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どこで誰がみてるかわからないので

 お天道様のことでもそう、学校でも会社でもSNSでもそう、世の中どこで誰がみてるかわかりません。(噂は特に怖い😱)
 なので、自分らしくないことはしない方がいいと常々思います。度が過ぎたかなと思ったら加減を覚える練習にもなるし、とのことでこんばんは。
 冒頭の👹の写真は鬼北の道の駅にあったモニュメント(?)です。悪いことをしたら閻魔様に舌を抜かれるという迷信は案外今も私は信じています。
 悪いことの程度にもよると思うのですが、後々自分にマイナスになるようなことはしない方がいいということです。後悔の念に苛まれて一生暮らすより、自己満足でもいい事をして気持ちよくあの世に渡った方が気持ちいいと思っています。
 とは言っても、私は悪い事をしたことがないって言ったら嘘になります(−_−;)他人の触れてはいけない話題に土足で入ってしまったり、ルールを破って注意を受けたりしますし、親にも周りにも迷惑をかけています。
 SNSで流れていたのですが、インドのことわざで「他人に迷惑をかけてしまうのは当たり前なのだから、他人には寛大になろう」と言ったニュアンスの言葉があり、対して日本は「人様に迷惑のかからないように生きよう」とありました。
 一切、人に迷惑がかからない生き方なんてありませんから、後者の考え方の息のし辛さ!と比較して思いました。それでも日本には良さがあります。
 万物に魂がこもっているという考え方があるので「勿体無い精神」があることです。モノを大事にするからこそ、昔の人は妖怪の存在を信じていたようですし、今では希薄になっている人間関係をつなげるためのイベントごとも今より多かったのではないのでしょうか。
 世の中というのは運命共同体でできていると思っています。今、いくら一生懸命生きててもずっと悪いことが続いたならその分、後で良いことが突然自分に巡ってくると私は信じています。(実際そうなので)

 もし開き直って悪事を働こうものなら背後に鬼が見張っていて.....地獄の怖い門番に告げ口をされるかもしれませんね。

 私は妄信的に信じるより、無宗教者でありつつ、都合よく信じて生きていたいものです。

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