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Hikaru Utada

米ビルボード誌によるインタビュー記事を翻訳してみました。

Hikaru Utada Returns, With ‘BAD Mode’ & A Better Sense of Self


Hikaru speaks about their new album, navigating fame then and now, and identity.

By Bradley Stern

ここ数年、世界はBAD MODEから抜け出せないでいる。

しかし、全てがBADなわけではない。宇多田ヒカルをはじめ、多くの人にとって、この時期は人間関係の優先順位を下げ、内面的な棚卸しを行い、セルフケアに励む時期でもあったのだ。その結果、1月19日、宇多田ヒカルの4年ぶりのアルバム『BADモード』が、〈Milan Records/Sony Music Masterworks〉からリリースされたが、その過程で個人的に重要な発見があった。

1998年、15歳でデビューしたヒッキーは、共同制作によるシングル「Automatic」と「Time Will Tell」で一躍スターダムにのし上がり、1999年には日本史上最高のアルバムとなる『First Love』を発表した。R&B、ポップ、ロック、ジャズ、エレクトロニカなどの要素を融合させた進化し続けるサウンドと、イメージ豊かなソングライティングで、長年にわたり数百万枚のレコードセールスを記録している。映画、テレビ、ビデオゲームのサウンドトラックにも数多く参加し、中でも「キングダム ハーツ」シリーズの主題歌である「光」とその英語版「Simple & Clean」は最も愛されている作品となっている。

2000年代半ば、日本での知名度から一転、アメリカでは比較的無名の存在となった彼女(she/they)は、エレクトロ・エクスペリメンタルな英語作品という新たな挑戦のためにアメリカに戻ってきた。『Exodus』は、アジアのポップスターとしては最も早くメジャーレーベルとクロスオーバーした作品のひとつで、ビルボードの「U.S. Dance Club Songs」というチャートでトップとなった「Devil Inside」を生み出し、Queer as Folkにも収録されている。

『Exodus』とR&B色の強い2009年の次の作品『This Is The One』は商業的な大成功を収めたわけではないが、それでも先駆的な偉業だった。特に、アジア出身の人気アーティストがまだ米国のチャートにほとんどいない時代、そしてSNSやストリーミングによって、もっと世界のアーティストにアクセスできるようになる前だった。しかし、『Exodus』はその後もファンに愛され、その自由な精神は約20年後の『BADモード』セッションにインスピレーションを与えることになる。

アメリカと日本を行き来する生活を送っていた彼女は、現在ロンドンに拠点を置き、最新作のリリースを控えている。『BADモード』は、初期を彷彿とさせるR&Bのメロディーに彩られながらも、ここ数年で最もエレクトロニックな作品となっている。眩しい「One Last Kiss」、セルフ・エンパワーメント・ダンスポップ「Find Love」、12  Min. Extended Remixのような「Somewhere Near Marseilles-マルセイユ辺り」など。

生と喪失についての感動的な瞑想である2016年の『Fantôme』、その2年後の内省的な『初恋』に続き、「また音響的に結構変になった」と話すヒカルにとって、本作は注目すべき変化と言えるだろう。マルチな才能を持つこのミュージシャンは、しばしば自身の作曲を一手に引き受けているが、PCミュージックの巨匠A.G. Cookや、Floating Pointsとして知られるイギリスのプロデューサーSam Shepherdなど、数名の重要なゲストがさらなる華を添え、楽曲とアーティストを新しい領域に押し上げている。また、6歳の息子という意外なコラボレーターもいる。

『BADモード』はまた、昨年ヒカルがInstagramで行ったライブで、彼女(she/they)がノンバイナリーであることを公表し、注目を集めた時以来の作品である。この短期間でのリリースは即席のように思われたが、実はそうではなく、世界中のファンの愛とサポートが溢れ出たからだ。『BADモード』は、特に自分自身への愛とサポートをテーマにしている。

新譜とそれに伴う配信ライブ、アイデンティティ、若くして名声を得ること、そしてあらゆる形の人間関係の改善について、ヒカルはビルボードに語ってくれた。

__『BADモード』は意外なタイトルですね。この言葉にはどのような意味があるのでしょうか?

実は、英語と日本語が混ざった変な言葉なんです。英語ではあまり意味がないのは分かっています。日本語でもそうなんです。これは現代的なもので、どちらかというと若者向けのものです。日本語では、英語の“bad”を“Oh, it gives me the bad”とすると、「憂鬱になる」とか「嫌な気分になる」という意味になるんです。つまり、“bad”は“bad vibes”の略なんです。この曲での使い方は、素晴らしい気分にあることの反対なんです。一言で言うと、ちょっと落ち込んでいるというか、ちょっと低調な時期が続いているという感じですね。

