タイタス・ウォイチェチョフスキに次のように書いています。何かが私の目を通して私の頭に思わず忍び込んだので、それがすべて間違っているかもしれないとしても、私はそれを甘やかすのが大好きです。」間違いなく[イタチの言葉]、この光景は、ショパンの第2ピアノ協奏曲のラルゲットの背後にある「理想」であった有名なソプラノKonstancjaGładkowskaであったに違いありません。 レセプションとプレミア ショパンが協奏曲を初演した劇場 協奏曲の意見は異なります。批評家の中には、書かれたオーケストラのサポートが乾いていて面白くないと感じる人もいます。特に、ショパン:男と彼の音楽で「最高のショパンではなかった」と書いた評論家のジェームズ・ハネカーはそうです。一方、オーケストラのバッキングはピアノの音に合うように注意深く意図的に書かれており、アレンジの単純さはハーモニーの複雑さとは対照的であると感じる人も少なくありません。ロベルト・シューマンは、1836年にショパンの新音楽時報のコンサートを「ショパンがベートーベンの精神をコンサートホールに紹介する」とレビューしました。 1830年10月12日の初演は、「成功....満員の家」でした。Kurier Warszawskiによれば、「約700人の聴衆」がいました。ショパン自身がピアノを弾き、カルロ・エヴァシオ・ソリーヴァが指揮する協奏曲。作品の後には「大きな拍手」が続きました。7週間後、パリでポーランドでの政治的大流行に続いて、ショパンはフランスのサルプレイエルで初めて協奏曲を演奏しました。再び好評を博しました。フランソワ=ジョセフ・フェティスは翌日、ラ・レヴュー・ミュージカルで「これらのメロディーには精神があり、これらのパッセージにはファンタジーがあり、どこにでもオリジナリティがある」と書いています。 ナショナル・エディションでは、作曲者が楽器の指定を書き込んだ一部現存するピアノスコア、オーギュスト・フランショームがパート譜を元に作成したピアノ編曲譜などを元にしてショパンが本来意図したであろうオーケストレーションを復元した「コンサート・バージョン」と、従来の楽譜を校訂した「ヒストリカル・バージョン」を刊行している。 編成 第2番より管楽器が拡張されている。 従来の楽譜の編成は フルート2、オーボエ2、C管クラリネット2、ファゴット2、ホルン4(E管2、C管2)、トランペット2(1楽章C管、3楽章E管)、バストロンボーン、ティンパニ、弦五部。 エキエルによる「コンサート・バージョン」では、現代的な楽器変更がなされている。変更点は クラリネット(C管→B♭管)、ホルン4→F管2、トランペット(C管→B♭管)。 曲の構成 第1楽章 Allegro maestoso ホ短調 3/4拍子 協奏風ソナタ形式。オーケストラによってマズルカ風の第1主題とポロネーズ風の副主題、第2主題が奏された後、独奏ピアノが登場し、終始華やかに曲が展開される。第2主題は通常のソナタ形式とは逆に、提示部は同主調のホ長調で、再現部は平行調のト長調で演奏される。コーダで技巧上クライマックスとなる。 第2楽章 Romanze, Larghetto ホ長調 4/4拍子 初演当時のテンポ指示は「アダージョ」だったが、出版に際して変更された。瞑想的な弱音器を付けた弦の序奏に続いてピアノによる美しい主題が現れる。途中のagitatoの部分で盛り上がりを見せた後、ピアノのアルペジョを背景に、オーケストラが最初の主題を奏でて曲を閉じる。切れ目なく終楽章へ続く。破局後の時期であったこともあり、青年期の恋人コンスタンツィア・グワドコフスカへの憧れも影響しているという意見もある。 第3楽章 Rondo, Vivace ホ長調 2/4拍子 短い序奏の後、ポーランドの民族舞踊の1つである「クラコヴィアク」を基にした華やかなロンドが出る。オーケストラとピアノが掛け合い、途中に民謡調のエピソードを登場させつつ、堂々たるクライマックスを築く。コーダ部分のアルペジョは特に高度な技術を要求されるが、最大の見せ場の一つとなっている。 普通にライブで接するとテンポのめまぐるしく変わる作品であるかのような印象を受けるが、自筆譜にそのような指定は全くない。かつては第1楽章が長すぎるとして、カットをするのが慣例であった時期があった。 備考 バラキレフは先述のように管弦楽部分の編曲を行なっている他、第2楽章をピアノ独奏用にも編曲している。 1975年に発表された都はるみの『北の宿から』(作詞:阿久悠、作曲:小林亜星)の旋律は、本作の第1楽章副主題 (H-G-A-H-E-F#-G-F#-E) によく似ているが、雑誌『ショパン』(2009年1月号)での小林の話では、特に本作をもとにして作曲したというわけではないという。 本作は映画『白い家の少女』にも使用されている。クリスチャン・ゴベールが担当したオリジナル・サウンドトラックの導入部のほか、映画本編においても、主人公であるリンが日ごろからレコードプレイヤーにかけ愛聴している曲として用いられている。 全編ショパンの曲が使われている松田優作主演のハードボイルド映画『野獣死すべし』では、「優雅なる野獣」という曲名で、第1楽章副主題をアレンジした曲が登場する。 漫画『のだめカンタービレ』の主人公の一人である野田恵がデビューコンサートで演奏、シュトレーゼマンが指揮するロンドン交響楽団と競演している。 ドラマ『広島 昭和20年8月6日』において、原爆投下直前のシーンにおいて2楽章が使用されている。 ショパン国際ピアノコンクール本選では、この第1番もしくは第2番が課題となっているが、圧倒的に第1番を弾くピアニストが多い。 第1番、第2番(順序はこちらが先)の協奏曲のどちらも、初演の時には第1楽章と第2楽章との間に、別の作曲家の曲目が挟まれた。 第1番のほうが後に書かれたという経緯もあり、CDへの録音などでは第2番、第1番の順で収録される場合がある。 参考文献 「『ショパン ナショナル・エディション』協奏曲に新たなヴァージョンが刊行」、小岩真治、『MUSICA NOVA』2007年1月号 脚注 1^ 小林利之『大作曲家は語る』 東京創元社、1977年12月10日。p.239 2^ ワルシャワからポトゥルジン在住の親友ティトゥス・ヴォイチェホフスキに宛てて。3 ^ この点については、ショパンが参考としたカルクブレンナーやフンメルら当時のヴィルトゥオーゾ達の協奏曲が協奏的要素よりもピアノパートを強調するためにオーケストラが伴奏に回る部分が多かったこと、病弱なショパン自身がオーケストラとの共演を好まなかったこと、ショパンの関心が協奏曲よりも独奏曲の方に向いていたことなどに注意する必要がある 5^ ショパン:ピアノ協奏曲第一番第二番(J.エキエル校訂、ショパン・ナショナル・エディション編、PWM出版)、ミュージック・サプライ

