見出し画像

LOVE LETTER #6 大丈夫、君は弱虫なんかじゃないよ。

6 t h  L O V E L E T T E R
大 丈 夫 、 君 は 弱 虫 な ん か じ ゃ な い よ 。

何が「強さ」で何が「弱さ」なのか。
ある、僕のとっても大切な人が、僕に問い掛けた言葉だった。僕も、「弱さ」や「強さ」の意味するところについて自分なり
に考えてみたことは、それ以前にも幾度となくあったけど、頷ける答えに出会えたことはなかった。
だけど、大切な人の問いかけに、僕はどうしても答えをみつけてあげたくて、それが少しでもその人がもっと広い世界に立つ
ためのヒントになるならば、どんなことをしてでも、たったひとつでもいいから、どんなに小さなカケラでもいいから、頷ける何か
を見つけたかった。そして、それは、僕自身のことも、深い闇の中から救ってくれる気がしたから。光のあたる場所へと導い
てくれるような気がしたから。
けれど、やっぱり、ハッキリとした答えは、今でもわかんないな。だけど、カタチあるものではないし、それが全ての人を頷かせ
ることをできるわけではない、その人の心を満足に動かすことはできないかもしれないけど、何か、僕の中では確信めいた
何かに出会った気がするんだよね。ひとつの結論に辿り着けた気がするんだけど…。
それは間違ってるって、僕の結論を否定する人もいるかもしれない。けど、それでいいよ。答えはひとつじゃないから。
だけど、こういう考え方もあるんだって、僕の考えを、一人でも多くの人が知ってくれて、「そうだね」って、頷いてくれる人が
一人でも居たら、嬉しいな。
満足できる答え、みつけてあげられなくて、ごめんね。


何が「強さ」で、何が「弱さ」なのか。


僕は「弱い」のかな、「強い」のかな…。


前にこんな言葉を投げかけられたとき、僕は答えをみつけることが出来なかった。


何が「強さ」なのか。何が「弱さ」なのか。


「強く」生きることは正しいこと?「弱く」生きることは間違ったこと?
答えはなかなかみつからなかった。今だって胸を張って云えるような答えはみつからない。

誰かを傷つけるような強さなら、僕は要らない。大切なものを守れない弱さなら、僕は、迷わず今すぐそれを、地面に叩きつけ、投げ捨てるだろう。
何かとてつもなく大きな壁にぶちあたって、前に進むことが出来なくなったときや、もう一度歩き出す勇気が足りないとき、僕は、「もっと強くなりたい」そう願う。だけど、「強くなること」それが僕らの目指すゴールだとは思わないし、それが正しいことだとも思えない。


やっぱり 答えはみつからない。


けど、あの時も今も変わらず言える事は、人間っていう生き物は、時に弱くも強くもあるということ。「強さ」も「弱さ」も両方持っているのだろうということ。
本当は、「強さ」と「弱さ」に、違いなんてないんじゃないのかなって。この二つは、常にお互い共存し合い、同時に存在するからこそ成り立つものなんじゃないのかなって。寧ろ、二つが重なり合うとき、共有し合うとき、初めて存在するものであって、どちらか片方でも欠けてしまうと、それは二つとも、存在し得ないものなんじゃないのかなって。

「弱さ」だけでは前に進めない。「強さ」だけでは見失ってしまうものがあるかもしれない。

「強さ」と「弱さ」。人間は、この二つを持っているからこそ、「弱くも強くもなれる」んじゃないかな。例えばもしも、仮にこのどちらかを失ってしまったら、きっと強くも弱くもなれないんじゃないかな。「強さ」と「弱さ」の二つを持っていて初めて、君は「強く」も、そして時に、「弱く」もなれるんだよ。

何かに傷ついては涙したり、躓く度に逃げ出してしまったり、そんな自分が居たとして、確かにそんな自分は弱々しいかもしれない、決して強くないかもしれないけど、だけど、それは君が「弱さ」と同時に「強さ」だってちゃんと持っているっていう証拠なんだよ。

でも、ここで一つ注意しなければならないことがある。
人間が生まれながらにして与えられた「強さ」と「弱さ」は、どちらとも小さな種に過ぎないということ。この「強さ」と「弱さ」というまだまだ未完成な二つの種を力強く逞しく育てていくこと。
それこそが戦いなんだと思う。
だけど、強くなりたいからといって、「強さ」の種だけを一生懸命育てちゃいけない。すぐには強くなれないからといって、「弱さ」の種だけを大きくしてしまってはいけない。「強さ」だけでは見失ってしまうものがあって、「弱さ」だけでは乗り越えられないものもあるんだろうから。

