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ディズニーランドで振り返る自分

物心がついてから小学生を卒業するくらいまで、年に1度、親はディズニーランドに連れて行ってくれた。

「ディズニーランドに行く」

東北に実家がある僕にとって、それは旅行でありつつも旅行とはまた違った、1つの大きな年間行事だった。

毎回、夜中に4-5時間かけてディズニーランドに向かう車の中は、すでにアトラクションくらい楽しくてワクワクするものだった。

車が停まるサービスエリアのトイレは絶対に体験しなければならないものだったし、首都高に入ると見えはじめる赤くキラキラしたビル群のデコボコも、その瞬間にしか味わえない特別なイルミネーションの類だった。何よりも、父親が車で流すサザンの曲は、僕にとってこの体験と切り離せない冒険のメロディとして脳に刻み込まれた。

楽園について目の当たりにする綺麗な建物、音楽、匂いは、ゲートをくぐる前から、まるで本当にゲームや映画の中にいるような感覚を与えてくれた。

そんな開園前の物語のクライマックスシーン直前みたいな瞬間が最高に好きだったし、向かうべく車の中から体感するオープニングも、何もかもが僕の心を満たしてくれた。

ディズニーランドは、自分の中で最大の楽しみであり、人生の目的の1つだったようにすら思う。

そんな、過去の自分にとって人生の構成要素の大半をしめていたディズニーランドに、数年ぶりに訪れた。

家をでて最寄り駅の改札をくぐり、東京駅で京葉線に乗り継ぐ。ワクワクはしているものの、あの頃の高速道路を走る車の中に匹敵する感覚は全くなかった。

もう、あの頃の感覚にはなれないのかなと、イヤホンから流れる桑田佳祐の歌声を聞きながら、少し寂しく感じた。

舞浜駅で電車を降りて、ディズニーランド方面へあるき出す。
ボンボヤージュのゲートのようなものをくぐり抜けると、耳に少しずつ音楽が入り始めてきた。

その瞬間から、心の中のどこかの蓋がずれたようにして、ドキドキとして柔らかい幸福を与える何かが溢れ出てきた。

ゲートをくぐり、アトラクションに乗り込む。
ピータパン、ホーンテッドマンション、スプラッシュマウンテン、乗り物の動きに身を揺られたり驚かされたりしながら、その幸せに紐づく音楽を耳にすると、もうどうしようもなく、太刀打ちできなくなってしまった。

どうしようもなく楽しい、幸せに感じている。
ウエスタンリバー鉄道の特定の音程の汽笛。

普段そんなにお菓子は口にしないようにしているのに、いろんな味を試したくてポップコーンを4回も買ってしまった。チュロスももちろん。新発売らしいクリームブリュレ味をチョイスした。

思わず笑顔になるくらい美味しかった。

なぜ楽しいのか、幸せに感じるのかすらわからない。
カリブの海賊で船に揺られながら、周りの景色を見て思った。
何を思わせたくてこんなアトラクションが作られたのだろう。ヨーホーヨーホー、なんて素晴らしく幸せにしてくれる音楽なのだと思いながら、余計なことを考えた。

どうしようもなく心は幸せだと、満たされていると主張していた。なんで幸せに感じているのか、どこに楽しさを見出しているのか、わからない。

エンポーリアムでみる綺羅びやかなキーホルダーやぬいぐるみの数々。季節のコスチュームに身を包むドナルドのヌイバは、絶対にインテリアにも合わないし趣味にも合わない。でも欲しくて仕方ない。購入。

1日を終え、パークをあとにして舞浜から東京に戻る電車の中、ショッピングバッグのつるりとした独自の表面を手のひらで感じて心の中で微笑む。帰宅してベッドに投げ出されたカチューシャは、見ていてすごく愛おしい。充足感は消えなかった。

久々にディズニーランドで過ごした1日は、自分の価値観を見直す上で、とても良い1日だった。

結局、自分はディズニーランドの前では、何も抵抗ができなくなってしまうみたいだ。

自分は、自分の価値観を整理して、どうすれば幸せに感じるかくらい分かっているつもりだったのに、何も分かっていなかったのだなと感じてしまった。

サウナやら、飲み会やら、他にもたくさん楽しいことやストレスを開放するために行うことはあるだろうけど、子供の頃に夢見たあの体験には、何も勝つことはできないみたいだ。

平日は、少し疲弊気味に働き詰めている最近。

会社では、みんなそれぞれ違う夢を見ているような気がしている。
本気で仕事をすれば、結果を残せれば、給料が上がれば幸せになる。

ハッピーエンドの物語。

間違いない、僕もその夢には一定以上は肯定的だし、ディズニーランドへの入場にはお金がかかる。安くはない。

まあ、この心の充足感を与えるものに、値段なんて関係ないような気もする。現実的なところチケットも、飲み会を2回スキップすればお釣りが来るし、また行こうと思う。脱線気味なのでこのへんはまた別で書いてみようと思う。

どんなふうに時間とお金を使うか、事前に失敗しないように考えてみることが、僕の生活の常となってしまった。

そんな打算的な、ある意味で達観的に自分と自分の人生を捉えるようになってしまった。

そういう計算じみたことも、もちろん大事だけども、自分の欲に、すごく忠実に使ってみてから考えると、かえって自分の想定を越えたところに欲しいものがあったと気づいたりもするんだろうな。

自分の核心に一歩迫れた気がする、束の間トリップ。

キャストのみなさん、ありがとう。

#わたしの旅行記

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