再生

『マズルカ 即興曲 Mazurkas No 42 ~No 57 Mazurkas Imprompyus No1~No4』 フレデリック・ショパン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 フレデリック・ショパンのマズルカはポーランド各地方の民俗舞踊に基づいて作曲された50曲以上の作品群。 概要 ショパンは楽曲の中で、主にマズル・オベレク・クヤヴィヤクの3つの踊りの型を組み合わせて作曲している[1][注釈 1]。付点リズム・強調拍・三連符という元来の特徴をもちながら、転調や和声進行、マジャール音階・教会旋法の使用などに、作曲者の斬新な取り組みが随所に確認でき、彼の作曲語法を知る上で不可欠の素材となっている。また、元々マズルカはバグパイプの伴奏のうえで踊られたという歴史があり、このバグパイプは主音と属音の5度を保続させることができるが、それはショパンのマズルカの伴奏音型にも表れている[1]。 ショパンは作品を出版する際に必ず3つから4つのセットで出版しており、これらのセットをまとめて演奏することを意図していたのではないかと思われている Op.67 1 マズルカ 第42番 ト長調[注釈 6] 2 マズルカ 第43番 ト短調[注釈 7] 3 マズルカ 第44番 ハ長調[注釈 8] 4 マズルカ 第45番 イ短調[注釈 9] フレデリック・ショパンのマズルカ作品67は4曲からなるマズルカ作品群。作者が生前に書きためたものを友人ユリアン・フォンタナが一組のものとして1855年に出版している。 4曲の作曲年代は25歳の青年期と、37歳の晩年期のものとを含む。作風は一定していない。 Op.68 1 マズルカ 第46番 ハ長調[注釈 10] 2 マズルカ 第47番 イ短調[注釈 11] 3 マズルカ 第48番 ヘ長調[注釈 12] 4 マズルカ 第49番 ヘ短調[注釈 13] マズルカ ヘ短調 作品68-4(第49番(パデレフスキ版では第51番)、遺作)は、フレデリック・ショパンが死の年である1849年にパリで作曲したピアノ独奏曲。現在も残っているショパン自筆のスケッチを親交の深かったチェリストのオーギュスト・フランショームが筆写し、友人のユリアン・フォンタナの校訂により1855年に出版された。なお、ショパン自筆のスケッチ、フランショームの写筆譜ともにワルシャワのショパン協会に保管されている。 概要 このマズルカのショパンの自筆譜は、清書譜や決定稿ではなく、スケッチの段階であるため、特にトリオの部分がほとんど判別困難な状態にある。フランショームによる筆写譜では、16小節のヘ長調のトリオが前述の理由から省略されているが、ヤン・エキエルによって校訂及び復元され1965年に単行出版された楽譜や2007年に刊行された『ショパン・ナショナル・エディション』のBシリーズ・第 I 巻「マズルカ集(B)」では、トリオ部分が復元されている。なお、自筆のスケッチには、仰臥しながら書いているときに手が滑ったのかペンが紙の上を走った跡が多く見られる[1]。 作曲者の絶筆という事情もあり、演奏会で取り上げられることも多い。 構成 冒頭部分 Andantino(エキエル版ではLento)、4分の3拍子、ヘ短調。 冒頭のタイのついた主題が転調されて繰り返される。半音階的下降と全音ずつの下降とが組み合わせられ、調性が不安定。途中イ長調に変わるが、全体の無調性のために違和感はない。トリオもつけられているが主部同様に転調が著しい。 作品番号なし 作品タイトル マズルカ 第50番 イ短調「ノートル・タン」[注釈 14] マズルカ 第51番 イ短調「エミール・ガイヤール」[注釈 15] マズルカ 変ロ長調[注釈 16] マズルカ ト長調[注釈 17] マズルカ ニ長調[注釈 18] マズルカ ニ長調[注釈 19] マズルカ 変ロ長調[注釈 20] マズルカ ハ長調[注釈 21] マズルカ 変イ長調[注釈 22] マズルカ 変ロ長調[注釈 23] 脚注 注釈 1^ それぞれの舞曲の型の詳細についてはマズルカを参照。 2^ ヘンレ版ではOp.41-4 第29番。 3^ ヘンレ版ではOp.41-1 第26番。 4^ ヘンレ版ではOp.41-2 第27番。 5^ ヘンレ版ではOp.41-3 第28番。 6^ パデレフスキ版では第44番。 7^ パデレフスキ版では第45番。 8^ パデレフスキ版では第46番。 9^ パデレフスキ版では第47番。 10^ パデレフスキ版では第48番。 11^ パデレフスキ版では第49番。 12^ パデレフスキ版では第50番。 13^ パデレフスキ版では第51番。 14^ パデレフスキ版では第43番。ヘンレ版では第52番。 15^ パデレフスキ版では第42番。ヘンレ版では第53番。 16^ パデレフスキ版では第52番。ヘンレ版では第51番。 17^ パデレフスキ版では第53番。ヘンレ版では第50番。 18^ パデレフスキ版では第54番。 19^ パデレフスキ版では第55番。ヘンレ版では第54番。 20^ パデレフスキ版では第56番。ヘンレ版では第55番。 21^ パデレフスキ版では第57番。ヘンレ版では第56番。 22^ パデレフスキ版では第58番。ヘンレ版では第57番。 23^ KK番号はVe/4。ドンブロフスキのマズルカ(ポーランドの国歌)の後半リフレイン部分をピアノ用に編曲したもの。 出典 24^ a b 湯浅 2020, pp. 48.

