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赤ちゃんの「おくるみ布」 ー 17世紀の育児 ー

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


スワッドリング Swaddling の歴史 

ー 乳児のおくるみ布

 乳児の身体を、適当な布地でしっかりと縛る【スワッドリング】と呼ばれる行為は、何千年も前から行われてきました。【スワッドリング】は様々な国籍、社会経済的背景をもつ人々に利用されてきたのです。

ヤコブ・デ・グラーエフとアエルツへ・ボーレンスの夭折した子供たちの肖像
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Een_ingebakerde_tweeling;_de_vroeg_gestorven_kinderen_van_Jacob_de_Graeff_en_Aeltge_Boelens_Rijksmuseum_SK-A-981.jpeg

 毛布などの布で包まれた乳児の動きをさらに抑制するために、人々は【スワッドリング・バンド】と呼ばれる帯状の布で乳児をぐるぐる巻きにして固定することを考案しました。

 長い歴史の間、子どもの誕生をむかえた親たちや育児をする乳母たちは乳児の健康と安全のために、スワッドリングを行うことは必要であるとの考えを疑うことはありませんでした。

 彼らは乳児の手足を布の帯で縛りつけることで、手足が真っすぐに成長すると心のそこから信じていたのです。

フェデリコ・バロッツィの描いた、幼いウルビーノ公フェデリコ・ウバルド・デッラ・ローヴェレの肖像
https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Federico-Fiori-Barocci-or-Baroccio/1021878/ウルビーノ公爵フェデリコ・ウバルド・デッラ・ローヴェレの肖像(幼児)---絵画.html 

 この迷信を人々が一般常識として捉えていたのは、17世紀に至っても変わりませんでした。

 1671年に、イギリス人のJane Sharpジェーン・シャープ ( 1641年頃-1671 ) が発行した育児の専門書『助産師の本』のなかで、彼女は「乳児は柔らかい小枝のようであり【スワッドリング・バンド】を用いればあなた方がかつて使用したように曲がっていたとしても真っすぐに成長するのです」と述べているほどでした。

 およそ300年前のヨーロッパでは乳児は寒さに弱いとも考えられていたので、12種類にもおよぶ布や衣服に包まれて重ね着をさせられていました。

 この時代の乳児は、方形の羽織り、オムツとして使用したナプキン、腹巻き、前明き、もしくは後ろ明きのシャツに三角形の頭巾が含まれ、1つもしくは2つの帽子を被せられました。2つの帽子を重ねる場合は下の帽子は無地の生地を使用し、上の帽子は豪華に装飾されたものを使うのが一般的でした。

 これらの上からプリーツの施された【ベッド】と呼ばれる布地が巻かれ、さらにその上から3メートル以上の長さのある【スワッドリング・バンド】を螺旋状や杉綾状などの様々なパターンで巻きつけました。

ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の所蔵するカットワークのスワッドリング・バンド
https://collections.vam.ac.uk/item/O38154/swaddling-band-unknown/

 17世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパでは死者のおよそ半数は5歳未満の乳幼児であったといわれています。子を思う親の気持ちは推して量れますが、乳幼児の健康に関する懸念は過剰なまでの衣服や布製品の重ね着を助長し乳児用衣服の多様性に拍車をかけました。

ー スワッドリングの終焉

 はじめてこの行為を公に批判した人物は、スイスの外科医Felix Würtzフェリックス・ヴュルツ ( 1500年頃-1598 )だといわれています。彼は【スワッドリング】のやり方自体に疑問を投げかけ、「しかし、彼らは誤解して真っすぐ縛ろうとしたのですが実際は手足を曲げて縛った上に包帯を強く締めすぎて子供が安らげないようにしたのです」と語っています。

 17世紀のおわり、1693年にイギリスで出版された『教育に関するいくつかの考え』のなかで著者の哲学者John Rockジョン・ロック( 1632-1704 ) も「子供の衣服は重すぎず締めすぎず、暖かすぎないものであるべきである」として【スワッドリング】の行為に警鐘を鳴らしました。

