あるブリュッセルのレース商の物語 その6
私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。
前回までのあらすじ
レース商人ジャン=バティスト2世ゴドフロワはヴェルサイユ宮廷に仕えながらも密輸などの不法行為に手を染め逮捕されるという憂き目に遭いつつ、家業の隆盛を目論む最中ゴドフロワ家を支えた母親の死に直面するのでした。
《 ア・ラ・コルベイユ・ドール 》
ー カンカンポワ通り
ジャン=バティスト2世は堅実な人物で、手紙から浮かび上がるのはその慎ましやかな姿でした。そして妻に忠実であり画家シャルダンが描く絵のモデルのような内面的で愛情深く優しい男でした。
幸福に敏感で絹地の《 アビ・ア・パニス 》を身にまといレースのカフスを着けて、日曜日や休日には友人たちとヴァイオリンを弾くのを楽しみとした人物です。
手紙のなかで彼は大好きな楽器をブリュッセルに置いていくのは心残りだとも言っているのです。
ジャン=バティスト2世は《 ア・ラ・コルベイユ・ドール 》( 黄金の花籠 )という屋号の店舗をパリのカンカンポワ通りに開業します。
カンカンポワ通りはかつてルイ14世の治世に財務総監コルベール氏の後押しによって発足した王立レース会社の事務所が置かれた場所であり、オルレアン公の摂政時代にジョン・ロウ氏のスコットランド銀行の設立による輝かしい功績の余韻が漂う場所でもありました。
この開店を妹宛ての手紙のなかでジャン=バティスト2世は満足げにこのように描写しています。
「1階は店舗と事務所、2階は台所と食堂と寝室、3階は使用人の部屋、それに倉庫と馬と幌付き馬車用の小屋がある」。
《 ア・ラ・コルベイユ・ドール 》は当時の一般的な店構えのレース店だったようで、ここがゴドフロワ家のパリでの拠点となったのです。
ー 妹との諍い
ラ・プティット・ムールの愛称で呼ばれていたジャン=バティスト2世の妹は寄宿舎時代に算数よりダンスに夢中になっていたようで、会計に何度も間違いをしていました。
この妹がブリュッセルに居るからこそ、その婚家( レース商のロンドー家 )との繋がりなどもありジャン=バティスト2世はフランス宮廷の顧客のさまざまな要求を満たすことがでたのです。
それにもかかわらずある手紙のなかで「 No.315は請求書に記載されている13と5/16オーヌではなく、ラベルに記載されている13と1/2オーヌだった。更に小さな誤りがありNo.313は請求書では2と2/16オーヌ、ラベルでは2と1/16オーヌと記されてある。勘定書に書き入れてから気づいたが、その差は大きくないのでそのままにしておくことにする 」と小言を述べるのでした。
時には間違いがもっと深刻で、ジャン=バティスト2世がひどく怒ることもしばしばでした。
「 請求書が正しいことを都度確認し、誤りを私がいちいち確認しなくてよいように発送する前に必ず二度目を通しなさい 」。
そしてジャン=バティスト2世は、あまりに無頓着なこの妹に助言を惜しまないのです。
「 つなぎ合わせて後で再利用できるから請求書は手紙と同じ紙に写しを作りなさい 」。
「 カフスとレースが同じ請求書に入る場合は、カフスを全部並べてレースはその後に入れるようにお願いする。また、最後の請求書ではあなたが私に記した580フローリン18ソル9リヤールではなく580フローリン16ソル2リヤールだ 」等々、ジャン=バティストはその几帳面な性格を反映して彼の事細かい指示は止むこと知りません。
妹は大らかな性格で少々大雑把であることが手紙のなかから垣間見えるのです。彼女は梱包が苦手でいつも箱は潰れて商品はひどい状態でパリに届くのでした。
あるときは「 梱包の箱が深すぎて少しでも重さがあると真ん中で歪んでしまう 」と不満げに妹をたしなめることもありました。
ある日、ジャン=バティスト2世はどうしようもなく注意散漫な妹に提案を投げ掛けました。
「 一人きりの冷静な時に受け取ったものと支払ったものを毎週明瞭に記録するように 」。
兄は年長者特有の考えで妹のあらゆることに口を出すのです。「 この品物は高価なものだと思うのだがあなたが製造した商品の利益をどう計算しているのか、職人たちと十分に交渉していることを私に示しなさい 」。
ジャン=バティスト2世は妹を追求する手を緩めることを知らないのでした。
つづく
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