あるブリュッセルのレース商の物語 その3
私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。
前回までのあらすじ
ジャン=バティスト・ゴドフロワが世を去り2人の幼い子供を抱えてゴドフロワ夫人は「肝っ玉母さん」よろしく家業を引き継ぎ、レース商人として事業経営に邁進するのでした。
ゴドフロワ夫人
ー ゴドフロワ夫人の家族
ゴドフロワ夫人には兄と姉がいました。兄はルーズ司祭兼教区長でギヨーム・フランソワといい、姉のアンヌ・マルグリットはフカール氏という人物と結婚してフカール夫人となっていました。
兄とは仲が良く、食卓を共にしたり妹にいろいろな依頼をしていたようです。
《 カツラと6リーヴルの紅茶 》へのお礼や《 インドかフランス、もしくアントワープ製の白地の少し花柄の入ったダマスク織を4オーヌほど良い値段で探してきて聖務日課の日に金色の十字架のついたカズラ( 司祭服 ) 》を作ってほしいとの依頼など、兄からゴドフロワ夫人への手紙がたくさん残されています。
フカール夫人は兄妹の母親カトリーヌ・ユルスル・ド・サール・ムーランが所有していたステーンポールトの家に住んでいました。
母親のカトリーヌは布地・家具・骨董品を商っていたようで、フカール夫人は母親の家業を引き継ぎました。妹のゴドフロワ夫人に布地やスカーフ、洗面器など時折届けたりもしています。
兄妹は何度かの意見交換と手紙のやり取りをして、ルーズ教区長とゴドフロワ夫人はステーンポールトの家を、フカール夫人に妥当な金額で譲ることとしました。
フカール夫人は推定6,500フローリンのところを5,400フローリンでこのステーンポールトの家を手に入れることができました。
兄は満足して「このようにして、この善意は我が家に留まる」と結論づけたようです。この単純な言葉は、この徳の高い家族の間に常に存在した壊れることのない愛着を物語っています。
ー ゴドフロワ夫人の経営
ゴドフロワ夫人は鋭い経営センスを持ち、毅然とした態度でありながらも愛想の良い人物だったようです。
彼女は結局、夫を悩ますこととなった【 ノイマン事件 】の債権をイトレ侯爵の介入により放棄したようです。事件の結果、その後のゴドフロワ夫人は相手の支払い能力を確認した上で誠意を持って取引するように努力したのです。
やがてゴドフロワ夫人は息子のジャン=バティスト2世を家業に関わらせるようになりました。
ルーズ教区長の伯父が長じても信心を怠ることのないように願ったジャン=バティスト2世はその約束を育んで立派に成長したようです。そして彼の人間性が反映されたその手紙はとても上品な筆致で書かれているのです。
ジャン=バティスト2世は、父親の代から親交のあったドゥネイ氏の一家を頼ってロンドンに長期滞在していました。そして結婚を機にパリに移り住むことになります。
パリでジャン=バティスト2世はヴィルヌーヴ・ド・ボワロジェ氏とヴァロン・ド・ヴィルヌーヴ氏の《 2人のヴィルヌーヴ 》と知り合い、友人関係になりました。
ヴィルヌーヴ・ド・ボワロジェ氏はコルドリー通りの住人で、国王ルイ15世の宮廷でのレース取引を望んでいました。
彼は自らの成功のために、宮廷に仕えるある大臣にゴドフロワ家の招致を相談します。そしてゴドフロワ一家と大勢の職人のための住まいとしてパリの城門にある王の城館近くに住居を用意し、旅費や日常生活を賄える資金を準備していることを手紙でゴドフロワ夫人に打ち明けました。
その大臣が言うにはブリュッセル・レースはブリュッセルと同じ糸を使い同じ職人が作れば他国でも作れるだろうとのことだったのです。
しかし別の大臣は過去の自身の経験に基づいて、たとえブリュッセルと同じ糸と同じ職人を呼び寄せたところでブリュッセルから遠く離れた土地では、ブリュッセル・レースほどの美しさや白さをもつ良いレースにはならないだろうと助言するのでした。
困惑したヴィルヌーヴ・ド・ボワロジェ氏はこの大臣たちの言葉を伝え、ゴドフロワ夫人に意見を求めたのです。
ゴドフロワ夫人は亡くなるまでブリュッセルに留まり続け、多くの愛情や家族の絆に支えられていることになりました。結局、彼女はヴィルヌーヴ・ド・ボワロジェ氏のこの計画に加わることはありませんでした。
ブリュッセルで出版された『Journal de Commerce』( 商業誌 )の匿名の著者が《 ブリュッセルの製造業者が外国人の提示する約束を軽蔑し常に誘惑に負けないのはそのためだ 》と賛辞を送っているように、レース商人たちは自分たちの役割をよく理解して誇り高いブリュッセルのレース産業の優位性が外国の商人たちの悪だくみによって損なわれることのないように、常に産業保護の立場に徹していたのでした。
つづく
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