【小説】 愛のギロチン 10
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週の明けた月曜、俺は久々に会社に行った。
有給消化中ではあるのだが、まだいくつかの引き継ぎ業務が残っているので、こうして時々は出勤する必要があるのだ。
新任の営業マンと引き継ぎの挨拶に行った帰り、花見川沿いの田舎道を最寄りのバス停に向かって歩いていた。
俺は隣にチラリと目をやる。
後輩の視線はこちらにはなかった。手の中にある社用携帯電話で忙しくメールを打っている。俺はそれをいいことに、その顔を横目で見続ける。
その幼い横顔は社会人と言うより大学生、いや、場合によっては高校生のようにも見える。髭剃りが必要なさそうなくらいツヤツヤした肌には、俺の顔には余るほど散っているニキビ跡やシミの類が一つもない。
社内の女子社員からこいつは人気があるのだと聞いたことがある。幼い顔立ちとは裏腹に背は高いし、太ってもいない。それに、こういうのを清潔感というのだろうか、ファッション雑誌に載っていてもおかしくないような爽やかな雰囲気がある。
これで仕事はからっきしだったりすれば愛嬌もあるが、こいつは十数人いる同期のランキングででも常に上位にいるし、跳ねた週なら俺の売上を越すことすらある。
俺にないものをこいつはすべて持っている。
不平等な話だ。憎たらしい、と思えないほどの距離を感じる。あまりに遠すぎて、もはや羨むことすらできないのだ。
「それで先輩、辞めた後はどうされるんですか?」
後輩は携帯に視線を落としたまま言った。驚いて息が詰まる。まるで俺の視線にずっと気付いていたかのようだ。
「……え?」
やっとのことで言うと、後輩はメールを送信し終えたらしく、携帯電話をビジネスバッグの中に投げ入れる。その乱暴な手付きに、なんとなく含みを覚える。
思考がまとまらず黙っていると、後輩は俺の方を見て、「あ、聞いちゃまずかったですか」と、下手に出るような、同時にバカにするような表情で首をすくめてみせる。
俺は視線を前に戻しつつ、「いや」と言う。
「別にそういうわけじゃない。ただ、答えられることもないけどな。まだはっきりと決まってるわけじゃないし」
自分の言葉が意外と落ち着いていることに安堵しつつ、後輩の表情を伺う。奴はわかったようなわからないような顔で何度か頷き、それっきり興味を失ったように前を向いてしまう。
俺の視線だけが置いてけぼりを食う。
なぜかこのやりとりに、先日会った本木のことを思い出す。
ーー先輩は世の中に、どんな価値を提供できるんです?
もちろん本木に悪気はなかっただろう。それどころか、友人として親身な”アドバイス”をしてやったと思っているだろう。
だがその言葉は、俺の認識フィルターを通る間に反転し、「お前は世の中に何の価値も提供できない」という意味で記憶に保存された。
事実本木は、採用コンサルティング事業を行う自分の会社に、俺を誘ってはくれなかったのだ。
「求人以外も、考えてみようと思ってるんだ。俺には他の業界の方が合っているのかもしれないし」
本木に対する、あるいは、世の中に対する言い訳のように言葉が出た。
言い始めた段階で、自分が後悔するだろうことがわかる言葉。
主人公にボコボコにされ、「覚えてろよ」と逃げ帰る雑魚キャラと同じだ。まして、その捨て台詞の相手は、一回り以上も年下の後輩なのだ。
だが、後輩は意外な反応を見せた。
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