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【レビュー】『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』金間大介著―なぜ若者は「いい子」になった?―

「最近の若者は素直で大人しくて真面目な子が多いなあ」

こんな感想を抱く人は多いのではないだろうか。

「キレる10代」と言われ、大人から恐れられたかつての若者の姿は、今やほとんどない。

一見喜ばしいことのようにも見えるが、本当にそうなのか?
素直で大人しい若者たちには、何か重大な問題があるのではないか?

問題とまではいかなくても、どこか違和感を覚える年長世代も多いと思う。

本書を読むと、そうした違和感の正体がわかるはずだ。

「いい子症候群」の若者たち

大学で教鞭をとる著者の金間氏は、普段接する若者の性格や特徴を踏まえ、彼らを「いい子症候群」と名付けている。

「いい子症候群」の特徴はこんな感じだ(本書全体から大まかに抜粋してみる)。

・一見、素直で真面目、さわやかで若者らしい
・主体性や積極性がなく、指示待ちの姿勢が強い
・横並びが好きで、競争を避ける(というか嫌う)
・協調性は高い
・目立ちたくない、周りから浮きたくない
・物事を自分で決めたくない
・自己肯定感が低い
・やりたいことがない
・保守的で安定志向

何となく「いい子症候群」の人物像がイメージできるのではないだろうか。

イケイケの青春時代を過ごしたバブル世代などは、理解不能だと感じるかもしれない(若いのに全くガツガツしていないじゃないか!それで人生楽しいのか!?みたいな)。

現在アラサー世代の私は、そうした年長世代の気持ちもわかる一方、「いい子症候群」の若者の気持ちも理解できる。
というのも、私自身「いい子症候群」の傾向があるからだ。

とはいえ、本書で詳細に語られる、今どきの若者(大学生)の実態には驚かされることも少なくなかった。

たとえば、(本書のタイトルにもなっている)皆の前でほめられることへの抵抗感。

「いい子症候群」の若者は自分に全く自信がない。
そのため、ほめられると「ダメな自分」との間にギャップが生まれ、「圧」を感じてしまうという。

皆の前でほめられることで、他者が自分に抱くイメージが変わることも嫌なようだ。

また、実績や努力に応じた分配よりも、完全に平等な分配を公正だと思う若者の多さにも驚く(共産主義か⁉)。
この背景には、自分だけ多く分け与えられることへの抵抗感があるという。

努力や実績の結果であっても、差がつくことは落ち着かないという感覚が強いのだ。

ほかにも色々と驚かされる記述があるが、全部挙げるとキリがないのでこの辺でやめておく。

なお、こうした若者の実態は著者の主観だけでなく、きちんとした調査やデータに基づいて描写されている。
「学術的な問題意識」のもと、エビデンスベースで書かれているので、説得力は高い。

根が深い「いい子症候群」

本書を読み進めていくと、若者の「いい子症候群」は相当根が深いことが見えてくる。

一例が、以前よりも保守的な安定志向が強力になっている点だ。

若い世代ほど、一流企業に勤めるよりも自分で起業したいと思う割合が低く、有名校に通った方が有利になると考える割合は高い。
実力よりもコネが大事だと感じる若者も多いという。

年長世代の既得権層に対する批判は珍しくないが、その既得権にしがみつきたいのは実は若者だということだ。

しかも、この安定志向は「やりたいこと」や「働きがい」とは対極のものだという。
確かに、やりたいことや働きがいを追い求めると、働きすぎて疲弊したり、不安定な立場に立たされたりする危険性が高まる(「やりがい搾取」という言葉もあるくらいだ)。

さらに、「やりたいことがない」とは仕事だけでなく、プライベートにも当てはまるとのこと。
趣味に全力投球するのはある意味で「意識高い系」であり、「いい子症候群」の若者にそのような意識はない。

仕事でもプライベートでも、とにかく「〇〇したくない」が思考の中心を占めるのである。

ここまでくると、バブル世代ではない私でも、思わず(若干の自戒も込めつつ)「それで人生楽しいのか!?」と言いたくなってしまう。

本当に「守り」に入っているのは大人?

