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こんな人な「私」

【初めましての挨拶】


初めまして!鷺谷公平です。
現在、カウンセリング+フリーランス介護職+軽貨物ドライバーをしております。
⬇︎SNSはこちら⬇️
📗Twitter:医療介護特化型ラフ・カウンセリング
📗Instagram:完全に個人アカ

【現在について】


◻︎年齢:34歳(3月19日生まれ)
◻︎家族:妻、娘2人(長女4歳、次女2歳)

◻︎趣味
・お酒(なんでもOK)
・書道(段とかわない。アートメイン)
・セルフトーク(独り言)
・映画(アクションばかり)
・インタビュー(ナラティブな時間を)
・二日酔い(一番得意)

◻︎仕事
・カウンセリング(主に医療介護職や家族)
・フリーランス介護職(色んな現場で福祉に携わる)
・軽貨物ドライバー(友人と会社を立ち上げ奮闘中+シンプルに稼げる)
HP:株式会社TAGUCHI&COMPANY

◻︎保有資格
・JADP認定メンタル心理カウンセラー(+上級)
・介護福祉士
・認知症ケア専門士
・ハンドケアマイスター

【未来】


・死ぬまでに自伝書を執筆
・医療、介護、心理の執筆
・インタビューをバンク
・クレー射撃
・家族円満
・海外

ここからの【過去】は長いので
物好きさんはどうぞ

※文末にLearnとあります。
Learn⇨学習する, 気付く,知る=体験の結果
として、ワンポイントをお伝えできればと思い書いております。

【過去】

●略歴

・ガソリンスタンド店員
・介護福祉士13年(デイ管理者、訪問介護管理者、老健係長代行)

●高校は工業高校(電気科)『なんとなく』

いきなりの低画質


 やりたいこともなし!

なんとなく遊んで
ガソリンスタンドでバイトする毎日。

遅刻が得意だったので卒業はギリギリ。
無事、資格はひとつも取得せず(できず)卒業。


●介護の出会い『なんとなく』

 ガソリンスタンドのお客様が介護施設の課長+その人はお世話になっている先輩と厚い関係⇨介護へ勧誘=なんとなく承諾
 
 最初に勤めた施設は「介護老人保健施設(リハビリして家に帰す施設)」
得意技は、「更衣介助(衣服の脱着)」

介助が早い=仕事ができる!
と立派な勘違いから、たくさんの事故を起こしたのは良き思い出です。

職員関係は良好

しかし

遅刻は常連=上司、管理者にバッチリマークされる日々

Learn
”目標はなくても楽しくは過ごせる”


●介護現場5年目で『覚醒』

 どうしようもない自分が、なぜ仕事に向き合い始めたか。

それは

「恋」ですw

由緒ある家系
学齢高い家族
聡明なリハビリ職の彼女は高嶺の花でした。

利用者思いの姿勢や、存分に知恵を貢献していく生き方に完全に魅了され、猛烈にアタックをしかけます。

うん、付き合えたんですよ。

でも

こっからが問題で

彼女と付き合い続け、それ以上になるには

「このままではいかん」

とりあえず、遅刻するのは辞めましたw
あと、ひたすら勉強。
更に、立場を上げて社会的地位もあげる。

気づいたら現場リーダーへ。

継続した関係のため色んな会で話す

Learn
”本気で手にしたいことには本気になれる”

更に
この後重大なイベントが発生!


●本当の意味で『覚醒』

そうなんです。
その彼女は
その後、振られちゃいましてw

あれ
オレ
何のために頑張ってたんだっけ?

そっから
自分を客観的に見るように。

自分の状況を遠目で見ると
こんなことに気づく
・遅刻してない
・本を読むようになってる
・伝え方を理解し始めてる
・敬語が使えてる
・医療介護の知識がついてきた

そして、自分に
信頼してついてきてくれる仲間もいる。

できることがあるなら
とにかくやってみよう。

上がれるところまで
上がってみよう。

ここから
誰かのためではなく
自分のために自信を持って
行動できるようになった。

Learn
『遠目で見ると立ち位置と向かう先が見える』

●承認欲求が招く『失敗』

できることが増え、施設内異動。
フロアの管理職を期待され、
自分がやりたいことだけと評価されたい欲求のもと
トップダウンし続ける。

空回りの連続

結果
フロア30名弱の80%以上が不支持者となる

自業自得

自己否定を繰り返すのに疲れ
会社を退職を視野に入れ、次の就職先を確定させた。

Learn
”自己中心的な態度は誰も支持しない”


●一言『リマインド』

 当時の上司の言葉が忘れられない
「鷺谷さんが好きなようにして大丈夫ですよ。私は応援してる」
「頑張っていたこと知っているので」

たった1人の一言がが
ちょっと前の否定的な思考を変えてくれる

新たに気づく

このままだと、どこでも同じことをする

辞めるのを辞めよう。

リーダー職を降ろしてもらい現場業務からやり直す。

 Learn
”些細な一言は誰かを救う”


●前進『善心』

京セラの創業者 稲盛和夫氏の言葉
「行動善なりや私心なかりしか」
意味:良い行動をしている時、その中に私欲達成を目的としていないか

その言葉を指針に様々な習慣を獲得。
色んな方に支えられてフロアの管理職に従事する。


行ったことは1つだけ
「全職員 月1回の個別面談」


パフォーマンスの不安定さは
「プライベート・仕事」の両方もしくは一方がアンバランスな時に生じる。その解決策はいつも個人が持っている。
ただ、考えを外に出す機会がないだけだった。

だから、ひたすら話を傾聴することを徹底した。

結果
離職率を下げ
安定したボトムアップを展開することができた。


そして、
入職して8年目で介護老人保健施設を退職する。

Learn
”みんな本当は聞いてほしい”


●デイサービス『再・失敗』

 次の職場はデイサービス
「デイの色を変えて欲しい」の目標から相談員としてスタート。

既存の管理職はいわゆる「お局さん」
全体的に諦めムードであった。

早速、経験したスキルを試す。

ここで大きな罠

新天地でやってはいけないこと
・過去の栄光を語る
・過去の成功体験を踏襲せず行う
・それまでの現場文化を否定

上記全てを6ヶ月間バッチリ行い
またも味方を失うw

色を変える前に
自分がそこの色を理解することは大切なことに
改めて気づく。
(染まらなくてもいいとは思う)

更に誤解をしていたのは
お局さんは
「ちゃんと話すとお局ではなく人だった」

これに気づいてから
現場が一変していくには、そんなに時間はかからなかった。

Learn
”敵はいつも自分が作ってる”


●新天地で『新展開』

 紆余曲折あり
田口事務長(以降田口)と共に訪問介護を設立し、そこの管理者へ。
更に、居宅介護支援事業所も設立(田口発信)
訪問看護は併設していたため、計4部門の会社となる。

ここから
話を一気にすっ飛ばしますw

その会社を田口と鷺谷は退職
鷺谷は人材コーディネーターの仕事に就くも肌に合わず、更に退職

そんな頃
田口は株式会社TAGUCHI&COMPANY設立し
軽貨物事業を展開

そこで
こんな二人の会話から今に至る

田口社長「一緒に新しいことをしませんか?」
鷺谷「いいよー」

Learn
”人生どんな道を歩むかわからない”

【こんな私ですが】

 世の中にある情報を要約し、日常的にある事象と絡めながら
活用できる具体的な情報をお届けしていきたいと思います。

どうぞ、よろしくお願いいたします♪

私を含めて情報過多な現代人の皆様へ

Learn
”好奇心は行動へ。疲労時は休息を。咲ける時に花は咲く”

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