再生

『マズルカ Mazurkas No 22ーNo 41』フレデリック・ショパン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 フレデリック・ショパンのマズルカはポーランド各地方の民俗舞踊に基づいて作曲された50曲以上の作品群。 概要 ショパンは楽曲の中で、主にマズル・オベレク・クヤヴィヤクの3つの踊りの型を組み合わせて作曲している[1][注釈 1]。付点リズム・強調拍・三連符という元来の特徴をもちながら、転調や和声進行、マジャール音階・教会旋法の使用などに、作曲者の斬新な取り組みが随所に確認でき、彼の作曲語法を知る上で不可欠の素材となっている。また、元々マズルカはバグパイプの伴奏のうえで踊られたという歴史があり、このバグパイプは主音と属音の5度を保続させることができるが、それはショパンのマズルカの伴奏音型にも表れている[1]。 ショパンは作品を出版する際に必ず3つから4つのセットで出版しており、これらのセットをまとめて演奏することを意図していたのではないかと思われている 作品番号一覧 Op.41 1 マズルカ 第26番 嬰ハ短調[注釈 2] 2 マズルカ 第27番 ホ短調[注釈 3] 3 マズルカ 第28番 ロ長調[注釈 4] 4 マズルカ 第29番 変イ長調[注釈 5] フレデリック・ショパンのマズルカ作品41は4曲の作品からなる曲集。曲順は版によって数え方が違うがここではオリジナルとされる方の曲順に従う。作曲はホ短調の第2曲のみ1838年にマジョルカ島で、残りは1839年にノアンで行われ、その翌年に出版された。ショパンの親友で詩人のステファン・ヴィトフィツキに献呈された。 Op.50 1 マズルカ 第30番 ト長調 2 マズルカ 第31番 変イ長調 3 マズルカ 第32番 嬰ハ短調 マズルカ 作品50は、フレデリック・ショパンが1842年に作曲・出版した全3曲の作品からなる曲集。献呈先はレオン・シュミトゥコフスキ。作曲経験も円熟の境地に達し、実験音楽と高度な芸術性とが融合している。 Op.56 1 マズルカ 第33番 ロ長調 2 マズルカ 第34番 ハ長調 3 マズルカ 第35番 ハ短調 フレデリック・ショパンのマズルカ作品56は3曲の作品からなる曲集。1843年に作曲・出版された。献呈先は、ショパンの友人で弟子の1人でもあったキャサリン・マバリー。円熟を極めたあとの作曲者は、身体・精神的に不安定になってゆき、徐々に作品数が少なくなり、作風は構築的なものへと変化していった。その中に書かれたこの作品は、楽想が枯渇し、霊感に欠けるとしばしば批判された。 Op.59 1 マズルカ 第36番 イ短調 2 マズルカ 第37番 変イ長調 3 マズルカ 第38番 嬰ヘ短調 フレデリック・ショパンのマズルカ作品59は1845年に作曲された3つのマズルカ作品。ジョルジュ・サンドのノアンの館で作曲された[1]。死の4年前という状況の中で、あからさまな民俗臭や、洗練された形式美にもそれぞれ距離を置いた陰りのある曲想で、作者の個性を反映している。献呈先はなし。 Op.63 1 マズルカ 第39番 ロ長調 2 マズルカ 第40番 ヘ短調 3 マズルカ 第41番 嬰ハ短調 マズルカ 作品63は、フレデリック・ショパンが1846年に作曲した作品。翌年出版された。献呈先はロール・チョスノフスカ夫人。全3曲。作曲者死の3年前という晩年の作で、落ち着いた叙情的な曲想が全曲を支配している。 脚注 注釈 1^ それぞれの舞曲の型の詳細についてはマズルカを参照。 2^ ヘンレ版ではOp.41-4 第29番。 3^ ヘンレ版ではOp.41-1 第26番。 4^ ヘンレ版ではOp.41-2 第27番。 5^ ヘンレ版ではOp.41-3 第28番。