ただし、著者の金間氏は決して若者を批判しているわけではない。
そもそも、なぜ若者はここまで保守的になり、目立つことや自ら動くことに恐怖を感じるほど大人しくなってしまったのか。

その理由は、日本社会全体がそうなってきたからだ、というのが金間氏の見立てだ。

大人たちが保守的になっているからこそ、若者たちへ空気感染のように伝播していく。
だから、大人がいくら嘆いても仕方がない。

このことに関連して、本書で最も感銘を受けた箇所があるので(少々長くなるが)引用したい。

挑戦や変化が成長につながらず、チャレンジしても得られるものがないと若者が思っているのは、大人がそう見せつけてきたからだ。
自分が出来もしないし、やりもしないことを、若者に押し付けるなんて搾取以外の何物でもない。
したがって、本書の提言は1つ。
大人のあなたがやるべきだ。まずはあなたが挑戦するべきだ。
あなたが挑戦し、失敗し、そして復活するところを堂々と見せるべきだ。
そのとき、もしそばに若者がいるなら、こう言ってみてほしい。これが現時点で筆者が考える、若者の心を動かす最強のフレーズだ。
「自分はもう一度これをやりたい。今度は絶対成功させたい。だから手伝ってもらえないか」

『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』p.226

社会の問題は家族の問題にもつながる?

多くの若者が「いい子症候群」を発症している責任は、社会(大人たち)にあるという指摘は、その通りだろう。

ここに付け加えるなら、社会の問題は家族の問題でもあるのではないだろうか?

特に、「いい子症候群」に顕著な自己肯定感の低さなどは、家族関係に起因するのではないか?
たとえば機能不全家族で育った子はアダルトチルドレンになりやすく、アダルトチルドレンは自己肯定感が低かったり自分の意見がなかったりする傾向があるという。

「いい子症候群」の若者が皆アダルトチルドレンだと言うつもりはないが、多少は関係しているような気もする。

とはいえ、かりに家族の問題だったしても、家族は最小単位の「社会」なわけで、家族をつくり出すのも社会なのだから、結局は社会の問題だと言えるのかもしれないが。

おわりに―やりたいことがない「いい人症候群」の人へ―

なお、本書は主に「いい子症候群」の若者と対峙しなければならない30歳以上を対象にしているが、最終章は当事者の若者に向けた内容になっている

やりたいことがなくて悩んでいる「いい子症候群」の若者には必読といってもいい内容だ。

最終章を全て紹介すると長くなるので、1つだけ手短に紹介したい。

進路を決めるときに考慮する要素はコト、ヒト、場所の3つ。
やりたい「コト」に興味が持てない人は、たとえば「この人たちと働きたい」という思いを大事にすると良いそうだ。

コトやヒトや場所にも興味がなく、本当にやりたいことがないと感じている人は、実は置かれた場所で花開く可能性が高い。
そのため、ひとまず目の前のことに集中することが大切だという。

実はこの「置かれた場所で花開くタイプ」の人を、私は公務員時代に結構見てきた。
公務員の仕事は多岐にわたり、自分の希望する業務や部署につけないことがほとんどだ。

だからこそ、このタイプの人は公務員に向いているんじゃないか思うようになったのだ。

公務員に限らず、世の中の大半の仕事は自分の「やりたいこと」とは無縁だろう。

それでも誰かがやらなければならない仕事がたくさんある以上、実は「やりたいことがない」ことは決して悪いことではないような気がする。

与えられた場所でしっかりと職務をこなせる人の方が、やりたいことにこだわって袋小路に迷い込む夢追い人より、よほど健全なのではないだろうか(とはいえ、主体性や積極性がないのは考えものだが…)。

という感じで、私なりに「いい人症候群」の若者を擁護しつつ、やりたいことにこだわって公務員という「安定」を捨ててしまった自分を戒めてみる。


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