__このアルバムの制作期間もそんな感じでしょうか?

アルバムを作っていた期間はそういう感じではないですが、誰にでも落ち込むことはありますよね。落ち込んだり、元気だったり。この曲を書いた頃は、人間として、パンデミックの影響でみんな大変な時期でした。

あと、友人や家族との間でも、応援したくなるようなことがたくさんありました。友人、家族、パートナー、恋人など、他者との関係において、良き支えとなるとはどういうことなのか。あの曲は、私が「誰かに何を求めるか」を考えるためのものでした。そして、「どうしたらそれを誰かにしてあげられるのか」ということを考えました。最終的には、それが答えだった。「どうすれば自立して、自分自身と良い関係を築けるか。そうすれば周りとの関係も良くなるのか。」

__昨年のインタビューであなたは、前作について、これまでのアルバムでは他人との関係からインスピレーションを得て音楽を作っていたが、今作では自分自身との関係をより重視した作品に仕上がっていると説明されていましたね。

そうですね、あのアルバムの曲を作っている間は、自分自身との関係や自己愛、そして全体的なことに取り組むことにとても集中していました。...私はル・ポール(RuPaul)が大好きで、特に『ル・ポールのドラァグ・レース』が大好きなんです。とても刺激的で、感動的です。「自分を愛せず他人を愛せるか?」というメッセージがあります。アーメン!「そう!まさにその通り!」って思いました。

__では、『Drag Race』がこのアルバムのインスピレーションになったと言っていいのでしょうか?

はい。

__好きなクイーンはいますか?

最初のシーズンから見ています。いい子が多くて、いや、みんないい子なんです。でも、記憶に新しいのは英シリーズで、ビミニ・ボン・ブーラッシュ(Bimini Bon Boulash)。彼女は本当に際立っていました。彼女が優勝すればよかったのにと思います。成長に共感しました。私は、自分が成長したり、心を開いたり、自分について何かを発見したりするのを感じると、わくわくするんです。あのシーズンでは、彼女にそれが見えたような気がします。だから、個人的にとても思い入れがあったんだと思います。

__10年前、私は『Exodus』の音楽を通してカミングアウトすることについて書きました。あなたは、確か最初の英語のツイートでそれをシェアし、あなたにゲイのファンが多い理由について、そのツイートがヒントになったと言っていましたね。まず最初に、ありがとうございます。

いや、こちらこそ。

__あなたの音楽がクィア・コミュニティにどのように響いているか。お考えがあれば教えてください。

そうですね。私にクィアのファンが多いのは自然なことに思えました。驚くようなことではありませんでした。ただ、納得がいったのです。アウトサイダーであるとか、自分自身でいられないという感覚は、恐ろしいものです。ありのままの自分を受け入れてもらえないのではないかという恐怖。とても共感できます。私の孤独感やアウトサイダーとしてのアイデンティティーが、共有できるものだと分かると嬉しくなります。一緒に感じることができるんです。

__あと、「Pride」での発表について、まだあまり詳しく語られていないと思うので、そのきっかけを作りたかったんです。

私が「ノンバイナリー」という言葉を知ったのは、2年前のことです。私がその考えに出会ったのは...日本語では、「目から鱗が落ちる」という表現がありますよね。変な表現ですが、まさにそんな感じでした。エウレカというか、ショックに近い瞬間です。

男の子と一緒にいるときは、男の子になろうとしているような気がした。女の子と一緒にいるときは、女の子になろうとしているような気がした。何一つ自然な感じがしないのです。社会的な場面でなんとなく無理をしているようなところがあったり、自分の体を見て、毎回「あれ?まあ...いいか」と思っていました。でも、信頼できる人にそういう話をすると、いつも「そうか、君は変なアーティストだね」みたいな感じになるんです。「ああ、そういうの分かるよ」っていう人には会ったことがないんです。自分のことだと思ってたんです。同じようなことを感じている人が大勢いることを知り、今までで一番納得のいく体験でした。世界との関係も、自分との関係も、全てが変わりました。でも、みんなに話さなければいけないと思ったわけではありません。