再生

『マズルカ Mazurkas No 22ーNo 41』フレデリック・ショパン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 フレデリック・ショパンのマズルカはポーランド各地方の民俗舞踊に基づいて作曲された50曲以上の作品群。 概要 ショパンは楽曲の中で、主にマズル・オベレク・クヤヴィヤクの3つの踊りの型を組み合わせて作曲している[1][注釈 1]。付点リズム・強調拍・三連符という元来の特徴をもちながら、転調や和声進行、マジャール音階・教会旋法の使用などに、作曲者の斬新な取り組みが随所に確認でき、彼の作曲語法を知る上で不可欠の素材となっている。また、元々マズルカはバグパイプの伴奏のうえで踊られたという歴史があり、このバグパイプは主音と属音の5度を保続させることができるが、それはショパンのマズルカの伴奏音型にも表れている[1]。 ショパンは作品を出版する際に必ず3つから4つのセットで出版しており、これらのセットをまとめて演奏することを意図していたのではないかと思われている 作品番号一覧 Op.41 1 マズルカ 第26番 嬰ハ短調[注釈 2] 2 マズルカ 第27番 ホ短調[注釈 3] 3 マズルカ 第28番 ロ長調[注釈 4] 4 マズルカ 第29番 変イ長調[注釈 5] フレデリック・ショパンのマズルカ作品41は4曲の作品からなる曲集。曲順は版によって数え方が違うがここではオリジナルとされる方の曲順に従う。作曲はホ短調の第2曲のみ1838年にマジョルカ島で、残りは1839年にノアンで行われ、その翌年に出版された。ショパンの親友で詩人のステファン・ヴィトフィツキに献呈された。 Op.50 1 マズルカ 第30番 ト長調 2 マズルカ 第31番 変イ長調 3 マズルカ 第32番 嬰ハ短調 マズルカ 作品50は、フレデリック・ショパンが1842年に作曲・出版した全3曲の作品からなる曲集。献呈先はレオン・シュミトゥコフスキ。作曲経験も円熟の境地に達し、実験音楽と高度な芸術性とが融合している。 Op.56 1 マズルカ 第33番 ロ長調 2 マズルカ 第34番 ハ長調 3 マズルカ 第35番 ハ短調 フレデリック・ショパンのマズルカ作品56は3曲の作品からなる曲集。1843年に作曲・出版された。献呈先は、ショパンの友人で弟子の1人でもあったキャサリン・マバリー。円熟を極めたあとの作曲者は、身体・精神的に不安定になってゆき、徐々に作品数が少なくなり、作風は構築的なものへと変化していった。その中に書かれたこの作品は、楽想が枯渇し、霊感に欠けるとしばしば批判された。 Op.59 1 マズルカ 第36番 イ短調 2 マズルカ 第37番 変イ長調 3 マズルカ 第38番 嬰ヘ短調 フレデリック・ショパンのマズルカ作品59は1845年に作曲された3つのマズルカ作品。ジョルジュ・サンドのノアンの館で作曲された[1]。死の4年前という状況の中で、あからさまな民俗臭や、洗練された形式美にもそれぞれ距離を置いた陰りのある曲想で、作者の個性を反映している。献呈先はなし。 Op.63 1 マズルカ 第39番 ロ長調 2 マズルカ 第40番 ヘ短調 3 マズルカ 第41番 嬰ハ短調 マズルカ 作品63は、フレデリック・ショパンが1846年に作曲した作品。翌年出版された。献呈先はロール・チョスノフスカ夫人。全3曲。作曲者死の3年前という晩年の作で、落ち着いた叙情的な曲想が全曲を支配している。 脚注 注釈 1^ それぞれの舞曲の型の詳細についてはマズルカを参照。 2^ ヘンレ版ではOp.41-4 第29番。 3^ ヘンレ版ではOp.41-1 第26番。 4^ ヘンレ版ではOp.41-2 第27番。 5^ ヘンレ版ではOp.41-3 第28番。

