英語なんか大嫌いな学生

英語に対してどういうイメージがあるだろう。

"学生時代の勉強が辛かった"
というイメージが1番最初に浮かぶ。

別に喋れなくたって生きていけるし。
大成しないんだよね、ほとんどは。
英語が楽しいなんて全く思ったことがない。
勉強のための勉強。
得意だったり、点が取れるから好きとかあるだろうけど、本当に英語が好きな人は一握りしかいないと思う。
言語を話す喜びなんか知る由もなかった。


最初に英語が嫌いになったのは小学校1年生まで遡る。
ECCかどこかに英会話を習いに行っていた。
当時にしてはなかなか英才教育だったと思う。

その日は、みんなで輪になってゲームしていて、順番に喋る感じだった。
俺の順番が近づくたびに動悸がする。

"なにを言ったらいいだろう。
語彙が浮かばない。
もう次は俺の番だ。
どうしよう。
間違えたことを喋ったらどうしょう。"

頭は働いているようで、不安でいっぱいだった。
ついに順番が来たのだが、のどに餅が詰まったように声が出せなかった。
みんなの視線が早く喋れと言っているようだった。
どうなったかわからないが、
終わった後に母親にしがみついて泣いた記憶がある。
たかがゲームだったのに。
それっきり英会話には行かなくなった。

もう20年近く前の話だけど、今でもはっきりとその画が浮かぶ。
相当なトラウマだったんだろう。

それからは英語を喋るという行為がしんどかった。
高校に上がると、一握りの発音がいい人が現れる。
まるでレベルが違う。
一握りゆえに、そんな人たちを陰でイジッていた。
憧れるのが本音だけど、自分がかっこいい発音を試みようもんならすぐさま友達にイジられそうで怖かった。
そういう空気が流れている。
間違えて喋ったらどうしようという不安が常にあった。

文法の教師も嫌いだった。
俺のクラスの担任で、妙に女子人気があって鼻につく。
高校生とはそういうものだ。
俺だって、女の子と仲良くしたい。
ただのジェラシーだ。

さらには、勉強に専念すると言い部活を辞めた反面、勉強すら放棄して担任とは死ぬほど気まずかった。
英語の授業は成績順でクラスを分けていたから、担任のクラスにならないように平均以下の点数を取っていた。
担任から逃れたのも束の間、下のクラスの教師には、授業中に10分以上怒鳴られた。
その怒号は2つ先のクラスまで響いていたらしい。
この頃には英語に関わる全てが嫌いになっていた。

英語を喋る日本人は、なんだかそれだけで偉そうに見えて好きではなかった。
"英語を喋ってる自分すげーだろ"と映ってしまう。
これは、喋る側とそうでない側に雲泥の差があるからだろう。
だから、アメリカかぶれだの言いたくなる。
英語を喋るやつはちょっと怖い。
俺とはあまりにかけ離れているだ。

その後の英検準2級のテストでは、英会話で2回落ちて取得するのを諦めた。
日本人の試験官だったのにまるでなにを言っているのかわからなかった。

勉強としての英語なんかもう2度と関わりたくないと今でも思う。
その反面、英語喋れたらなという気持ちはある。

先日YouTubeで、多言語話者のカズさんという方が様々な言語を駆使して、人を驚かせる動画を見た。
いや、見漁ってしまった。
12時間ぐらいかな。
片手間とはいえどうかしていたと思う。
今までに感じていた言語のイメージではない。
とてもハートフルで、言語覚えることで人と話す楽しさを見た。

その中の動画で何語から学んだのかという話題があった。
過去にスペインに住んでいた経験からスペイン語を1番最初に覚えたらしい。
英語はというと勉強のイメージがあって苦手だったらしい。
大半の人がそうだと思う。
漏れなく俺もそうだ。
僕らは学校で英語教育をされたようで、トラウマを背負わされた。
試験という競争の中で劣等感を植え付けられた。

本質はそこじゃないだろう。
いい点を取るための言語じゃない。
誰かに自慢するための言語じゃない。

人と話すという根本的な楽しいという感覚を取り戻さないと、英語話者とは一生分かり合えない。

"英語は辛い勉強"という凝り固まったイメージを徐々に溶かしていく。
今はまだその途中にいる。

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