ヤマト連合国家vs中華グローバリズム/弥生・古墳・飛鳥時代|茂木誠

縄文時代からいかにして弥生時代に入ったのか?
稲作と鉄が伝わり、日本に稲作文化が広がり、土器が弥生式に変わり、
人々は定住し、村ができ、人口が増えた。そして村が大きくなり、
争いが生じ始めた。
しかしそれはある日突然訪れたわけではないのだが、
さらりと歴史では習うのみ。
しかし今ではわかっていることは、縄文時代にも稲作があり、
さらに原始的な生活をしていたわけではないということ。
こちらを見てもっときちんと知るべきと思いました。
なぜなら今も昔も、パターンは同じだからです。

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