再生

『マズルカ Mazurkas No 1ーNo 21』フレデリック・ショパン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 フレデリック・ショパンのマズルカはポーランド各地方の民俗舞踊に基づいて作曲された50曲以上の作品群。 概要 ショパンは楽曲の中で、主にマズル・オベレク・クヤヴィヤクの3つの踊りの型を組み合わせて作曲している[1][注釈 1]。付点リズム・強調拍・三連符という元来の特徴をもちながら、転調や和声進行、マジャール音階・教会旋法の使用などに、作曲者の斬新な取り組みが随所に確認でき、彼の作曲語法を知る上で不可欠の素材となっている。また、元々マズルカはバグパイプの伴奏のうえで踊られたという歴史があり、このバグパイプは主音と属音の5度を保続させることができるが、それはショパンのマズルカの伴奏音型にも表れている[1]。 ショパンは作品を出版する際に必ず3つから4つのセットで出版しており、これらのセットをまとめて演奏することを意図していたのではないかと思われている 作品番号一覧 Op.6 1 マズルカ 第1番 嬰ヘ短調 2 マズルカ 第2番 嬰ハ短調 3 マズルカ 第3番 ホ長調 4 マズルカ 第4番 変ホ短調 マズルカ 作品6は、フレデリック・ショパンが生前に出版をしたマズルカ作品で最初のもの。全4曲。 洗練とは無縁の辺境ポーランドの土着舞曲を、中央フランス社会で広めていく第一作である。 Op.7 1 マズルカ 第5番 変ロ長調 2 マズルカ 第6番 イ短調 3 マズルカ 第7番 ヘ短調 4 マズルカ 第8番 変イ長調 5 マズルカ 第9番 ハ長調 マズルカ 作品7は、フレデリック・ショパンが作曲した全5曲からなる曲集。1830年から1832年に作曲されたものをまとめて出版している。もっとも有名なマズルカ 作品7-1を含む。 Op.17 1 マズルカ 第10番 変ロ長調 2 マズルカ 第11番 ホ短調 3 マズルカ 第12番 変イ長調 4 マズルカ 第13番 イ短調 マズルカ 作品17は、フレデリック・ショパンが作曲した全4曲からなる曲集。パリに居を移してから最初に作曲したもので、華々しい演奏技巧よりも静謐さやハーモニーの落ち着きが特徴。1833年作曲(ただし第4曲は1824年に手がけられた可能性あり)。翌年出版。献呈先はリナ・フレッパ夫人。 Op.24 1 マズルカ 第14番 ト短調 2 マズルカ 第15番 ハ長調 3 マズルカ 第16番 変イ長調 4 マズルカ 第17番 変ロ短調 フレデリック・ショパンのマズルカ作品24は1836年に出版された4つの作品集。献呈先はルイ・フィリップ・ベルテュイ伯爵。いずれも優雅で平明ながら作曲者の作曲語法が際だっている。三部形式。 Op.30 1 マズルカ 第18番 ハ短調 2 マズルカ 第19番 ロ短調 3 マズルカ 第20番 変ニ長調 4 マズルカ 第21番 嬰ハ短調 フレデリック・ショパンのマズルカ作品30は4つの作品から成るマズルカ作品集。1837年に作曲・出版されている。献呈先はドゥ・ヴェルテンベルク公爵夫人。全曲とも洗練された作曲形式より、自身の創作欲求を優先させたもので、「マズルカはショパンの日記」そのままである。

