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空き家からでてきた68年前の写真?

2024年7月31日、毎日34℃を超えるような酷暑でとても日中はロードバイクで走る気持ちが湧きません。それでも何とか週1回の35キロで約2時間のライドは、夕方4時くらいからですが続けています。この時間でも熱中症対策を万全に、頭からかぶる水を凍らせたペットボトルやエナジードリンクなどを持参です。まあ、50キロ以上の日帰り温泉ライドや泊まりのライドは、この暑さでは無謀でしょうね、道で会うライダーも少ないです。


68年前の写真!?

そんな暑い中、2024年6月12日に介護をしていた母が亡くなり、大阪の空き家の処分のために、大量の荷物を業者さんに「丸投げ」で処分するために動いているのですが、母が残した大量の写真を整理していたら、上の写真を見つけました。
たぶん私が1才くらいの時の写真ですので、何と68年前の写真です。映っているのは、私の父で当時27才でしょうね。ピストバイクです。まあこの時代、私の家には、これがあって小学校時代の友人に以前、半世紀ぶりに会った時に、私の家のことで覚えているのは、「自転車と油の臭い(チェーンオイル)」というのでびっくりしたことがあります。父は私が小学校5年くらいの37才までくらいまでやっていたでしょうか・・
当時、私は、自転車に全く興味がありませんでしたので、あまり覚えていませんが、ただ、父はよく知人の「いしい-」、「ゆうちゃん」や「みっちゃん」(私の記憶の範囲)という方と一緒に家から走りに行っていたと記憶しています。
そもそも私がロードバイクを始めたきっかけは、まあ色々な事情があって55才でゴルフをやめたあと、それにより体重が増えたので、たまたま颯爽と走っているロードバイクを見たことと、父がやっていたことがあったという理由で、近くの「自転車あさひ」でアルミの「ルイガノ」を買ったのがきっかけでした。父は37年前に57才で亡くなりましたが、私は、ほぼ父が亡くなった年齢で自転車(ロードバイク)を始めたことになりますね。

その後、私は距離を伸ばして行き、5年ほどライドを続けたあとに、今のフルカーボンの「KUOTA(イタリア製で今は製造していない)」に換えたのでした。ロードバイクを始めたお陰で、体重は60キロでほぼコントロールされていますし、週1回の35~50キロのライドは、今や義務みたいになってます。最初の頃からアワイチ、ビワイチ等の大会、ヒルクライムの大会に参加していたのですが、コロナで大会がなくなったのがきっかけに、年2回程度のソロロードバイク旅(1日100キロ程度で300キロまで)をするようになりました。これをやると、もう大会に参加しようという気持ちが薄らいでいくのですね。まあお金のこともあるのですが。ただ、ヒルクライムの大会は、場所とコストを考慮して、完走を目標に続けているのですが、大会前日には、「なぜエントリーしたのだろう」という後悔!!の気持ちになることが多いです。もはやこれも義務!に近づいているような・・

父の話ですが、父と知人はよく「竹ノ内峠」(私の実家があった白鳥という町から15キロほどの大阪と奈良の県境)に行くと言ってましたね。私もロードバイクを始めた以降に、母の介護で大阪の家(今の空き家)に4年ほど通いましたがいつも車にロードバイクを積んで行って、介護の合間に竹ノ内峠に走りに行ってました。それに柏原の「ぶどう坂」、東大阪の「十三峠」等にも。
いつも思うのですが、写真の父とその知人達は、あのシングルギアで走っていたのですが、一体、どこまで、どのように走っていたのでしょうね。未だにわかりません。竹ノ内峠への登坂をシングルギアでしたのでしょうか、これも謎ですね。

なお当時、父が、「いしいー」と呼んでいた人(父よりも少し若い)は、その後、競輪の世界では有名な人になったと聞きました。

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