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2月、菜の花、桃の花

菜の花

スーパーで菜の花を見かけるとうれしくなります。しっかりとした茎から若々しくやわらかい葉っぱとプチプチとしたつぼみがなっていて、ときどき黄色く咲いているとちょっとしたブーケのよう。春の訪れをかわいらしく知らせてくれるから、ついついカゴに入れてしまう。

菜の花は茹でると昆布のようないい香りのだしがとれます。茎を30秒茹でてから穂先を入れてもう30秒。水にさらしてぎゅっと絞る。茹で汁にお醤油を少し入れて浸すだけで、シンプルなおひたしのできあがり。みずからのだしで浸しておいしくなるなんて、素敵だ。

骨董屋さんで500円で買った、大正時代のお皿に盛り付けてみると、よく似合っていてうれしい。さわやかな苦味と甘み、目の醒めるようなあざやかな緑色に舌も目も癒された日。

桃の花

大学院時代の先輩と久しぶりに会いました。遠方に住む彼女とはときどき手紙をやりとりしていて、今どきめずらしい貴重なペンフレンドでもあります。万年筆でしたためた、達筆で気持ちのよい字がならぶ手紙の数々が引き出しにたくさん溜まっていることは、私のちょっとした自慢です。
凛として快活な彼女ですが、とつぜん難病を患い、しばらく入院生活を余儀なくされていました。

東京で久しぶりに会って、リハビリのことや家族のこと、恋愛のことなどさまざまに話して、病を受け入れ、前に前に進もうとする先輩の姿に心が動きました。「文化的に生きるのって大変よね」と話す彼女は、苦労の滲んだ、けれど知的で美しい顔で笑って、つぼみをたくさんつけた初物の桃の花をくれました。



文化的に生きること。それはわたしの人生のモットーのようなもので、生きる目的でもあります。

文化的に、と一口に言ってもいろいろあるでしょうが、つまるところ私は芸術に関わる仕事をずっと続けていきたいし、余暇には映画を観て、展覧会に行き、知らない街を歩き、音楽を楽しみたい。好きな小説や漫画やドラマの話を誰かとしていたいし、ファッションやインテリアにも詳しくなりたい。そんなふうに人生を過ごしていけたら、これほど幸せなことはないと思います。けれどそれにはお金にも時間にも心にも余裕がなくてはなりません。生活をするのも大変なこのご時世、どうやってそんな余裕を持つのかと考えると、なかなか難しい。

お金や時間の余裕を持つことは簡単にできなくとも、ただ心だけはいつも豊かでいたい。それには、心の琴線に触れることやものを生活の一部にしていくしかないと思うのです。

日常で出会う些細なものごとを、ゆっくりじっくり観察してみる。かみしめてみる。旬の野菜を買ってみたり、いつもより早い電車で出かけて散歩してみたり、いつもそばにいる人には新しい話題を振ってみたり。それだけでも心に余裕ができて、感性のアンテナがふるえる気がしています。

菜の花はきれいでおいしいこと。思いがけずもらった花はうれしいこと。素敵な友人がいることは当たり前でなく、尊いこと。感性をたよりに生きていきたいこと。ささやかなものごとや身近で大切な人たちをとおして、そんな気付きを得た2月です。

願わくば先輩のように、知性を磨きながら考えることをやめず、苦難にも果敢に立ち向かい、特別じゃない日にも誰かに花をあげられるような人になりたいと思うこの頃です。

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