再生

24の前奏曲 作品28 24 Préludes』 フレデリック・ショパン

(P)ソフロニツキー 1951年11月21日録音 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 フレデリック・ショパン作曲の前奏曲(ぜんそうきょく)Prélude は、ピアノのための作品。24曲の前奏曲から成る曲集と独立曲2曲の、計26曲である。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 フレデリック・ショパン作曲の前奏曲(ぜんそうきょく)Prélude は、ピアノのための作品。24曲の前奏曲から成る曲集と独立曲2曲の、計26曲である。 24の前奏曲作品28は、1839年1月にマジョルカ島で完成した。完成の時期はユリアン・フォンタナ宛の手紙によって確認できるが、着手の時期については明らかでなく1831年から1838年まで諸説ある。出版は1839年の9月になされ、フランス版はカミーユ・プレイエルに、ドイツ版はヨゼフ・クリストフ・ケスラーに献呈された。24曲がすべて異なる調性で書かれているが、これはJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集に敬意を表したものといわれる。だが、曲の配列は異なっており、ハ長調 - イ短調 - ト長調 - ホ短調 …と平行短調を間に挟みながら5度ずつ上がっていくという順序になっている。ラフマニノフ、スクリャービン、ショスタコーヴィチも後に同様な前奏曲集を創作している。 アンコールピースとして個別に演奏されることもあるが、現在ではむしろ24曲全体で一つの作品と考える考え方が主流であり、全曲通して演奏されることが多い。また曲の構成もほとばしる感情をむき出しにするものもあれば、優雅さや穏やかな心を感じさせるのもあり、全曲通して聞いていても聴衆に単調さを感じさせない。演奏時間は全曲で40~45分程度。 1912年にジャン・フランセが管弦楽用に編曲している(カール・アントン・リッケンバッハー指揮、ベルリン放送交響楽団(ベルリン放送交響楽団の前身)による録音がある)。 第1番 ハ長調 アジタート、8分の2拍子。左手アルペジオ三連符に乗って右手で待ちこがれるような旋律が歌われる。ピアニズムを追求する作曲者にはハ長調の曲は少ない。J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集の同調の前奏曲にも比べられる優美なアルペジオ曲。 第2番 イ短調 レント、2分の2拍子。刺繍音を多用した、調性的に曖昧な和音で移ろいながら緩やかにイ短調へ収束していく、非常に謎めいた和声の小品。 第3番 ト長調 ヴィヴァーチェ、2分の2拍子。小川のささやきと評される明朗な曲風であるが、左手のエチュードともいえる。 第4番 ホ短調 ラルゴ、2分の2拍子。単調な右手の旋律を左手の半音階和声が支えている。作曲者の葬儀のときに演奏されたといわれている(第6番と共にルイ・ジェームズ・アルフレッド・ルフェビュール=ヴェリーがオルガンで演奏した)。 第5番 ニ長調 アレグロ・モルト、8分の3拍子。両手で半音階動機を織り交ぜたアルペジオが繰り返される。レガート奏法ながら左手の跳躍が激しく、また4の指が効果的に使われる。「歌にあふれた木々」と評されている。 第6番 ロ短調 レント・アッサイ、4分の3拍子。右手の和音の伴奏に乗って、低音部に陰々とした主題が歌われる。この右手の伴奏形からジョルジュ・サンドはこの曲を「雨だれ」としている。 第7番 イ長調 アンダンティーノ、4分の3拍子。歌謡風の主題が印象的で単独でもよく知られた小品。日本では長年にわたり太田胃散のCMに使用されていた[1]。アルフレッド・コルトーには「洗練されたマズルカ」と評されている。後に、フェデリコ・モンポウがこの主題に基づいて「ショパンの主題による変奏曲」を作曲している。 第8番 嬰ヘ短調 モルト・アジタート、4分の4拍子。フランツ・リストによりこれもまた雨だれの様子を描写したと評されている。右手の付点リズムの中のアルペジオと左手声部の広い音域を抑える3連符は技巧を要する。 第9番 ホ長調 ラルゴ、4分の4拍子。付点リズムを多用した重々しい曲。しばしばこの付点リズムの奏法について議論される。ショパンは付点リズムを三連符と合わせることを意図した書き方をしており(実際、バロック時代はこのように演奏された)、それをどう解釈するかは演奏者によって異なる。 第10番 嬰ハ短調 アレグロ・モルト、4分の3拍子。高音から下降する動機とマズルカリズムのものとが対になって繰り返される。右手のフレーズは、ショパンが指示した運指では4の指を使う等、独特である。 第11番 ロ長調 ヴィヴァーチェ、8分の6拍子。曲想は典雅で発想記号 (Vivace) の解し方が問われている。 第12番 嬰ト短調 プレスト、4分の3拍子。半音階的な上昇旋律が手短にまとめられている。 第13番 嬰ヘ長調 レント、4分の6拍子。舟歌や夜想曲を思わせる穏やかな曲想。 第14番 変ホ短調 アレグロ、2分の2拍子。両手のユニゾンで無調的な半音階進行の三連符が連続する。変ロ短調ソナタの終楽章に類似している。 第15番 変ニ長調 ソステヌート、4分の4拍子。有名な「雨だれの前奏曲」である。24曲中最も演奏時間が長い(5分程度)。「雨だれ」の描写は他調の曲でも行っているが、繋留音が異名同音でこれほどまでに清明(変ニ長調)と暗黒(嬰ハ短調)の対比をさせる結果になっているのは本作だけである。比較的平易に演奏できるが、作曲技術の妙を感じさせ、ショパンの前奏曲の代名詞のようになっている。なお、日本のテレビドラマ『大都会 闘いの日々』の第27話「雨だれ」(1976年7月6日放映)にも使用された。 第16番 変ロ短調 プレスト・コン・フオーコ、2分の2拍子。音階を主動機にした右手声部とショパンに特徴的なリズムの左手低音部からなっている。途中にユニゾンがあり激烈そのものの曲想を盛り上げる。高速で演奏されて効果があがるだけに全24曲中でも最高の難曲。 第17番 変イ長調 アレグレット、8分の6拍子。温和な曲想で繋留音を多用している。 メンデルスゾーンの無言歌を思わせるが、当のメンデルスゾーンは「私はこの曲が好きだ。私には到底書けそうもない性質の曲だ」と述べたといわれる。 第18番 ヘ短調 アレグロ・モルト、2分の2拍子。両手で弾かれるユニゾン(斉唱)はイタリア歌劇に影響されたといわれている。レチタティーヴォを思わせる。 第19番 変ホ長調 ヴィヴァーチェ、4分の3拍子。幅広い音域で旋律を浮かび上がらせる練習。コルトーには鳥の羽ばたきと評されている。 第20番ハ短調の譜面。後にブゾーニやラフマニノフがこの主題を元に変奏曲を作曲している。 第20番 ハ短調 ラルゴ、4分の4拍子。コルトーに「葬送」と評されている。単純なコラールの中にショパンらしい半音階的和声の進行があって、興味を惹く作品である。後に、これに基づいて、フェルッチョ・ブゾーニが「ショパンの前奏曲第20番による変奏曲とフーガ」を、セルゲイ・ラフマニノフが「ショパンの主題による変奏曲」を作曲している。 第21番 変ロ長調 カンタービレ、4分の3拍子。清明な歌謡風の曲想。伴奏形が広がりを想像させる。 第22番 ト短調 モルト・アジタート、8分の6拍子。左手のオクターブが暗い情熱を表している。 第23番 ヘ長調 モデラート、4分の4拍子。軽快な旋律を転調させて繰り返す。なお終止のアルペッジョの中に、ヘ長調の和音に含まれない変ホの音が入っており、のちの付加音の発想を連想させる。 第24番 ニ短調 アレグロ・アパッシオナート、8分の6拍子。左手の幅広い音域による低音部、右手の強烈な半音階は演奏至難。前奏曲集を締めくくる重厚かつ、激烈な作品である。曲は、現代ピアノの通常音域で最低のD音を、三度、最強音で、鐘の如くに鳴らして終わるが、これは同時に本前奏曲集全体の締めくくりにも当たる。