 このようなロックの考えや、ロンドンに拠点を置いた医師のWiiliam Cadoganウィリアム・カドガン ( 1711-1797 ) が経営する養育院で行った孤児を対象とした研究をふまえた【スワッドリング】の完全な廃止の訴えなどが徐々に浸透し、18世紀後期には乳幼児用衣服はよりゆったりとしたものへと取って替えられていくのでした。

 こうして古代から続く【スワッドリング】の行為と、そのために使用された【スワッドリング・バンド】は顧みられることがなくなっていきました。


亜麻布製のスワッドリング・バンド Swaddling band

1590年から1600年代初頭にかけて作られた、亜麻布製のスワッドリング・バンド

ー 刺繍とボビンレースのぬくもり

 この長さが3.7mにもおよぶ乳児の【スワッドリング・バンド】は私のコレクションのひとつです。

 手紡ぎによる亜麻糸を手織りした平織りの生地に、臙脂色の絹糸と絹糸を芯にした金糸を使ってサテンステッチとバックステッチによる小さな花のモチーフと自由なスクロールの枝葉のデザインが手刺繍されています。

 縁取りには刺繍と同色の絹糸と金糸を使用した平易なデザインの簡素なボビンレース(複数の糸巻きを使って糸を互いに交差させながら作るレース)が使われています。

 刺繍の単純な技法やボビンレースの技術などからこの【スワッドリング・バンド】は家族間、おそらくは親戚や友人の贈りものか、もしくは妊娠中の母親自身によって作られたことが想像されます。

 縁取りのボビンレースのデザインは1557年に出版されたGiovanni-Battista Sessaジョヴァンニ・バティスタ・セッサとMarchio Sessaマルキオ・セッサによるレース図案集『Le Pompe』に掲載されている木版画の図案と関連性が認められ、このことからこの【スワッドリング・バンド】が16世紀後期から17世紀初期に製作されたことがわかります。

 深い家族の愛情を感じることができるこの作品は、私のコレクションのなかでもとても印象深いものとなっています。

紙製のラベルとタグがつけれらたスワッドリング・バンド

ー ヴェルディエ・ド・フロー伯爵夫人

 私の【スワッドリング・バンド】には興味深い点がもうひとつあるのです。

 この作品には紙製のタグが1つと紙製のラベルが2つ付けられているのですが、タグとラベルにはそれぞれ「250 Etoffes」「250 Etoffe Mme. de Flaux」「Mme. de Flaux」と手書きの文字が書き込まれています。

 このMadame de Flauxマダム・ド・フローとは一体だれなのでしょうか。

 1883年にパリのUnion Centrale des Arts Décoratifs( 装飾芸術中央連合 )により開催された「テキスタイルの歴史展」のカタログを調べると、18世紀のローブ・ア・ラ・フランセーズ(フランス風ドレス)をこの展覧会に貸し出されたフロー伯爵夫人という人物に行きつきました。

 Clémence Eliane Adolphine Pascal, Madame la Comtesse de FLAUXフロー伯爵夫人クレマンス・エリアーヌ・アドルフィーヌ・パスカル ( 1824-1909 ) は、19世紀の後期から世紀末にかけて古い刺繍や染織品の蒐集で知られていたそうです。

 この【スワッドリング・バンド】は、フロー伯爵夫人クレマンスの所有した彼女のコレクションのひとつでした。

 クレマンス・パスカルは1843年に南仏のユゼ近郊が発祥のフロー伯爵 Pierre Justin Armand VERDIER DE FLAUXピエール・ジュスタン・アルマン・ヴェルディエ・ド・フロー ( 1819-1883 ) と結婚し、1889年に夫と死別されたそうです。

 爵位を継承した長男は母親に先立ち1892年に死去してしまいます。若い息子には継承者はなく、クレマンスはヴェルディエ・ド・フロー家の最後の成員となりました。彼女の死によりフロー伯爵家は断絶してしまったようです。 

 生まれてくる新生児のために、丹念に一針一針刺繍をしボビンレースを編んだ送り主の思い。

 そして、フロー伯爵夫人の前にも後にもこのおくるみ布を愛情と情熱を持って大切に受け継いできた家族や蒐集家たちの思い。

 それが連綿と伝えられてきたことを思うとこの作品を後世に引き継ぐという重要な責任があるのだと、私は深く感じることとなりました。


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