そして時は流れて、大きなプラットフォームを持つ人たちが、「私にできるのはこれくらいだ」と言っているのを見ました。可視性はとても重要なのです。私は実感していました。それで「よし、失うものはない」と思ったんです。

InstagramのQ&Aは、その頃と重なりますね。私はいつも、質問にはテーマがあることに気付きます。多くの人が、ゲイであること、カミングアウトできないこと、パートナーがいるのに言い出せない罪悪感などについて質問していました。「みんなに好かれようとしてきた結果、自分が何者なのかわからなくなってしまった」という人もたくさんいました。それは、つながっている問題だと思いました。それで、自分に何ができるのかを考えたんです。

できることをやろうという気持ちは大きくなっていたのですが、正式に言うのはまだすごく怖かったんです。自分でも怖いし、これでクビになるとか、家族のサポートがなくなるという心配もない。友人も家族もみんな元気だろうし、やっぱり本当に怖いんです。私が怖いのは、私の知らない人たちが持つかもしれないパブリックイメージのようなものを失うことだけです。そんなのバカバカしい。私が言えば、良い影響があるかもしれないと。結局のところ、私は正直に言っただけなのだから、何の害もないでしょ?

でも、やっぱり怖かった。言う前に少し震えたのを覚えています。でも、テディベアのくまがいないとダメなんです。その後、特に日本での反応が激しかったので、しばらくSNSを控えていました。でも、自分がノンバイナリーであると言って、本当によかったと思っています。いい決断でした。全ての愛とサポートは本当に素晴らしかったです。

__すごい一歩でしたし、多くの人に刺激を与えたと思います。おっしゃるとおり、可視性は重要です。

ありがとうございます。

__SNSに関していうと、人生観をつぶやいたり、Instagramでは見つけたモノをシェアしたりしていますね。ブログの更新をしていた時期もありました。今はSNSとどのような関係性にあるのでしょうか?見てたりしますか?

あまり積極的にはやっていません。必要性を感じないんですよね。「あぁ、仕事関係のことを宣伝したり、アルバムが出るということに触れたりしたほうがいいんだな」とはよく思います。でも、私は自分が見たものをただ共有するのが好きなんです。

私は、何かを見つけるのがとても好きなんです。失われたものや置き去りにされたもの。自分が見つけたモノを見ると、これを失った人やモノが頭に浮かぶんです。本気で。今日も絆創膏が落ちているのを見つけて、テンションが上がりました。写真も撮りました。Instagramに投稿するのがとても楽しみです。「あぁ、宣伝に使うの下手くそだな」と思うところまできましたが、別にいいんです。

__喜びを生むものであればいいことでしょうね。今日、ほとんどの人がSNSとネガティブな関係を持っています。アルバムの中で、あなたの私生活に触れることができるのは面白いことだと思います。「気分じゃないの(Not In The Mood)」では、小さな声で歌っていますが、これはあなたの息子さんですか?

はい、私の息子です。この曲は自宅のこの部屋で作っていたんだけど、息子が入ってきて私の膝の上に座ったので、「聴く?」と言いました。彼は「それじゃあ、こんなのはどう?」と言って歌い始めました。私は「そうそう、いいんじゃない?録る?」彼は私の椅子の上に立って、ヘッドホンをしてちゃんとマイクに向かって歌ったんです。それがすごく良かったから、曲になりました。

息子だからということで使ったわけではありません。息子には、「曲に入るとは約束できないけど、入るかもしれないよ」と言っておいたんです。出来上がったものを聴かせて、私は「ほら、いい声してるでしょ。最後にあなたの声が入ってる。一番いいところだよ」って言いました。彼は「そうだね、僕のパートは他のコーラスにももっと入るべきだよ、ママの歌声にエコーするような感じで」と言いました。

__すごい!もう音楽的な耳を持っているんですね。

ええ、彼はアイデアを持っています。彼の大胆不敵で、自信を持って自分を表現しているところが好きなんです。

__宇多田ヒカルのレガシーをどの程度意識しているのでしょうか?

意識していますよ。2018年末に行われた私の日本公演に、彼は来てくれました。彼はドレスリハーサルと東京の1公演、大阪の1公演を見ました。彼はそれをかなり覚えていて、私の曲も知っている。彼は私が一番好きな歌手だと言っています。私はただ......笑、あぁ。でも、彼は他の曲も聴いてますよ。私の曲だけを聴かせてるんじゃないんです!他のアーティストの曲は聴かないの!笑

