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【広島地区】 「人づくり」のバトンリレー

 ろうきん森の学校だより、今回は広島地区の「NPO法人ひろしま自然学校」の志賀さんと花村さんを訪ね、コロナ禍での活動状況やこれまでの取り組み、そしてこれからの展望を伺いました。

広島地区看板
ろうきん森の学校広島地区の看板

 広島駅からレンタカーを借りて高速道路経由で約1時間、北広島町今吉田に懐かしい看板が見えてきた。2005年の開校当時にお披露目した「ろうきん森の学校広島地区」の看板は、17年の時を経て、すっかり馴染んでいる。4年ぶりの現地訪問である。
 フィールドの象徴である「万代(ばんだい)池」の横を通って砂利道を少し登ると、メインの建物「こぞってハウス」が見えてきた。この建物は、2010年に建てられた2階建てのログハウスで、1階が研修室、2階が宿泊室となっている。
 他にも管理棟(事務所&倉庫)、作業小屋(最初に建てられた)、石窯(ピザやパンが焼ける)、トイレ、テントデッキ、アースエデュケーションハウス(日本初の地球教育プログラムを行う施設)、カヌー庫など。17年間でコツコツ作り続けた成果が目の前に広がっている。

万代池から臨む
万代池からこぞってハウス等を臨む
施設全景
整備された施設群

こんなたくさんの施設を作り、様々なプログラムを実施している「ひろしま自然学校」、代表の志賀誠治さんは、さぞやバリバリのアウトドアの達人と思いきや、笑顔の素敵なジェントルマンである。

志賀さん
志賀誠治さん

志賀誠治(しが せいじ)さん NPO法人ひろしま自然学校 代表理事
大分県出身、65歳。
広島大学教育学部を卒業後、広島県内の公益法人に15年間勤務。1994年人間科学研究所を設立し、環境、健康、福祉、文化などを切り口に、市民参画・協働のまちづくりや持続可能な地域づくりの支援活動を行ってきた。以前は、ファシリテーターとして年間100日程度のワークショップを県外で実施していたが、コロナ禍で県外出張は昨年2回、今年はまだ1回のみ。
趣味は渓流釣り。

【自然学校と社会運動】

「会議とかオンラインで行われるようになってライフスタイルは一変しましたね。でも、オンラインだけに頼っていると疲れるね。コロナ禍の中で一定オンラインの効果や可能性は実感できたけど、すべてがオンラインでできるわけではないし、オンラインでできることと対面でないとできないことをうまく使い分けていくのが大事だと思う。」

人間関係トレーニングやボディーワークという切り口で、人と自然、人と人をつなぐ活動=自然学校に取り組んできた志賀さん。ひろしま自然学校の20年近くにわたる活動には、自然保護運動と自身の関わり方の葛藤が常にあると言う。

「長年自然学校をやっていると、関わっているスタッフの興味も変わるし、社会が自然学校に求めることも変わってくる。一方で、いつまでもずっと変えたくないものもある、この3つ巴だろうな。『今、こっちに行ったら儲かるだろうな』と思う道筋はいっぱいあるけど、一方で『それをやって本当に大丈夫だろうか』という自制ができないと、拡大再生産の経済論理の波に飲まれてしまう。」

「吉野川第十堰可動堰化に関する住民運動(1990年代)をやっていた姫野雅義さんと出会った時のことを思い出すんだよね。ろうきん森の学校の開設当初、ここで産廃処理場建設の話が持ち上がり、地元からは反対運動に参加してくれと言われたのだけど、僕は意思が弱くてコミットできなかった。なぜなら、NPOメンバーには行政側の人間もいたから。反対運動にコミットしたら、行政側の人たちはどうなるんだろうなという思いがあり、たじろいでしまった。」

「でも、姫野さんに言わく『政治にかかわらない社会運動はあり得ない。』と。『自然学校を一つの社会運動と捉えれば、政治と無関係でいることはできないでしょ。あなたはどういう社会運動をしたいのですか。』と、問いかけられていたんだよね。」
それ以来、自然学校の活動に携わりながら、「民主主義の学び直し」ということが常に頭の片隅にある.吉野川第十堰の住民運動に出会って、自然学校というオルタナティブに自分が関わっている大きな意味を見出したような気がする。」