再生

『ピアノソナタ 第3番 ロ短調 品58』フレデリック・ショパン

P:カペル 1951年5月19,21日&1952年6月23日録音 (第18回ショパン国際ピアノコンクール3次予選課題曲) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2013年10月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2013年10月) 出典検索?: "ピアノソナタ第3番" ショパン – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58 は、フレデリック・ショパンが作曲したピアノソナタ。 概要 前作が作曲されてから5年後の1844年に、ノアンにあるジョルジュ・サンドの住居で作曲され、翌年出版された本作は、ド・ペルテュイ伯爵夫人(Emilie de Perthuis)に献呈された。 本作が作曲された年にはショパンの父ニコラが死去し、その訃報に触れたショパンは悲しみのあまり2週間ほど重病人となったが、その約3ヶ月後に完成させている。 ロベルト・シューマンによって「無理やりくくりつけた」と評された前作とは打って変わって古典的構成美を特徴とし、曲想、規模ともに堂々たる大作である。ピアノソナタ全3曲の中、唯一終楽章を長調で締めくくっている(終結部分のみ)。 曲の構成 第1楽章 冒頭部分 第1楽章 アレグロ・マエストーソ ロ短調、4分の4拍子、ソナタ形式。提示部の反復指定あり 決然とした第1主題、ショパンらしい優雅で甘美な第2主題からなり、主題がソナタ形式にはふさわしくないとの批判もあるものの、ショパンの個性と創意が存分に生かされている。提示部の反復指定があるが、長いので反復せずに演奏するピアニストも多い。 第2楽章 スケルツォ:モルト・ヴィヴァーチェ 変ホ長調、4分の3拍子。 深刻な内容の多いショパンのスケルツォには珍しく、即興的で諧謔味を含む。主題部で右手最低音はG音であり、ヴァイオリンのそれと同一である。第1楽章同様に旋律線をヴァイオリンで追跡できる。モルト・ヴィヴァーチェという表記は、ショパンの見解では高速演奏であるが、どの程度の高速であるのかまでは言及していない(当時では不治の病である肺病に罹患していた作曲者が、生命を意味するvivaceという語に何を込めていたかは研究が必要である)。中間部ではロ長調に転じ瞑想的な楽想となる。エンハーモニックな転調でロ長調と変ホ長調が対峙するのは、フランツ・シューベルトの4つの即興曲 D899-2にも例がある。 第3楽章 ラルゴ ロ長調 、4分の4拍子、三部形式。 夜想曲風の甘美な楽章である。他の楽章に比べると冗長に感じられるが、旧世代のピアニストは中間部を速く弾くことで構成感を高めていた。第1主題の旋律は、ピアノで演じるには贅沢なほど流暢優美で、室内楽編曲に適している。中間部では嬰ト短調―変イ長調と、ピアノ協奏曲第1番第2楽章に相似た展開をする。再現部は左手部に鋭いリズムをつけ、単調さを避けている。 第4楽章 フィナーレ:プレスト・マ・ノン・タント ロ短調 、8分の6拍子、ロンド形式。 この大曲のしめくくりにふさわしい、情熱的で力強い楽章。ヴィルトゥオーゾ的技巧を要する。主題は序奏和音の後すぐ提示され、ロンド形式の通り繰り返される。エンハーモニックな転調は随所にあるが、終結はロ長調である。

