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誰も読んだことがない小説

まだ書かれていない小説は、誰も読んだことがない。

「そんなの当たり前じゃないか」と人は言うだろうけど、きっと皆は気づいていない。

「誰も読んだことがない」の「誰も」の中には、その小説をこれから書くことになる作者本人も含まれるのだ。

未来のどこかの地点で完成する小説は、その瞬間を迎えるまでずっと未完成だ。つまり作者本人は「小説未満のもの」と長い時間向き合い続けることになる。

時間を巻き戻していけば、その「小説未満のもの」はどんどん輪郭(プロット)を失い、やがてはバラバラの部品(単語や接続詞)にわかれ、最後には何もない作業場(白紙の原稿用紙)だけが残る。

だだっ広い作業場でぼんやり立ち尽くすのは、書かれていない小説を読んだことがない人たちと同じく「何も知らない」作者だ。

どんなストーリーなのか、どんなキャラクターが出てくるのか、どんな出来事が起こってどんな着地をするのか、未来のどこかの地点でその小説を完成させることになる本人にも、まったくわからない。

小説家は、未来の自分が書く小説を読むことはできない。小説執筆が化石や遺跡の発掘作業に喩えられるのもこういう理由だ。地面に埋まっている時点では、誰にも何も見えない。「この辺掘ってみようかな」とシャベルを刺し、土を取り除いて初めて、その中にある(かもしれない)なにかに近づくのだ。

このことを「そんな大変なことをなぜわざわざ」と考えることができず、「なんてロマンのある作業なんだ」と考えてしまう頭のおかしい人だけが、小説家になる。小説家になれる。

これから僕は、どんな小説を書くのだろう。未来の自分が書く小説は、どんなだろう。願わくばそれが、できるだけ多くの人に読まれ、多くの感動を与える作品であることを。

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