見出し画像

俺の人生が狂い始めた話

まず注意事項を
・人によっては不快な内容になるかと思います。そういった場合は、見るのを控えた方がいいです。

小さい頃から自分が生まれたことを後悔してた。
障害のこととか色々。
勝手に自己紹介させて貰うが俺は20歳のうつ病、自閉症持ち。オマケにFtXの聴覚過敏持ちという、生きてても意味のない人種だ。
幼少期、母親からはストレスの捌け口として包丁を突きつけられ、ヒスって追いかけ回されるという毎日を繰り返していた。
今となっては立派な虐待だが「お母さんをいじめる親戚が悪い、自分が我慢すればいいんだ」当時の俺はそう信じてやまなかった。

話は飛ぶが俺が狂い始めたのは中学生の頃、学校では「〇ね」「キモイ」「お前学校来るなよ」「消えろ」などの罵詈雑言や、仲間はずれ、無視や階段から突き落とされるなど、担任、副担の教師や同級生の男子数人、先輩とも呼びたくない上の奴ら数人から受けていた。

まぁ、必然的に俺は不登校になり、自室に篭もりっきりに…それに合わせるかのように元々持ってた聴覚過敏が重症化した。その時に1番腹が立ったのが担任が押しかけて来たこと「どうしたの?悩みがあるなら言っていいんよ」と…どの口でそれを言う、と思った。
クラスからの手紙とか来たが怒りに任せて全て捨てた。
中1の冬休み前までは居場所があった。

冬休み…親戚が帰ってきて「甘え」「お前が悪いんだろ」との言葉…口は悪くなるが「〇ね」と思ったね。
そこがきっかけなのだろう、両親が「学校行け」と囃し立てたのは。この頃から性別に違和感は感じてたものの、これの比じゃなかった。

2月某日、相変わらずの学校行けコール。ついに全てどうでも良くなった俺は自傷行為に手を出した。親が全力で止めてるのが当時の俺は腹立たしかった。
その時に怒りに任せて手当り次第にものを投げまくり、親の制止も振り切りまた手首を切り始めた。
「やめて」という親の叫びを期に、親と対面した俺は開口1番「なんで降ろさなかった」と親に言った。
「お前らが降ろしてくれればこんな思いせずに済んだ」と。「そんなに学校行って欲しい?俺の思いはどうでもいいの?世間体優先なのか」と。
黙り込んだ親に腹が立った俺は「そんなにいうなら殺せよ、今すぐ殺してくれよ!!」と嘆願した。包丁を握りしめて…それから親は登校拒否を黙認してくれた。

中3からは別クラスになり、何とか学校には行き始めた。そこでの学校生活は楽しかった。
先生達は優しくて「こんな俺でもいていいんだ」と思えるくらいには回復した。

時が経って俺が17歳の時、「不登校だったお前がなんで生きてんの?」「自閉症とか一家の一家の恥晒し」という親戚の言葉を期に、再び狂い始める。
16の時に両親離婚して、父親の方に籍を入れていたが母親が別居すると同時に親戚は、俺に攻撃対象を変えていた。
先の言葉を皮切りに、昔の記憶とかがフラッシュバックしてきて、再びストレスフルな生活が幕を開ける。
しばらく手を出していなかった自傷に、また手を出し始めた。
そんな生活が1年半くらい続き、18の夏。
とうとう限界を迎えた俺は自殺未遂を繰り返し、精神科に相談、帰ってきた結果は「重度うつ病」だった。
まぁ、入院になった。そこから2週間くらい入院になり、月一で病院通いになった。
この時は高校中退してた。

そこから回復し、今に至る。
今は踏んだり蹴ったりだけど昔ほどのストレスフルでは無い。
そんな俺も去年成人し、20になった。
今は地元の障害者施設で仕事している。毎日楽しい

なんでこんな話をするかと言うと、いじめは人を狂わすというのが言いたかった。
あとは今苦しんでるそこのあなた、逃げるのは悪じゃない。むしろ善だ。
逃げなかった結果こうなったからこそ言いたい、苦しかったら全力で逃げろ、と。

今回は以上です
文法ぐちゃぐちゃの読みにくい文ですみません。
最後に、仕事の合間に、趣味として絵師やってます!
息抜きに我が子のお気に入りでも見ていってくださいな!



藍崎零苑(あいさきレオン)
死神の女性
杏珠(アンジュ)
藍崎零苑の傀儡型式神。いわば手下

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?