でも、本当にかっこいいんですよ。彼は歌手になりたいと言ってます。それと科学者。サッカー選手にも、探検家にも。彼は私が歌手であることを知ってます。美容院で髪を切ってもらっているとき、「そう、歌手になりたいんだ。僕のママも歌手なんだ」って言うんです。私が作ったものを見て、誇りに思ってくれるなんて、本当にラッキーだと思います。

__それはとても素敵なことですね。もし今、当時と同じ年齢でデビューしていたら、もっと楽だったと思いますか?

もっと大変だったと思います。あの時は、プライバシーがなくなって、パパラッチに囲まれるだけでも大変だったんだから。10代というのは大変なものです。14歳というのは難しい時期です。とても繊細な時期です。脳もまだ変化している。自分が何者なのかもまだ分かってない。自分自身の見解に、自分のものではないレンズを加える人たちは必要ないんです。でも、有名になるとそうなるんです。誤解されるのは辛いことです。その影響を少なくする方法を学ぶことはできると思いますが、誤解されることで生じる傷みを完全に免れることはできないと思います。孤独感も。

タブロイド紙やパパラッチもいてよかったと思います。インターネット時代の幕開けの頃で、こういう掲示板があったんです。15歳の時「宇多田ヒカルを語ろう(The let’s-talk-shit-about-Hikaru Utada forum)」という掲示板を見た。最悪ですよ(Fucked up)。今思えばありがたいことなんですけどね。彼らはただ話をする相手が必要だっただけなんです。私は目につきやすく、すぐに利用できる存在でした。成功しているように見えると、「あの人はどんなに素晴らしいことをしているか見てみよう。あの人は嫌いだ」と思われがちです。私には関係ないんです。自分と切り離して考えることを教えてくれた。有名な人なら誰でもよかったんです。

__今、あなたはロンドンに住んでいて、このレコードと同時に初公開となる配信ライブを録音しました。その準備、セットリストの選択、そしてその経験自体について話していただけますか?

どうなることかと思いましたが、とても特別でリラックスしたパフォーマンスができました。ツアーに比べると小さなチームなので、このプロジェクトに関わった全ての人と親密に交流できたのがよかった。リハーサルから穏やかな雰囲気があったので、本番では私の創造的なプロセスについてより私的な側面を共有できたと思う。

そして、バンドの演奏も素晴らしい。 彼らのやっていることや機材などをたくさん見ることができるのはとても良かったです。当初はアルバム全曲を演奏しようと思ってたんですが、アルバム全曲の調整が間に合わなかったんです。でも、そのおかげで過去の楽曲を何曲か入れることができたから良かったです。新曲のフィーリングにも合っているようだし、楽しいチャレンジでした。

__大ヒット曲や、キャリアの中で大きな節目となった曲がありますね。振り返ってみて、個人的に特に誇りに思っているアルバムや曲があれば、その理由を教えてください。

もし何か選ぶとしたら、『Exodus』ですかね。自分がどれだけ大胆だったかが分かるし、今でも奇妙で、新鮮で、刺激的なサウンドを聴かせてくれるから...あと『Fantôme』は、アーティスト/人間としてのニュー・チャプターとなった作品です。それまでで最も正直で、勇気のある作品でした。

__新作は、ある意味『Exodus』と比較することができます。それは意識的に決めたことなのでしょうか?

もっとクラブ的な、ダンス的なものを聴いていました。そのジャンルを表現するのは、なんかプロらしくない感じですね笑、うん。「Find Love」を作った頃は、ハウス・ミュージックにかなりハマっていました。MoodymannやGlenn Undergroundのような新しいアーティストを発見して、すごくハマりました。Glenn Undergroundの「May Datroit」を聴くと、「Find Love」に影響を受けているのが分かると思います。

『BADモード』以前の2枚のアルバム(『Fantôme』と『初恋』)は、生楽器を多用するという意味で、私にとって実験的な作品でしたが、とてもいい勉強になりました。ラッキーでしたね。素晴らしいミュージシャンに会えましたから。他の人たちを信頼し、自分のコントロールが及ばないところで何かを実現させるということでした。デモを作って指示を出すことはできますが、彼らを信頼して、何が起こるかを見守るしかないのです。そうすることで、自信がつき、何事に対しても少し大人になったような気がしました。

そんなアルバムを2枚出した後、またサウンド的にとても奇妙なことをやりたいと思いました。そこに戻りたかったんです。『Exodus』を思い返すと、自分の中で解放されたような、似たような感覚を覚えました。ゼロから作り上げた電子音で、それを実現させたかったんです。

