褒める指導法の力

 今私はハワイの音大に通っている。社会人を経験してからの大学院進学なので割と気合は入っていると思う。練習はするし、(少なくとも実技に関しては)頑張っている方だ。

 そんな私の状況を知ってか知らずか、私の師匠は私のことをめちゃくちゃ褒めてくれる。私は今年の1月に入学する前の半年間、先生のご厚意でオンラインでレッスンも受けていたのだが、その時も褒めることがベースにあった。それがずっと続いている。

 もちろん足りないところは指摘してくれるし、練習法をアドバイスしてくれる。ただ、その時も先生が私をリスペクトしてくれていることを感じる。否定するようなことは一切言わない。一人の音楽家として認めてくれて、そこから更に上達する方法を教えてくれるのだ。

 例えば、この前調子が悪い日があった。そういう日に限って合奏のクラスが多く入る。先生が受け持つ室内楽の授業もあった。調子が悪いながらになんとか吹き終え、ハードなスケジュールが無事終わったことに安堵しながら楽器を片付けていると、先生が声をかけてくれた。よくやった、と褒めてくれたのだが、私は今日調子が悪いことを相談してみた。すると、先生は気候が影響しているのだろうと言った。サックスに限らずクラリネットやオーボエ、ファゴットといったリード楽器は湿度の影響を受けやすい。その日は天気が悪く湿度が高かった。それが原因だろうというのだ。

 しかし先生はそこで終わらなかった。そうやってリードの変化に気がつけるのはいい傾向だ、いい奏法が身につき始めている兆候だといってくれたのだ。何気ない一言だったが、私は感動した。

 ダメな先生なら、調子が悪いと言っても具体的なアドバイスをしない。頑張れとか練習が足りないとか、抽象的だったり精神論みたいなことをぶつけてくる。サックスのことを知らないバンドディレクター(部活の顧問の先生にもたまにいる)みたいなタイプだ。

 具体的なアドバイスを与える先生もいる。湿度が影響している、とか呼吸が関係しているかもしれない、とか何に取り組むべきなのかを明示してくれる人だ。そういう人の下で勉強すれば間違いはないだろう。

 私の先生は更にその上を行った。具体的なアドバイスに加え、一言フォローまで入れてくれたのだ。直面した壁が生徒にとってどのような意味を持つのか理解させることは非常に大切なことだ。

 誰でもその壁にぶち当たるとか、それを越えれば大きく飛躍できるとか、もしくはそういうふうに思うということは迷走し気味である証拠だとか、一体何故その問題を抱えるのか示されれば生徒はやる気が出る。道を踏み外さずに済む。なんとか上達しようとする生徒を尊重し、的確なアドバイスを与える。優れた指導者にしか出来ない技と言えるだろう。

 そのクラスには先生の知り合いのプロ奏者のAさんも参加してくれている。私の先生と同じ門下の人で、同じ学校で学んだ人だ。先生とは違った切り口で様々なことを教えてくれる。その人も、他人を認め褒めることがベースにある。いいサウンドだ、よく吹けている。そうやって学生にリスペクトを持って接してくれる。

 この前レッスンで、Aさんが私が毎週上達していることを褒めていたよ、と先生が教えてくれた。素直に嬉しいし、頑張ろうと思える。それだけではない。少なくとも二人のプロ奏者に認められたということは、自分で自分を下手だとは言えないということでもあるのだ。自分は下手だ、まだまだだと言って仕舞えばそれが逃げ道になる。まだ半人前だ、だから上手く吹けなくても仕方ない、そう考えられれば楽なのだ。しかし尊敬する奏者から認められたとなれば、もう逃げ道はない。彼らを否定するようなことは口に出来ない。下手でごめんなさい、では済まされないのだ。彼らの言葉に応えられる奏者になりたいという動機が生まれる。そうして努力し、さらに良いサウンドになれば、彼らは必ず気付いてまた褒めてくれる。良い循環が生まれていく。

 もちろん優しいだけではない。先生もAさんも、生徒に対して質問を求める。何も考えずにただ練習するだけの状態を良しとしない。常に考え、自分が何を理解できないのかを把握させる。そして質問しなさいといつも言っている。主体性を持たせることに重点をおいている。それは、どんな質問に対しても適切に応えられるという自信の表れでもあるのかもしれない。

 これからも私は試行錯誤を重ね、目標である素晴らしい奏者たちに少しでも近づけるように日々努力するだろう。いづれは私もそのような指導者になりたいと思っている。そうなるには、実力も人格もまだまだ長い年月がかかりそうだ。

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