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思い立った原点、 そして左手

自己紹介にも書かせて頂きましたが、55歳になろうとしている今頃になって、私は会社員には向いていないとようやく心の底から気付き、赴任先であったメキシコから帰国したばかりであったこともあって、慰労も兼ねて妻と西日本を中心にあちこちを旅しました。その頃はまだコロナがくすぶっていたため、旅行客がそれ程多くなく、各地の暮らしに一瞬ですがひっそりと加えて頂くという感じで、ゆっくり自分のペースで馴染んでいくことができたように思います。

そんな中で出会ったのが冒頭の写真の景色です。琵琶湖畔の渡り鳥の越冬地に立つ宿の窓からは、周囲の山々からの豊かな水をたたえた湖を正面に臨むことができました。冴え冴えとした月が昇り、湖面に光の回廊を織りなしており、その回廊は真っすぐと自分に向かっていました。この時の驚き、畏れ、喜びの入り混じった強烈な衝撃は今も常に当時と同じエネルギーを以て私と共にあります。

この時、私は将来何かを書かねばと、はっきり決意しました。この月に対して抱いた感情をどうにかして言葉にしたい、そして他の人と分かち与えられたら、どんなにか良いだろう。しかし残念ながら今はそれを伝える技術がない、圧倒的な熱もない、本当のところ何故そのように感じたのかもはっきりわからず、伝えるべきものもそれを伝えるのにふさわしい術も何もかも今はおぼろげではっきりしていません。でも、それをいつかは言語化せねばならない、ということだけはわかったのです。琵琶湖の上の月はそう私に告げていました。

家路を急ぐ鳥たち(琵琶湖)

そして、私はとある学校のエッセイコースに通い始め、創作の真似事を始めたのですが、またもや根拠がなく荒唐無稽ではありますが、絶対やらねばならないと確信するお告げに直面しました。

私が書き進める小説もどきの主人公は、仕事帰りの通いなれた道に、見たこともない古ぼけた骨董屋を発見し、ふらふらとその店に入って行ってしまいます。ゆらゆらと揺れる蝋燭に吸い寄せられるように奥に歩みを進めると、鷲の舞う古の大地、そしてそこを深々と削って鹿の角のように流れる河が見えます。それは彼が将来描きたいと思っておりながらまだ言語化できていない、謎と混迷を含みながら表面上は平和なメキシコの原風景です。と、その傍らに一人の少女が立っていて、「私はあなたの左手です」というのです。「私はこれからあなたを支え、助けていきます」と。

ブエノスアイレスの教会

ここで私は思いました。何がしかのことを書くには左手を鍛えねばならない、と。その日からモーニングページ(※よかったらモーニングページの項をご覧ください)を左手で書き始めました。そして、食事の時も、歯磨きも、特に急ぐ必要のない時はできるだけ左手を使うように現在も訓練中です。これらは私の好きなゴルフやドラムの上達にも寄与すると思われ、一石二鳥です。愚かな私の知識不足による誤解かもしれませんが、左手は右脳を刺激し、クリエイティブな能力を目覚めさせてくれるかもしれない、ともひそかに期待しています。

まだ、すらすらと書くところまではいっていないのですが、いつかあの月を見た時の驚きを分かち合いたい、そして謎と混迷に満ちたメキシコの日々をいつか左手を使って小説にしたい。そう心から念じています。

那智大社の大楠(潜ると願いが叶うと言われている)



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