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「チェーホフの手帖」と信濃八太郎さんとのインタビュー

今回はロシアのイラストレーターではなく、逆に日本のイラストレーターについて 投稿したいと思います。

東京に住んでいる知り合いのイラストレーター、アニメーターのカーティア・ドミトリエワさんは信濃八太郎さんの最近のOPA galleryの展示に伺って、イラストレーターとのインタビューをしました。信濃さんとカーティア・ドミトリエワさんの許可を頂いて、ここでインタビューを投稿させていただきます。

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このOPAギャラリーの展示では、アントンチェーホフの日記をインスピレーションの主な情報源として選択しました。これまでにロシアの文学や芸術を参照したことがありますか?ロシアのアーティストやイラストレーターをご存知ですか?

ロシアの芸術家の作品をテーマに展覧会をしたのは、今回が初めてです。
チェーホフの作品は、ロシアでしか書かれなかった世界ではありますが、彼の「人間を見つめる目」は、国も時代も超えるものがあり、それが自分の胸に迫り、以前からいつか形にしてみたいなと思っていまして、今回の展覧会につながりました。
「彼は(コレラではなく)コレラへの恐怖で死んだ」なんて、今のコロナが覆う社会に通じると思いませんか?

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ロシアの20〜30年代の絵本はとても美しいものがありますね。
Vladimir Lebedev、Vladimir Konashevich、Samuil Yakovlevich Marshak、Ilya Kabakov、たくさんのロシア人芸術家が、日本でも紹介されています。
Yuriy Borisovich Norshteyn のアニメーションは、素晴らしいですね。
家族への暴力が報じられた、Eduard Nikolayevich Uspensky のニュースは残念でしたが。

信濃さんの作品(OPAギャラリーおよび東京イラストレーターズソサエティのウェブサイトに掲載されている作品)から判断すると、テキストはグラフィックと活発に相互作用しています。アートワークにおいてテキストはどのような役割を果たしますか?

今回の展覧会に限って言えば、自分のアート作品を作るというよりは、チェーホフの言葉を広めるポスターのようなニュアンスで制作しました。率直なものから皮肉のきいた言葉まで、自分の心に響いた言葉を、誰かと共有したいという思いです。
日本のイラストレーターの仕事は、クライアントからの依頼があって初めて成立します。それは作家の文章だったり広告のコピーであったり、文章が先にあって、それをビジュアルイメージとして広め伝えるのが、イラストレーションの役割だと、個人的には思っています。そこが何もないところから作品を生み出すアーティストとイラストレーターの違いなのかなと思っています。

従来のモクハンガの印刷手法の他に、このビデオに示すように、アニメーションも使用します。この作品とその背後にある考え方について教えてください。アニメーション化されると、グラフィックスへのアプローチはどのように変わりますか?

懐かしい映像をありがとうございます。このアニメーションはコンテンポラリーダンスの舞台美術として作ったもので、その作品の演出家の意図として「真摯に生きる人の、生活のなかから生まれる動きはそのままダンスになる」というものがありました。それを補完また時には脱線するために、モノクロームにして、人間の営みの変遷のようなことをモチーフに描きました。作品はウクライナのダンスフェスティバルで公演され、僕も一緒に同行しました。技術やテクニックではない作品の見せ方、という意味では、今回の木版画と自分のなかでは通じていて、そういう「手を動かして表現することそのものの喜び」みたいなことが好きなんだと思います。

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信濃さんは日本大学芸術学部、演劇学部、舞台デザイン科を卒業しましたが、今日、信濃さんの作品の多くは何らかの形で風景写真に関連しています。風景画の経験は信濃さんのイラストの仕事にどのように役立ちますか?

実際に見た風景の印象が、気づくと自分の内面、感情と重なっているというのは「俳句」に代表される日本人の感性そのものだと思っています。わかりやすく言えば、水たまりに浮かんだ桜の花びらを見て、過ぎ去った時間へ慈しみと感じるのか、それともただ汚い水たまりと感じるのかという意味です。そういう視点で街を眺めれば、すべてがイラストレーションにつなげていけると思っています。


東京イラストレーターズ・ソサエティのウェブサイトに掲載されている作品の多くはポートレートです。ポートレートを扱うときに信濃さんにとって最も重要だと思うのはどれですか?

ポートレイトを描く時には、あまり「似せる」ことばかり考えずに、描く本人になって考えています。ピカソを描く時には誰にも譲らぬ絶対的な自信、ヘミングウェイを描く時にはどこか哀しみを帯びた目、トランプを描く時には「誰が描いたんだ」と怒りだす気分。描いてるというより、演じているというのに近いかもしれません。

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東京イラストレーターズ・ソサエティの会員であることについての質問。これはおそらく日本国内だけでなく国外でも最も有名なイラストレーター協会のひとつでしょう。そのメンバーであることは、信濃さん信濃さんのアートに影響を与えますか?

TISは、イラストレーターを目指し始めた学生時代の頃から憧れの団体でした。いまは個人でも世界に発信できるツールが揃っているので、今の若い人が同じように感じているとは思いませんが。
TISは最近は中国のソサエティと共同で展示をしてみたりと、世界に繋がっていくことを目指しているので、これを機会にまたロシアのイラストレーターの皆さんとも繋がっていけることを希望します。

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日本のインディペンデントアーティストになるのはどれほど難しい/簡単ですか?

日本に限らず、世界のどこでもアートでお金を稼いで生きていくというのは簡単なことではありません。僕もいまはイラストレーターとして子供も育て生活を成り立たせていますが、来年も同様にできるのかどうかわかりません。そういう気持ちで20年ほどやってきています。
それでは仮に、お金が稼げなくなったら絵を描くのをやめるのか?
この問いへの答えが、インディペンデントアーティストになれるのかどうかの分かれ目だと思います。僕の答えはもちろんNO!です。描き続けていきましょう。

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TISのウェブサイトには、アーティストとしてのキャリアパスの説明があります。信濃さんがそれに加えて、ご自分の物語について私たちに伝えたいことはありますか?

 日本のイラストレーションに興味を持っていただいてありがとうございます。日本では長らく、本の装幀や広告、絵本などの仕事は、画家やグラフィックデザイナーの仕事でした。それをそれまでグラフィックデザイナーとして絵を描いていた四人の若者が「僕たちは今日からイラストレーターと名乗ろう」と名乗ってくれました。
灘本唯人、宇野亜喜良、和田誠、横尾忠則の四人です。
灘本先生と和田先生はお亡くなりになってしまいましたが、心に響く絵をたくさん残していますので、ぜひ見てみてください。
その下の世代には、安西水丸、原田治、湯村輝彦など、数え上げればきりがないほどたくさんの人たちがいて、そこから僕らのようなイラストレーターが生まれました。僕の先生は安西水丸さんです。

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信濃八太郎さんのTokyo Illustrators Societyのページ
信濃八太郎さんのホームページ
OPA Gallery
カーティア・ドミトリエワさんのこの記事のロシア語のバージョン


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