人は弱い生き物かもしれない。けど、弱いからこそ強くもなれるんだ。云い換えてみれば、弱さを知らなきゃ、強さだって手に入れられない。


弱くなきゃ、強くもなれないんだよ。


けれど、強い人間だって、この世には居ないんだって、僕はそう思う。誰もが「強さ」と同時に「弱さ」を持っているから。だけど、つまり、弱い人間だって、この世には一人も居ないんだよ。

何かに躓き、逃げ出してしまいたくなったり、何かに傷つき涙したり、そんなときは自分を「弱い人間だ」と罵って責めてしまうかもしれない。絶望の淵にたたされて、これ以上前に進めないんじゃないかって、果てしない不安に押し潰されそうになってしまうかもしれない。
明日はもう来ないんじゃないかって、全てを閉ざしてしまうかもしれない。

だけど大丈夫。心配しないでいいんだよ。怖がる必要なんてないんだよ。君は、まだまだ強くない。けど、決して弱い人間なんかじゃないから。自分を責める必要なんて、カケラもないさ。
いいじゃないか。時に強くなったり、弱くもなったりしながら、与えられた「強さ」と「弱さ」という二つの種を大切に育てながら歩いていけば。それが光になるから。


いつも強くなくていいよ。立ち止まったっていいよ。


弱 虫 が 嫌 い だ な ん て 云 っ て な い 。


もしも君が歩き疲れた時や、苦しくて逃げ出したい時は、僕が代わりにその先を歩くから。
弱くたっていいよ。泣き出したっていいよ。全部抱きしめてあげるから。

もしも君が苦しい時や、哀しみの色でその瞳の奥を染める時は、僕が愛を投げるから。手を差し伸べるから。その先を一緒に歩いていこう。不器用だっていい。手探りだっていいんだ。

すぐに全部受け入れるなんてしなくていいよ。「いいコ」じゃなくていい。自分勝手だっていいよ。求めた答えがみつからないならば、もがけばいい。思いっきりもがけばいい。涙したっていいよ。
だけど、心配ないんだ。不安になんてならなくていいんだよ。絶対に答えはみつかるから。
どうしてもみつからないときは、僕が一緒に探すから。僕がみつけてみせるから。
怖がることはないんだよ。それは「素敵」なことなんだよ。「幸せ」なことなんだよ。

大丈夫、君は、決して弱虫なんかじゃないよ。




何が「強さ」で、何が「弱さ」なのか。

僕は「弱い」のかな、「強い」のかな…。


今だって僕にもはっきりとした答えは見えてこないし、きっとその答えに辿り着けるのは、もっともっとずっと遠い未来なんだろう。
もしかしたら、一生出会えないのかもしれない。みつかるって、そう信じたいけど、もしかしたら一生みつからないかもしれない。
だけどね、怖くなんかないよ。
もしも求めた答えに出会えなかったとしても、そしたらそれはそれで、それが一つの答えなんだろうし、「答えを求めてもがいたこと」が、何よりも素敵なんだろうから。僕は絶対に君を責めたりしないから。心から抱きしめ、全部愛すると約束するよ。


何が「強さ」で、何が「弱さ」なのか。

僕は「弱い」のかな、「強い」のかな…。


そんなこと、きっと誰にだってわからない。
けれど、「強さ」が何であろうと、「弱さ」が何であろうと、自分自身の「現実」を真正面から受け止め、必死に生きること、戦うこと。それが出来れば「強さ」が何かなんて、「弱さ」が何かなんて、関係ないじゃないのかな。自分は「弱い」のか、「強い」のか…。そんな風に考えて悩む必要なんてないんじゃないのかな。


強くたっていいから、弱くたっていいから。


どっちも間違いなんかじゃないから。
無理に「強さ」や「弱さ」の意味を求めたりしなくていい。

強くなろうとしなくていい。弱くなろうとしなくていいよ。

君は、「強さ」だって「弱さ」だって、ちゃんと持ってる。時に強くも、時に弱くもなれる。それでいいじゃない。
今の自分を精一杯愛してみてごらん。全部全部、残さず抱きしめてごらん。それが答えだから。それが素敵だから。



大丈夫、不安になんてならなくていいよ。

大丈夫、君だって、手をのばせば飛び立てるから。


大 丈 夫 、 君 は 弱 虫 な ん か じ ゃ な い よ 。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?