話はこれからの働き方や生き方に広がっていく。今の若い人たちは、以前より「社会に貢献したい」と考えている人が増えているような感じがする。また、企業側でもSDGs(持続可能な開発目標)が当たり前になりつつある。
では、若い世代であり、学生時代から関わり続けて現在、ひろしま自然学校理事として活動している花村育海さんは、何を想い、どのように感じているのだろう。

【人との関わりが好きで、気がついたらNPOの理事に】

花村さん
花村育海さん

花村育海(はなむら いくみ)さん NPO法人ひろしま自然学校 理事
広島市出身、27歳。
大学時代からボランティアとしてひろしま自然学校のプログラムに参加。毎年夏に北広島町で行われている「夏の分校1/2ヶ月」では、3年生と4年生で2年続けて、全体を俯瞰する「分校会カウンセラー」を務める。現在は主に「自然体験活動・環境教育のプログラム」や「大学生のリーダー養成」、「広報」などを担当。
趣味は、人とおしゃべりすること。

(花村)
「もともと自然が好きとか、アウトドアやってます、というのではなかったんです。ただ、人と人との関わりに興味があって、大学時代にひろしま自然学校の活動に参加するようになったんです。夏の分校1/2ヶ月では、同世代の大学生のボランティアがたくさんいて、いろいろな学びがありました。大学2年で初めて関わり、4年生まで3年連続で関わりました。」

(志賀)
「3年続けると化けるんです(笑)。このキャンプは2週間と長期で、『自発、自律、自治』をテーマにして、生徒会を作り、生徒会がキャンプを運営します。その生徒会を支援する役割を、グループカウンセラーとは別に1人置いています。それを『分校会カウンセラー』と呼び、花村さんは2年連続でやったんです。」

夏の分校1
夏の分校1/2ヶ月の様子
夏の分校5
夏の分校3

注)夏の分校1/2ヶ月
自然体験や里山の生活体験、集団生活体験などをしながら、「じっくり暮らす・とことん遊ぶ」をキーコンセプトに14日間を地域の廃校になった小学校で過ごすキャンプ。参加者は小学4年生から中学3年生までの異年齢で、男女4人ずつの8人が生活班、それが3グループの計24名で実施。2020年、2021年はコロナ禍や台風で泣く泣く中止に。

(花村)
「夏の分校1/2ヶ月では、グループカウンセラーを1年間やったあと、分校会カウンセラーという立場で2年間関わりました。グループカウンセラーは男女ペアで班をみますが、分校会カウンセラーは一人なんですね。ディレクター(運営者)やグループカウンセラーとも相談しながら分校会を運営していきますが、ある意味孤独な立場でもあります。子どもたちがキャンプを通じて『自発・自律・自治』を会得できるように、子どもたちの主体性を引き出していく立場なので、キャンプ全体を俯瞰しながら、いかに子どもたちに寄り添って支援するか、試行錯誤することが多かったです。子どもたちとの距離感がとても大事なんですね。キャンプ中に分校会が少しずつ成長して、最後はキャンプのすべてを分校会で企画し運営するチャレンジをやり遂げた姿を見たとき、『よくやったね』と母親のような気持ちになりました(笑)。」

夏の分校4

「就職してすぐは経営の視点を持つことに苦労しました。就職して1年目の夏の分校でも『主催者として』考えて動いてもらわないと困ると言われ、悩んだことを今でも覚えています。就職して5年目となった今年からは、NPOの理事という役割もいただき、経営のことも踏まえながらNPO組織全体のことを考えていかなければと気を引き締めています。」

20代・新卒で就職して5年ほどで「あなたも経営者です」と言われて驚かない人はいないだろう。また、親子ほど歳の差が離れた志賀さんと花村さん。しかしながら、志賀さんの中には花村さんを後継者と見据え、他のNPOへ研修に出すなど、次の世代へバトンを渡す準備を着実に進めている。

