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初めまして。自己紹介します。

遅ればせながらの自己紹介

初めまして。ラフと申します。4月の初めから四週間毎日欠かさず記事をあげていたので初めましてというのも今更感があって変な感じだが、いくつかの理由からここでちゃんと自己紹介をして、自分が何者なのか、これからどんなコンテンツを作りたいかを明示したいと思っている。

私は何者なのか

理由は後述するが、私はこのノートを始めた時いくつか決めていたことがあった。そのうちの一つは、私が誰でどんなことが得意なのかといった個人を示すことは書かないということだ。今日私はその自らに課した縛りを解いて、自分の話をする。

私は1993年福岡生まれの26歳の男性である。なんて何も意味をなさない情報よりもよっぽど私が何者であるかを最も端的に示す言葉、それは音楽だ。

幼少の頃からピアノを習っていた私は、中学校進学の時に自分の人生に大きく影響を及ぼすものに出会った。それは部活の体験入部の時に机の上に置いてあったサックスだった。もともとなんとなくクラリネットがやりたくて音楽室に来た私は、ものの数分で鞍替えしていた。

最初はなんとなくのフィーリングで選んだ私だったが、日を追うごとにサックスの魅力にハマっていった。当時の私は他の中学生と比較しても全く上手い方ではなく、むしろ下手な方だったと思う。音量だけは誰にも負けなかったが。それでもとにかくサックスを吹くことが大好きで、朝も昼も放課後も、時間があれば吹いていた。プロを夢見るようになったのはその頃だ。

その一方で私は自分で言うのもなんだが勉強も割と得意で、調子が良ければ1番には届かないものの学年で3本指に入るくらいの成績だった。塾でもトップを取るくらいの点数が取れていて、勉強は明確に私の得意分野だった。もともと私には小学校の頃から進学したい憧れの高校があり、偏差値的には結構可能性がありそうだった。

今考えると両親も結構期待してくれていた。私も充実した学校行事やなかなか上手な吹奏楽部のあるその学校に入りたかったので、利害が一致したと言うと変だがそこまでは期待に応えられていたと思う。そこまでは…。

私の地元で一番偏差値が高く憧れでもあった高校を目指している間、私は勝手に将来のプランを考えていた。それは、その高校に入れず別の高校に行く事になれば勉強を頑張っていい大学を目指し、合格できればプロを目指すというものだった。なぜそう決めたのかは正直覚えていない。せっかくいい高校に入れたのだからそのまま頑張ればよかったのに、高校一年生の私は家での勉強を辞めた。その時間を練習に使う事に決めたのだ。

高校の頃のエピソードはいつか別の記事にするとして、高校一年から私は東京の先生にレッスンを受けるようになり、月に一度くらい東京に飛行機で通い、日帰りで帰る日々が始まった。

そのままその先生が教えている音大へ進学し、地元のコンクールで賞をもらったり演奏会をやったりしていた。音大生活は高校生活よりも更にエピソード満載なので、これも記事にしてみたい。ともあれ、気が付いたらもう卒業が見え始める時期になっていた。

私の音大生活を総括すると、全くなんの結果も残せなかったとまでは言わないが、でかいコンクールでいいところまで行ったとか、そうでなくとも何か大きなものを残せたということはなかったといっていい。大金を払ってもらって両親には大変申し訳ないが、これが現実だ。

もう一つの要素として、留学に興味が湧いたことがある。これはその後の人生に大きく影響している。このこともまたいつか記事にしよう。

とにかく大学4年生の私には、フリーランスとして東京で活躍する自分の姿が全く思い描けなかった。どう足掻いても無理ゲーだった。私より上手い、実績がある先輩たちでさえ大変そうなのに、私がこのまま成り行きでフリーランスになっても何かしらの理由をつけて音楽をやめてしまう事になるのは明らかだったのだ。勿論やって見なければわからないが、当時の私にはそう思えた。

じゃあどうするか。私には留学の夢があったので、エージェントに高い金を払ってとりあえずアメリカの大学院を受けた。今考えればこれは正気の沙汰ではない。T OEFL の点数もまともに取れないのに、ウン万も支払って受験したところで合格するわけがない。ただ、その時の私には必要な儀式だったのかもしれないと考えるようにしている。昔の自分を客観視するのは簡単なことではないが、無理だとどこかで分かっていても突っ走るしかないほど将来の不安に追い込まれていたのだと思う。アメリカに行けば何かが変わって未来もどうにかなる、といった曖昧で可能性のない空想に縋らなければ自分を保てなかったのだ。

それと同時に私は官公庁の音楽隊の試験も受けていた。これには何か崇高な目的があったわけではない。完全にアリバイ作りだ。アメリカの大学院に進学するか、(東京は無理そうなので)地元でフリーランスとして頑張るかの二択では親にも申し訳ないし説明のしようがない。公務員の音楽家という道も考えているのだと示せば私も両親との会話の時に気まずい思いをしなくて済む。

警察でも消防でも自衛隊でも同じだが、音楽隊には受からなくても一般の職員としては採用されることがほとんどなので、二重の保険でもあったのだ。万が一音楽隊に採用されなければ私の音楽家人生はそこで終了だ。公務員として働こう。そう考えている時に限って、私はなぜか合格を貰った。無欲の時ほど、ということなのだろうか。

