メルマガコラムアーカイブスVol.3 「その演技に根拠はあるか?」

こんにちは。座付きの大塩です。
2023年最後の note は、過去のコラムからの再掲シリーズですが、本稿は今こそお読み頂きたい内容となっております。

本稿執筆時の3年前の大晦日から時は流れ、私がコラムの中で憂いていた当時よりも、アメリカを巡る状況は悪化してしまいました。
そんな状況だからこそ、再掲を決めました。
新年1発目の note は、新作をお届けします。
それでは、また来年お目にかかりたいと思います。

その演技に根拠はあるか?

色々あり過ぎた2020年も押し迫りに押し迫った大晦日、皆様お変わりありませんか。私はおかげ様で元気にしております。
前回のコラムが、アメリカ合衆国大統領選挙の開票作業真っただ中でした。それからだいぶ経ちましたが、いまだに次期大統領が誰なのか断言できないという、不思議な事態が続いています。
しかし今回の一連のゴタゴタは、全世界が「根拠」というものについて考え直す好機だと、私は考えています。
トランプ大統領(本稿執筆時点ではまだ在任中)が乱発した訴訟がことごとく退けられる報道を目にする度に、序詞の如く付随していたのが、「証拠を示さずに」という文言でした。トランプ陣営及びその支持者の訴えに決定的に欠けているのがその「証拠」でした。そして証拠を示さない主張は司法の場において黙殺されました。これは当たり前すぎることではありますが、重要なことです。私はもう長いこと、無根拠な発言が蔓延する世相に辟易しているのですが、今回の大統領選挙を契機に、根拠や証拠のない非論理的なもの言いが、まともに取り上げられない世の中になって欲しいと願っています。
そもそも、トランプの発言に散見される白人至上主義自体があまりに無根拠で稚拙な思い込みです。日本でも、トランプ擁護の発言には無根拠なものが多々ありました。偽造された画像や別件の画像をせっせと拡散していた人たちも同様です。
これは、他国の選挙に限ったことではありません。根拠のない主張は世にあふれています。例えば、私が心底うんざりするのが、選択的夫婦別姓に反対する発言群です。よく見かけるものに、夫婦同姓は日本の伝統だから、というのがあります。これなど、伝統だから何なんだ? という疑問に対する回答要素がありませんから、根拠でもなんでもありません。しかも、同姓にも何も、庶民にまで姓が行き渡ったのは明治以降で、日本の歴史の中に置いてみれば、ごく最近できた短い伝統です。しかし「伝統だから」で押し切ろうとする人々が存在し、それを支持する層があるのが事実です。私はここで夫婦同姓が良いか、別姓が良いかを云々するつりはありません。問題は、どちらの立場にせよ根拠を持った主張以外は価値がないという点です。

さて、これを芝居で考えてみるとどうでしょう(壮絶に長いマクラでしたが、これが本題です)。ご自身の演技に根拠はありますか?
根拠のある演技とは、小さな面でいえば、台詞回しや所作・表情に「なぜそうしたのか」はっきり回答することができるものです。上手な人は必ず根拠があります(もちろん根拠がなくても、コンテクスト無視でも、その人にしかできない絶対性を持っていてスターになる人はいます。が、「上手な人」ではありません)。
WSやオーディションでよくお見受けする残念な演技の典型は、ひとつの台詞の中で立てた単語に根拠がないというものです。なぜその単語を立てたのですか? と聞いても「なんとなく」や「強調した方がいいと思ったから」という答えが返ってきます。数字だから立てるとか、ちょっとパワーワードっぽい単語(「殴る」「死ぬ」など)や感情を表す単語(「好き」「嫌い」など)があると、それだけで立ててしまう。本当にそれを立てることで、何が得られるのかにまで考えが及んでいない。これが無根拠な芝居です。
反対に上手な人は、大事だと思われる単語をあえて抑えたり、聞き取りづらくしたりします。相手役や観客がより注意して聞き耳を立てるようになるから、という根拠があるのです。
この手法の名手は『その時歴史が動いた』のナビゲーターを担当していた、元NHKの松平定知アナウンサーでした。松平さんは大事な言葉ほど抑え、ほとんど聞き取れないくらいの音にしていました。しかし、それが視聴者を引き付けました。見事に計算された台詞回しです。
俳優では往年の時代劇スター・片岡千恵蔵さんの台詞術にそうした傾向が見て取れます(「お前いくつだよ」と思った人、なかなかいいセンスです。「片岡千恵蔵って誰?」と思って調べた人、それが正解です。「知らない」でスルーした人。残念ながら演技者としての成長は期待できません)。
もちろんこれは台詞の中で立てる単語だけの話ではありません。表情の作り方も同様です。固定観念に縛られ、なんでも相手役の目をじっと見ればいいと思っている人いませんか? 相手役の意識を変化させるという根拠をもって大胆に視線を瞬間的に外す演技をした人と、オーディションで勝つのはどちらでしょう。観客の心に残るのはどちらでしょう。
今回も長くなりましたが、要は根拠です。当然、すべての根拠が演技として正解になる訳ではありませんし、理屈を超越した演技が説得力を持つことも事実です。が、それでも根拠が大事です。なぜならば、その根拠が間違っていたなら修正できるからです。無根拠な芝居は、一度失敗したときに、次にどうしようという対策が立てられません。
藝の道は険しく、簡単に毎回正解の演技なんてできません。それでも根拠をもって臨めば、次の手に繋がる、すなわち成長が見込めるわけです。

私はWSの際には「いまのお芝居、なせそうしました?」と優しく聞きますので、何らかの答えを用意して演技を見せて下さい。それが良くても、良くなくても根拠に基づいて議論し、ステップアップの道を探ることが可能です。
散々書いてきて結局CMかよ! と思った人。半分正解です。なぜなら、これで興味を持つ人がいるという根拠に基づいて執筆したコラムだからです。
もう半分は、WSだけでなく、公演の稽古でも演技に根拠を求めるのは営業ではなく、信念に基づくものだからです。
信念と打ったら最初に「新年」が出てきました。このまま書き続けてカウントダウンコラムになると大変です。信念をもって一陽来復新玉の春を迎えたいと思います。最後ダジャレかよ! と思った人。誤変換には人間の思考を脱臼させ、予想外の地平を切り開く効果が……もういいですか。

本年一年、公演はありませんでしたが、新たなWSを始めるなど、現状でできる活動にご理解を賜り深く感謝致します。
来るべき年こそ、制約なく喜怒哀楽が全力で表現できるようになりますことと、皆様のご健康をお祈り申し上げております。
どうそ、良いお年を!
                               朗読パンダ
大塩竜也

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