見出し画像

私の【 目利き論 】 ー アンティークレース ー

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


目利きということ

ー  一般論に惑わされない

 今回は私の考える【 目利き論 】についてみなさんにお話ししたいと思います。

 まずは【 目利き 】という言葉について考えてみましょう。目利きとは「器物・刀剣・書画などの真贋・良否について鑑定すること。また、その能力があることや、その能力を備えた人」だそうなんです。

 では、目利きって能力は蒐集に必要なのでしょうか? 私は目利きという言葉がどうも嫌いなんです。目利きのもつ意味合いのなかに【 掘り出しもの 】を見つけ出す能力を感じたりもしますよね。

 現代のような情報が溢れ返る時代、さらにほとんどの物品に【 相場 】というものが確定している時代に【 掘り出しもの 】を見つける機会は稀有なんですよね。

 美術品であれば価値は定まっていると思いますし、ものの価格が【 競売 】という市場で跳ね上がったり、需要の大きさが価格を左右することもあるとは思います。

 アンティークレースであっても【 市場価格 】というものはありますし、「これは思いのほか安かった」ということもあるかもしれません。

 他よりも「安く」入手できた。とか「これは値打ちがある」といった目線。それは一方で「ものを見る目を濁らす」ことに他ならないんですよね。【 欲目 】という言葉があるように、値踏みして欲目でものを見れば判断を誤ることに繋がると思うのです。

 また別の側面として欲目は実際のレースの真実の姿を歪め、自身のコレクションを箔付けしたいと思うのか《嘘》を言ったり書いたりする蒐集家や研究家も世の中には案外多いのです。

 こういった《虚偽・虚構》はある時から一人歩きをはじめて知らず知らずのうちに一般論となって、それが正論であるかのように語られていくのです。

 ですので、私が考える【 目利き 】とは、このような一般論に惑わされずにものの価値を見極められる人を指すのだと思うのです。

 では、「ものの価値」って何なのでしょうか。それは《金銭・金額》で推し量れない自分のなかにある価値観に基づくものではないかと、私は考えているんです。

ー  アンティークレースにおいて

 「価値観とはどのようなものでしょうか?」

 それは個人に根ざすものであって、一般論で論じてしまうと惑うことになると思うのです。

 たとえばですね、アンティークレースの世界では「大きな作品から切り取られて造りかえられたもの」は価値は低いとされているんです。

1725年ごろから1730年代に作られたポワン・ド・スダンのクラヴァット・エンド( ネクタイ飾り )から作り替えられた襟
精緻なレースとして知られるポワン・ド・スダンのなかでも特筆すべき複雑なステッチの技巧が見られます
広幅などの大きな作品では効率化のためにステッチの種類は限られ小さな作品ほどには使われません
亀甲型のステッチは【 ロザース 】と呼ばれ薔薇の花を象ったものです
薔薇の花を象った【 ロザース 】と呼ばれるステッチが見られます

 この襟は1725年頃に作られた「クラヴァット・エンド」(ネクタイ飾り)から切り取られたものです。【 ポワン・ド・スダン 】と呼ばれるニードルレースで作られているんですが、スダンは精緻で複雑なステッチワークで知られているんですね。

クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館所蔵のクラヴァット・エンド
私のコレクションの襟と同じデザインですが、グラウンドはレゾー( メッシュ )になっています 

 スダンは大きな「僧衣の裾飾り」のような広幅の作品が多く作られたことでも知られているのですが、この大きな作品は製作期間の短縮化を狙ったのか大味な作品が多いんです。

 極々稀にですが、非常に細かなステッチで繊細に作られた広幅のものもあるのですが、大概は少し野暮ったくデカいだけなんですね。

 世の中には「大きいことは良いことだ!」というような方もいらっしゃるのでその方にとっては大味でも良いのでしょうが、私の価値観は違うんですね。 

ポワン・ド・スダンの広幅レースとしては非常に繊細で洗練されたステッチワークが見られる作品の例

 「変に大味で野暮ったいけど、パッと見は豪華」というようなものよりも、「繊細で精緻、見たことも無い複雑なステッチ」が私の価値観には響くんです。

 だからこそ、一般論では評価されない襟に造りかえられたものでもとても美しいと思うんです。このレースですが、みなさんも実物を一目でも見られたらきっとその素晴らしさに魅せられると思うんですよね。

目利きとは愛情

 独自の【 目利き観 】を持つこと、それはとても大切なことだと思います。自分の基準を明確にもてば一般論に惑わされることもありませんし、他人の価値観に振り回されることもありません。

 全てでは決してありませんが、素人だと思ってお客さんを口だけで誤魔化す質の悪いディーラーも世の中にはたくさんいます。

 書籍や専門書からの文字による知識を積み重ねるよりも実際に博物館や美術館で直接見たり自身で蒐集したレースに手で触れて、作品と対話することが一番大事なことなのだと思うのです。

 私は、コレクションから蒐集家の愛情を感じることができるのがとても素敵だなと思っています。そこには蒐集という行為と人生を共に歩んだその人の歴史が詰まっているからです。

 どんなに立派なコレクションでもそこに愛情を感じなければ、それは私にとってはただの「ものの集合体」にしか見えないんですよね。コレクションは論理的にするものでもなく、財閥の時代でもないので資産に飽かせてするものでもありません。

 その反対に、どんなに小さなコレクションでも蒐集家の愛情を感じて思いが伝わってくるときにはそのコレクションが私に色々なことを語りかけてくれて、興味深く惹き込まれてしまうものなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?