率直にいってびっくりした。理由の一つには、正直舐めていた部分があったからだ。私の周りには前年にも受験して採用されず、大学卒業後半年後にもう一度受験する所謂音楽隊浪人をしている人もいた。それくらいの熱量で受験している人もいる中、私はどこか記念受験的な部分があった。受かる落ちるではなく、アリバイのために受験することそのものに意味があったのだ。

今考えると本当に申し訳ないと思う。私も誠意を持ってちゃんと受けるべきだった。普段ならめちゃくちゃ緊張して手が震えることすらある私だが、試験の日はほとんど緊張しなかったことを覚えている。それがいい結果をもたらしたと言えなくもない。兎にも角にも大学生活最大の金星は卒業の前にやってきた。私はどん底にいく直前で拾ってもらえた幸運な野良犬だ。

最初に行われる新隊員向けの訓練を終え、無事に音楽隊員として勤務しだした私は、より良い勤務成績や実績を上げるためにまあまあ努力していた。だが、半年も経たないうちにだんだん迷いが出始める。今考えるとなんとも贅沢な話だ。拾ってもらっておいて野良犬が飼い主の手を噛んで逃げ出したようなものではないか。だがなってしまったものはしょうがない。その迷いとは当たって砕けろで雑に受験した結果失敗に終わったアメリカ留学の件だ。

何か不満があったというわけではない。人間関係は素晴らしく、仕事も楽しい。辞めたくなるほど嫌なことがあるわけではないが、本当にこのまま定年まで勤めて60歳になっていいのか?という問いに、前向きに答えることがだんだんできなくなってしまっている事に気がついた。これから歳を重ねて動けなくなってしまう前に人生を大きく動かすのは今が最後のチャンスだと感じた。

そこで私は少しずつアメリカ留学について調査する事にした。大学生の時の大学院受験のようになってはいけない。よく分からんがとりあえず無理くり志望動機書を英語に翻訳して、大して推敲もせずに送りつけるなんて絶対にしてはならない。時間をかけて試験内容を調べ、必要なTOEFLの点数を調べ、締め切りを調べた。その学校の先生を調べ、音源を聴き、学校やその周辺の環境を調べた。

結果、私の第一志望はハワイ大学になった。
ちょっと待ってほしい。遊びに行くわけじゃない。仕事を辞めてまで遊び呆けるほど遊び人気質ではない。その学校の講師であるTodd Yukumoto先生の音源にぶったまげたのだ。しかもTOEFLの必要点数が低かった。働きながら大学院受験の準備をする上での時間的な負担を考えた時、現実的なラインがそこだったというのもある。

それにしても先生の音は凄かった。日本で聞いたことがない音だった。しかも私が曖昧なイメージで出したいと思っている音を、実際に出している。アルバムのレパートリーも聞いたことがないものが多く、まだ見ぬ作品に出会えそうという期待もあった。

そこで先生に連絡を取り、新婚旅行でハワイに行く時にレッスンをしてもらえないか尋ねたところ、快諾してくれた。レッスンでは音楽に関しては勿論のこと、合格の見込みがあること、入試のマネージャーを紹介してくれること、大学の様子などを話すことができた。後に推薦状もお願いして書いてもらったのだが、そこに書いてある温かい言葉は未だに私を励ましてくれる。

先生や職場の方々の協力もあり、今年の一月に合格をいただけた。3月に退職して今に至る。

今後のこと

渡米の予定は8月だったのだが、昨今のコロナ禍で入学を半年遅らせたので渡米も12月に伸びた。今はバイトをしつつ、妻と3月に生まれた息子でゆったり生活している。

さて、最初の方に書いたルールを覚えていらっしゃるだろうか。自分が何者か、何が得意かをはっきりと示さないというルールだ。これは、コロナで外出ができず時間を持て余すなら、せっかくだし一度音楽から離れていろんなことを考えたり挑戦してみてもいいんじゃないかと考えたからだった。

そのルールに則り1ヶ月記事を書き続ける中で、一度、オンラインレッスンについての記事を書いた。その記事の反響が大きかったことが今回方向を転換した理由の一つだ。

なんてことない個人の日記を誰かが読んでくれて、スキを押してくれる。こんなに幸せなことはなく、書くのも楽しかった。しかし、オンラインレッスンについての記事は文字通り桁違いの閲覧数になった。他の日記は次の日になれば読まれない。決して多くの人に読んで欲しくて書いているわけではないのでいいのだが、需要がある事について書けるのならそれもありなのでは?と気づいた。

だから私は、これからはたまに音楽や楽器や留学についても書くと思う。育児についても書くし、渡米したら向こうの生活のことも書く。需要だけでテーマを決めることもないが、ここで独りごつだけというのも今日で終わりだ。

YouTuber的なこともこの1ヶ月の間にやろうとしたが、それも違った。自分に合わなかった。しかしせっかくアカウントを作ったので、これからは演奏動画やレッスン動画も作ってみたいと思う。

それをみた人と一緒に演奏したり、更に人の輪を広げることができれば、なんて早すぎる妄想を脳内で繰り広げている。

終わりに

以上が長い長い自己紹介だ。
今日を境に全くの別人になるわけではないが、ルールに縛られず、苦しくない程度にアウトプットしていきたい。
私という人間やこれからにもし期待してくださった方がいらっしゃいましたら、スキやフォローもお待ちしております。

それでは、これからもどうぞよろしくお願いします。

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