(志賀)
「花村さんには1年で2歳くらい歳をとってもらい、早く40歳になって理事長になってもらいたい。いや、SDGsの達成目標年である、2030年に理事長でもいいかな。いくつになっているんだろう。35歳か、いいんじゃないかな(笑)。」

実は昨年度、花村さんの後輩にあたるスタッフが入ったのだが、事情があって半年で辞めてしまった。この時のことを花村さんはこう振り返る。

(花村)
「後輩が入ってきてどうだったか…。半年だったのでとにかく必死でした。みなさんは当たり前かもしれませんが、初めての後輩ということで何かをやってもらうための準備が大変でした。一瞬で終わったような気がします(笑)。でも、一人の時にはなかった日常会話レベルでアイデアを出し合えたのが面白かったですね。彼は専門分野が違い、生き物に詳しかったのが良かったです。でも、辞めると聞いた時の落胆は大きかったです。志賀さんには『また独りですか…』とぼやきました(笑)。」

インタビュー風景

 コロナ禍で先が見通せない現状では、新たにスタッフを雇用する余裕はない。志賀さんとしては、次は40代くらいで志賀さんと花村さんの間の世代を入れたいと思うのだが、若い花村さんの指示の下ではやりづらいだろうとの懸念もある。しばらく志賀さんと花村さんの二人三脚が続きそうだ。

【広島地区のこれまで、そしてこれから】

ろうきん森の学校第2期の終了まであと3年。ひろしま自然学校として、これからどのような活動を見据えているのだろうか。

(志賀)
「ろうきん森の学校でやっているプログラムは、当初から『社会実験』と捉えてやってきました。例えば、森のようちえんが必要なら、どのようなやり方があるのか、いろいろ試して検証する場でありたいです。一方、不登校や発達障害の子どものためだけのキャンプをやってほしいという要望がありますが、やっていません。それは、社会がそうした子どもだけでなく、いろいろ混在しているのが当たり前だからです。キャンプだけ分けてやるのは意味がないと思うのです。」

作業小屋(完成当時)
最初に建てた作業小屋
こぞってハウス完成(2009年度)
研修を行う「こぞってハウス」

「(開校当時の労働金庫連合会)岡田理事長からの話で、ないところから作っていく、というイメージで対象地を探しました。ここは当初は何もなく、活動基盤を作るのが大変でしたが、何もないから楽しいといって関わってくれた人もいました。2010年に森の教室(こぞってハウス)ができてから、活動の幅が広がり、大きく変わりましたね。
宿泊もできるようになったし。でも、課題として残ったのは、基盤整備しなきゃ、ということにエネルギーを割いて、地域課題に対して十分アプローチができなかったことです。2014年までの第1期の10年間で散策道や施設が整備され、そして花村さんが加わって、ようやく地元の公民館とのつながりができて活動が広がってきました。」

「最近では、日本初の『アースエデュケーション』プログラムを地元小学校の協力で実施でき、出張型の公民館活動も、ここで実施するようになってきました。コロナ禍でいろいろ止まってしまっているけど、地域の人材発掘に大いに貢献できたと思っています。」

アースキーパー1
アースエデュケーションを行う施設の内部
アースキーパー2

5地区それぞれが、独自のスタイルで人づくり・地域づくりに取り組む「ろうきん森の学校」。志賀さんは、残りの3年間、5地区で1つのプロジェクトを一緒にやることに魅力と可能性を感じているという。それは、5地区それぞれで、2030年以降の活動を、ローカルSDGsを担う若者を育てるということ。すなわち、地域の課題を自分事と捉え、多様なメンバーをつなぎ、場を開いていく、ファシリテーター型のリーダーシップがとれる人材の育成である。

アースキーパー3

志賀さんからの「人づくりのバトン」は、花村さんへ一歩ずつ、着実に渡されようとしている。

「森づくりからはじめる、人づくり・地域づくり」
ろうきん森の学校が掲げるこのコンセプトは、秋が深まるここ、北広島町の小さな里山で、ゆっくりと、しかし着実に実現しつつあることを実感した。
2030年に向けて、花村さんに続く若者がここから育っていくのが楽しみだ。

【投稿者】
ろうきん森の学校全国事務局(NPO法人ホールアース研究所)大武圭介




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