淡い期待を断つ

とても抽象的な話をする。

俺は今までいろんな選択を経て今ここにいる。
また一つ選択をし、経験をした。
一般的には辛い経験だろう。
そして新しくなった。
なにか大きなことを終わらせる行為は、とても怖い。
何か選択する行為もやはり怖い。
もう引き返せないということだから。

過去に読んだ本にこんなことが書いてあった。
"過去の出来事に意味を与えるのは自分自身だ"

本当は少し引き返したい、でも引き返しても同じ結果だとも思う。
"もしこうだったら"と過去をやり直そうとしたところでもう事実は変わらない。

だから今、自分の経験にどういう意味を与えてあげるか考えている。

事実は変わらないけど、解釈はいくらでも変えられる。

新しい自分として、また一歩進むための足場を自分で作る行為だと思う。

そして考えた。
あるのは絶望だけだった。

残酷だ。
過去のどの道を通っても行き着く先は、絶望しかなかった。
わずかに希望を抱くことが未来の自分をさらに苦しめることになるだろう。
だから絶望を受け止めるんだ。
希望はもうない。

"仕方がなかった"というやつだ。

開き直るには十分すぎる。

この経験の意味をもう一度考える。
絶望であることは確かなのだが、明日の俺を形作る種が転がっている。

反骨精神というものだろうか?
わからない。
ただ、うじうじと過去に囚われ、未来すら縛り付けることはしたくない。

今はまだ絶望の中にある小さな種を拾い集めている。

また新しいことをやってみたらいい。
そしたら小さな希望が芽吹くかもしれない。

未来の自分が、あの絶望は最高だったと言ってくれるように。
今日の俺は、絶望を足場に生きていく他ない。



あと書き
この文章を書き始めて2週間ぐらい思い悩んでいた。
頭でなかなか整理がつかないから、何を書いて伝えたいのかもわからなかった。
たぶんまだ、まとまってないんだけど、落とし所をなんとか探した。
この文によって自分がどう変化していくのかも少し楽しみだ。

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