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生きづらさ=自分だけの地獄

夏真っ盛りの暑さだったので、お気に入りのノースリーブの白いワンピースを着た。
全体に花柄が描かれていて、ボリュームのあるロング丈が風になびく感じがすごく好きだ。

似合わないなぁ…と鏡を見て思う。
まず私みたいな男顔には似合わない。
短すぎる髪にも合っていない。
ノースリーブから出る腕は太くて逞しい。
きっと女性らしい女性ならもっと素敵に着こなせるんだろう。
だから私はこのワンピースを、友達に会う時には絶対に着ない。お気に入りなのに。
もしこのワンピースを着て友達に会って
何か言われたら。言われなくても何か違和感のある反応をされたら。
おそらくこのワンピースはタンスの肥やしとなる。
そしてまた自分の「この感じ」が嫌でたまらなくなる。

顔立ちのせいか、がっしりした体型のせいか、とにかく女性らしい格好が似合わない。
だから私は基本、ボーイッシュな格好をしている。
女性らしさからなるべく遠ざかっている。「似合わない」「らしくない」は、ひどく傷つくから。
幸いボーイッシュな格好も嫌いではない。男顔だから似合うし。

でもそうすると、今度は「もっと女性らしくすればいいのに」「男みたいだ」「飾りっけがない」などと言われる。
「もっと磨けばいいのに、試してないだけじゃないの?」なんて言われ、もうほっといてくれよ!!!と思う。
私はボーイッシュも好きだし、可愛いワンピースも好きなんだよ。
気の向くままに好きな服を着たいんだよ、似合っても似合わなくても。
と言えるほど強くもない。

でも初対面で男性に間違えられたり、男っぽいと揶揄われるとめちゃくちゃ落ち込む。
友人の結婚式で初対面の新郎に「君男っぽいから俺の席座っていいよ!!」と言われた時は、死にたかった。

生きづらい。

こんなことで??と他人は思うかもしれない。でも私にとっては10代からずっと悩んでいることだ。
着たいものと、似合うもののギャップがありすぎる。それは生きたい私と、周りから見た私のギャップに結びついている気がして辛い。

ジェンダーレスという言葉が定着しはじめたとき、一種の救いを見つけた気がした。
あ、なら私も私のままでいいのかもしれない、と思えた。
それでも結局、周りに言われることは変わらない。
なんとか自分で自分が心地よい場所を見つけて生きていくしかないのだ。
小さな地獄はきっとこの先も続く。

そのジェンダーレスの先駆者みたいな方が亡くなった。
ファンでもなければ、尊敬していたわけでもないが、好きな格好をしてテレビに出ているあの人を見ると安心できたのだ。

人の死に方にどうこう言えるほど私は偉くない。
けどあの人にはあの人の、計り知れない地獄があったのでは、と思う。
もっとひどい生きづらさがあったんじゃないか。
それだけでも地獄なのに、誹謗中傷にも晒されていたのだから、辛かっただろう。

誰一人生きづらさを感じない世界なんてありえないのかもしれないけど、
こんなにも生きづらいか??と思ってしまうんだ。
弱者が、マイノリティが生きやすい世界。
でもそのために周りが負を背負わなくてもいい世界。
せめて子供達が大きくなる頃には、そういう世界に近づいてほしいと切に願う。

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