再生

『ピアノソナタ第2番 変ロ短調 Op 35 「葬送」』フレデリック・ショパン

(P)バイロン・ジャニス 1956年9月10日~12日,14日&20日録音 (第18回ショパン国際ピアノコンクール3次予選課題曲) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35 は、フレデリック・ショパンが作曲したピアノソナタである。 概要 第3楽章に有名な葬送行進曲が用いられていることから「葬送」または「葬送行進曲付き」の愛称でよく知られる。1839年にノアンで作曲されたが、葬送行進曲は他の楽章に先立ち、1837年には作曲されていたらしい。 全体に悲劇的かつ陰鬱で、葬送行進曲が用いられている(もちろん誰にも献呈されていない)ことなどから、当時のポーランドの悲劇的状況を反映したものではないかとも言われるが、ショパンの真意は定かでない。このあとのソナタ作品は完全なピアノ独奏でなく室内楽を志向した構造になっているので、事実上ピアニズムの精華といえるのは本作だけである。葬送行進曲を中心として構成された最高傑作という点に人間ショパンの一面が象徴されている。 また、全ての楽章が短調で書かれてはいるものの、上記のように前半楽章は両者とも長調で閉じられる他、第1楽章の第2主題や、スケルツォと葬送行進曲、それぞれのトリオも優美な長調の音楽なので、暗いばかりの作品というわけではない。 なおこの曲は古典的なソナタの構成感に乏しいと指摘される。ロベルト・シューマンは当時の評論の中で「ショパンは乱暴な4人の子供をソナタの名で無理やりくくりつけた」と評し、「田舎の音楽教師がソナタの名につられて、素晴しい古典だろうと思って楽譜を買い求め、いざ弾いてみて激怒する」様子を面白おかしく想像している。もちろんシューマンはショパンを批判しているのではなく、その古典的形式にとらわれない斬新な独創性を(「旧態依然たる音楽観の持ち主たちにはこの曲は理解できまい」という皮肉を込めて)絶賛しているのである。 アントン・ルビンシテインはこのソナタを「死の詩(うた)」と評した。 曲の構成 第1楽章 グラーヴェ - ドッピオ・モヴィメント 変ロ短調 - 変ロ長調、2分の2拍子、ソナタ形式。 短い劇的な後の陰鬱な序奏で始まり、2倍の速さ(ドッピオ・モヴィメント)の嵐を思わせる第1主題、対照的におだやかで叙情的な第2主題と続く。展開部はもっぱら第1主題をもとに展開され、再現部は第2主題だけからなるという変則的なソナタ形式をとる。再現部で展開部に用いた第1主題を再度再現させるのは冗長になるからである。なお、序奏の動機と第1主題の動機が全曲にわたって用いられていることをルドルフ・レティ(英語版)は自著で指摘している(参考文献参照)。 第1主題左手部に現れるリズムはショパン特有のもので、変ロ短調の前奏曲など陰鬱激烈な曲想にしばしば顔を出す。少し明るさを取り戻した3連符で第1部は終結する。第2主題は変ニ長調のコラール風のもので、冒頭の3音は第1主題の音形と音程が一致する。展開部は第1主題の転調展開。前の3連符も加わり、ベートーヴェンに似た昂揚が充満する。第1主題を省略するのは展開部の素材として消化し尽くされているからとも言える。再現部は変ロ長調に変わる他は形式通り。コーダでは左手に第1主題のリズムが出現し、和音の連続で終結する。 多くの楽譜では第4~5小節の間(ドッピオ・モヴィメント)にリピート開始の縦線があるが、これはドイツ初版に基づいている。しかしその底本となった筆写譜では複縦線になっていて、冒頭から繰り返すようになっている。自筆譜(現存せず)が底本となったフランス初版でもリピート開始ではなく通常の縦線であるから、ドイツ初版の誤りである可能性が高い。 第2楽章 スケルツォ 変ホ短調 - 変ト長調、4分の3拍子、三部形式。 明るいと言うよりはむしろ破壊的に活発な主部と、嵐の過ぎ去った静けさの如くおだやかなトリオからなる三部形式。コーダにもトリオがわずかに顔を出す。主部は左手半音階、さらには両手声部半音階が不気味さを醸し出す。エンハーモニックな転調は作者の常套である。浄福なトリオは特に左手に旋律美がある。終結部は新規楽想を使わず見事に変ト長調に誘導されている。ショパンは、スケルツォ第2番やバラード第2番でも、副主題(トリオではない)の調で曲を閉じている。 第3楽章 葬送行進曲:レント 変ロ短調 - 変ニ長調、4分の4拍子、三部形式。 全曲中、最も有名な楽章。鐘を鳴らすような主題が次第に近づくように大きくなり、慰めるような変ニ長調のトリオ(後に書かれたチェロソナタ 作品65の第3楽章もこれに似ている)の後、最初の主題が現れて次第に去ってゆく。 なお、ショパンの葬儀の際にはナポレオン・アンリ・ルベールによって管弦楽編曲されたものが演奏されたといわれている。また、エルガーも当楽章を管弦楽編曲している。 第4楽章 フィナーレ:プレスト 変ロ短調、2分の2拍子、 両手のユニゾンが最初から終末間際まで続き、調性も明確でない。前述のレティは、第1楽章第1主題の音形が、この楽章では半音階の中に分散されていると解釈する。「葬送行進曲の後を受け、墓場に風が吹く」などと表現されるが、ショパン自身はこれを「行進曲の後で両手がおしゃべりをする」と表現している。こうした特質からか、第3楽章からアタッカで演奏するピアニストが多く、ガヴリーロフのCD(1984年 - 1985年録音)にいたっては1つのトラックに第3楽章と共に収められている。 なお、同様の書法で書かれた曲としては、彼自身の変ホ短調の前奏曲や、ショパンの友人であったシャルル=ヴァランタン・アルカンがこの曲と同じ1839年頃に作曲した『3つの大練習曲』作品76の第3曲が挙げられる(この3曲はそれぞれ左手のみ、右手のみ、そして両手ユニゾンで演奏される)。 本曲が使われた作品など ビリ犬 - 第12話「注射はコワイ!」(大福マメオが愛犬のドカを連れて体育館に入館するシーンにて使用) レミングス - 民謡「Ten Green Bottles」とワーグナー作曲の「婚礼の合唱」が合わさる形で第3楽章がBGMとして使用されている。 街 〜運命の交差点〜 - 雨宮桂馬のシナリオ「オタク刑事走る!」にて第3楽章が使用されている。 DEATH STRANDING - BRIDGESに所属するキャラクター、ハートマンの、研究所にて心停止している間レコードから流れる曲として、第3楽章が使用されている。 美輪明宏 - 『亡霊達の行進』(作詞・作曲:美輪明宏、編曲:小谷充。アルバム『白呪』に収録。)のイントロ部分で、第3楽章の冒頭部分が挿入される。 その他、第3楽章「葬送行進曲」がゲームのゲームオーバー時のBGMとしてよく使用されている。