このアルバムでは、素晴らしい協力を得ることができました。小袋成彬とのコラボレーションは本当にクールだった。以前から、彼の作品でも一緒に仕事をしていました。A.G. CookやFloating Pointsとも一緒にできて幸せでした。彼らに出会えて、一緒に仕事ができて、本当にラッキーだったと思います。友情もある。一緒に面白いものを作ることができる新しい友だちができたことは、本当にクールなことです。

__あなたはいつもプロダクションに携わっていますね。最終的に、「よし、そろそろコラボレーションしよう」と思うのはどのようなときですか?

私にとって、音楽制作は常にプライベートなものでした。それは、ほとんど必要に迫られて生まれた、私の安全な空間です。だから、音楽制作に没頭するためには、自分一人で、安全だと感じることが必要だったんだ。だから、あまりコラボレーションをしたことがないんです。空間を共有して、心を開くのは難しいことでした。でも、基本的に私がほとんどのトラックを担当した曲でも、私はそうしました。技術的な面で外部の助けが欲しかった。「これは私が作ったものだけど、もう少しこういう音に変えたい」と言えるように。そのほうが、私にとっては理にかなっているんです。

クールでフレキシブルな人たちに出会えたということですね。あとは、自分がしっかりしてるから、自分のやりたいことを伝えられるというのもあるかもしれない。それができるようになったんだと思います。以前は、それをうまく説明することができなかったんです。ミュージシャンと一緒に仕事をすることで、曲の方向性を言葉で説明する練習をたくさんしました。結局のところ、音楽は共有言語なのです。同時に、彼らには社会的にも音楽的にも助けてもらっています。

__1枚のアルバムに複数の曲の日本語版と英語版が収録されているのも、今回が初めてですよね。

自分に制約をかけることをやめたんでづ。1枚のアルバムに英語の曲と日本語の曲の両方を入れるのはどうだろう?  私は両方の言葉を使って生活しているんですけど、今思えば、その二つの言語を分けて考えないといけないなんて、変な感じですよね。

__このアルバムを作るにあたって、自分自身について新たに学んだことはありますか?

私は愛がある人間だということを学びました。私はいつも、愛が何なのかわからない、どこかおかしいんじゃないかと怯えていて、人の言う「感覚」というのは、つかみどころがなく、謎めいているように思えました。今でも私は愛を「感情」として体験していないと思います。

私なりに考えた愛とは、または私にとって誰かを愛するということは、相手がどんな状況下にあっても、常に愛されていると感じられるように、ベストを尽くすことを約束することです。そして、自分自身のためにもそうしようと心がけてきました。「Find Love」、「PINK BLOOD」、「BADモード」など、自己愛や自尊心、そして誰かのために存在することを歌った楽曲に取り組むということは、今の私があるまでの旅の一部だったんです。

__2022年の宇多田ヒカルにとって、成功とはどのようなものでしょうか。また、成功の定義は年々変わってきていますか?

成功...すごいな。今まで誰もそんなこと聞かなかったと思うんだけど。

日本の詩人であり小説家である宮沢賢治の好きな言葉を思い浮かべますね。「本当の幸せが何なのか、誰にもわからない、ましてや自分には。しかし、どんなに困難であっても、自分が真実と思う道を歩めば、どんな山でも乗り越えることができる。その一歩一歩が、人を幸せに近づけていくのです」と、灯台守は慰めるように言った。「私もそう思います」と青年は祈るように目を閉じた。「しかし、本当の幸せにたどり着くためには、多くの悲しみを乗り越えていかなければなりません」(『銀河鉄道の夜』)

私は、成功という概念をあまり信じていません。それは、私たちの心の中に存在する観念に過ぎないと思う。失敗というのもないと思います。今自分が何をするかによって、過去に起きた意味を変えてしまうことができるからです。失敗だと思っていたことが、振り返ってみると「あぁ、あのおかげで今ここにいるんだ。成功したんだな」と思ったり、その逆もあり得ます。振り返るタイミングは人それぞれだと思うんです。それは解釈であり、常に変化するものです。それが、いろいろなことをやり続けることの良さだと思うんです。唯一の失敗は、もし私が挑戦をあきらめた場合です。だから、私にとっての成功の年とは、挑戦し続ける1年ということなんでしょう。挑戦し、学び、成長する。

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