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心の口癖

俺は、俺について情報弱者だった。

俺は20歳ぐらいまで、
全ては気合いと根性でなんとかなると本気で思ってた。
これを「アニマル浜口期」と呼んでいたわけだが、
その結果なにが起こったかというと、自分の性質を知らないまま盲目に進み続け、そして限界を迎えた事に気がつかないフリをして大爆発を起こした。

「こうあるべき」を掲げて生きられる人間もいるだろうが、俺はそうではなかった。
単純なフィジカル面もそうだし、本来の思考回路や価値観も習慣も、俺の掲げる「こうあるべき」とかけ離れていたのだろう。



最近よく心が俺に言ってくる。

「往々にしてあるよなぁ〜この状況」

起こりがちな事に対して反応している。
言い方は「往々にして」が気に入っているらしい。
(実際に口に出した事はまだない、はず。)

レイザーラモンRGのあるあるのような陽気なものではない。
もっと普通に起こることだ。


調子に乗って夜更かししたら朝眠いとか。
風邪ひくとめっちゃ辛いとか。
気圧の影響って結構受けるんだなぁとか。
アニメを一気見すると少し時間を損したような気持ちになるのって結構あるあるよなぁとか。

こんな当たり前なことすら今まで無視してきたんだ。
そんなわけはない、それじゃだめだ、と頭ごなしに否定していた。

「往々にしてある」が口癖になってから考え方も変わってきた、と言うと因果関係が逆になる。
"自分の行いをまずは否定しない"という方法を模索した上での着地点というか、
俺の中での流行語が「往々にしてある」なのだと思う。

こうしてやっとアニマル浜口の生き霊が俺から離れていったように思える。
気合いで乗り越えることから「いつものことだから今は仕方ない」に切り替わった。

数年もこういう考え方を続けると、だんだんと自分の傾向がわかってくる。
実体験で感じることが増えれば増えるほど仮説は事実になってくる。

例えば、体調やメンタルを崩すパターンとか、自分の思考パターンとか、なにを重要に考えているのか、向いてないからまじでやめたほうがいいこととか。

そうしていま「往々にしてある。」という決まり文句が心の中に定着してきた。

いろんな場面で使える。
自分の性質や、無意識の習慣に対して一度、
「こういうことは往々にしてあるなぁ」と許してあげればとりあえずおっけーだ。
他人の行動や言動についても同様に使える。

「往々にしてある」という自覚の後、改善の余地があるのかそれとも、仕方ないという割り切りにするのか2択になる。

どちらも都合がいい。
よく起こる悪い事が、減らせるなら改善策を考えればいいし、
割り切りが現時点で最善なら以後同じ事が起こってもまた「往々にしてあること」でもうおわりだ。

これを積み重ねると人間が、自分自身も他人も、かなりてきとーに生きている事がわかる。

俺は同じパターンで何度も夜更かしに手を染めるし、
いつも泊まりにくる友達は、毎度ゴミを放置して帰るし、
隣の部屋の女は、いつもゲームをしながら叫んでいる。
コンビニの店員には、何度かタバコの番号を復唱しないと伝わらないし、
山手線はいつもちょっとだけ定時より早くドアを閉める。

こんなことにいちいち感情的になっていたら怒りで1日が終わりそうだ。

ただ、往々にしてあったらまずいこともある。
往々にしてあるが、認めがたいものもある。
他人は変えられないが、せめて自分がそうならないように変わる他ない。

俺は、もっと俺の情報通になりない。
他人や知人についても人と関わる上でありがちなことも知っておきたい。
知って初めて、良し悪しを考える材料になる。

俺の生きている世界は"往々にしてありがちな日常"だ。
寂しいのも、怠惰なのも、いつまで経っても人の気持ちを推し量れないのも、自己矛盾しているのも、俺だけじゃない。
みんなに「往々にしてある」ことだと思う。
それがデフォルトだと思えれば、少しはありのままの自分を受け止められるかもしれない。

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