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【小説】 愛のギロチン 14

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「なんでそんなこと言わなきゃなんねんだよ」

それまでメニューから目を離さなかった大貫が、キッとこちらを睨んで言った。強い口調と、老人とは思えぬ迫力ある眼力に、思わず言葉をつぐんだ。

なんとなくできつつあった大貫との自然な距離感が、一気に遠くなる。俺は思わず視線を落とし、黙った。

なにか事情があるのかもしれない、確かに、一人暮らしする老人に対しての質問としては、適当でなかったかもしれない。

だが、それにしたって、そんなに怒ることはないではないか。いや、それほど怒るということは、相応の理由があるのかもしれない。

そんなことをグルグルと考えていると、「いや、なんだ…」と、微かに焦りの滲んだ声が聞こえた。

俺はゆっくり顔を上げる。

そこにはバツの悪そうな顔をして、鈎(かぎ)の形にした人差し指でこめかみを掻く大貫がいた。どうやら本人としても、咄嗟に出てしまった反応らしい。しまった、と字が書いてあるような顔を見ていると、こわばった心がゆっくりとほどけていく。

そして大貫は言い訳のように、少し早口に言った。

「まあ、そんなことよりな、ちょっと今日はあんたに話があったんだ」

「話、ですか」

そう返す俺に無言で何度か頷き返すと、まだどこか居心地の悪そうな大貫は「よお姉ちゃん!」と店員を呼び、やはり俺の好みを一切聞くことなく、好き勝手に注文を伝え始めた。……アジフライと串カツは、両方頼むことにしたらしい。

ともあれ悔しいことに、小鉢や刺し身、珍味など、まるで熟練の宴会幹事のごときツボを押さえた頼み方で、不満はなかった。

「で、話っていうのは?」

「いやな、ちょっと頼みがあるんだ」

頼み? 反射的に俺は身構える。今度は一体何だ。一人暮らしの家の片付けでもさせられるのだろうか。あるいは、足が痛えから買い物に行ってこい、とか? いずれにせよ碌(ろく)な話ではないだろう。もしかしたら金を貸せとかそういう面倒な話かもしれない。

脳内では一気に、対大貫用の防壁建設が進む。だが、続く言葉は意外なものだった。

「あんた、求人の営業マンだって言ってたよな」

「え?」

「ってことはつまり、求人広告を売ってんだよな」

なぜそんなことを聞く。想定外のところに顔を出した大貫の質問に、一瞬混乱する。

だが一方で、そこは自分が話したかったこと、いま自分を気落ちさせているまさにその話題のそばだ。頭での理解を、反射的な期待感が追い抜いていく。

「ええ、まあ、そうですけど……」

一体大貫は俺に何を頼もうというのか。わからないままそう答えると、大貫はぐいっと一口ビールを煽ると、俺の目を覗き込むようにして、言った。

「あんた、うちの求人やってくんねえかな」

「……は?」

心にわだかまるモヤモヤを吐き出せるかと期待した。だが大貫の”頼み”は予想外の方向から飛んできた。

「うちって……大貫さんが働いている会社、ってことですか」

「ああ。あのヤブ医者の話、したよな? 今すぐじゃないにしろ、俺は遅かれ早かれ仕事ができなくなる」

確かに、あの日無理やり同伴させられた病院で、医者からそう言われたと聞いた。肝臓の数値が悪くて、ドクターストップがかかったのだ。

「ああ……はい。そう仰ってましたね」

「でもな、実際問題、うちの会社は俺がいなくなったら仕事が回らねえんだ。なにしろ、俺と同じ仕事ができる人間がいねえんだから」

言葉遣いこそ乱暴だが、営業の現場でよく聞く内容に、俺は不思議な気分になった。大貫の前に座っている自分が、たまたま同じアパートの同じ階に住む隣人ではなく、急に営業マンに戻された感じがする。

詳しい状況はわからないが、とにかくいま大貫は、俺に求人広告の掲載依頼をしているのだ。

ーーしかし。

俺は申し訳なさと、どこか投げやりな気分を同時に感じながら、首を降った。

「……申し訳ないんですが、既にお伝えしたように、私はもう退職することが決まっていまして」

妙なもので、仕事の口調が出てしまう。

いや、実際、これは仕事の現場だとも言える。大貫が本気なのだとしたら、退職が決まっているとは言えまだ社に籍の残った営業マンである俺は、この”新規クライアント”に正しく対応する必要がある。

俺は続けた。

「なので、もしよろしければ、我が社の営業マンを紹介させていただきます。その者から連絡を入れさせますから、そこであらためて詳細をーー」

言いながら、ふと自嘲的な気分になる。

頭の中には、求人事業を「オサラバして当然」と断じたあの後輩の顔が浮かんでいた。客の前ではあの整った顔をほころばせ笑顔を絶やさず、商品説明や掲載スケジュールについてもそつなく説明し、おべっかもきちんと使える営業マン。

中途半端にキャリアを積んで、その割に売上成績のあがらない俺のようなお荷物より、会社は若くて清潔感があり客に気に入られるあいつのような人間を手元に置きたがっている。たとえそれが、客先を出た途端に「こんな仕事つまらない」と文句を言い始めるような男だろうが、だ。

「というわけで、私の後輩で優秀な人間がいますから。きっと気にいると思いますよ。年齢は若いですが、既に私よりたくさんのお客様から信頼されていてーー」

心にもない話をペラペラと話す自分の口を、ドン、ガチャン、という音が遮った。

つづく

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