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新型ウィルス流行の今こそ『天冥の標Ⅱ 救世群』を読もう

ドーモ。マーズです。

新型コロナウィルスが世界中で大流行し、我々の生活や経済にも様々な面で影響を与えている。実際私の職場も3月のはじめから、一週間ほど中断をはさみつつもずっとテレワーク施行中であり、しかも住んでいる地域では週末外出自粛要請が出た(自粛を要請って一体何だよ)。

外に出られなくて暇なときは、家で小説を読むのが上策。そして幸いにも、こんなご時世にぴったりの小説を知っている。今世紀最高に面白いSF長編小説『天冥の標』(小川一水・去年の日本SF大賞受賞作)シリーズの第Ⅱ巻『天冥の標Ⅱ 救世群』だ。例によって以下ネタバレを含むので、嫌な人は買って読むんだぞ。(ちなみに前回感想を書き散らした最高の百合SF『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』の作者だ)

追記:Ⅰ巻・Ⅱ巻が5/6まで期間限定で無料になったぞ!https://www.hayakawabooks.com/n/n23ba211f133a?gs=a27b61e2a612

あらすじ――西暦2015年、太平洋のとあるリゾート島で、国立感染症研究所の医師・児玉圭吾たちは、恐ろしい伝染病のアウトブレイクの現場にかけつけた。それは「冥王斑」と呼ばれる凶悪なウィルス性伝染病であり、極めて高い感染力と致死率を持っていた。その上患者は症状が治まっても保菌し続け、さらには子供にも垂直感染するという、恐ろしい病気だった。その性質上、一度罹患したが最後、患者たちは社会とのあらゆる接触を断たれ、あらゆる社会活動も行うことなく、隔離施設で患者どうしで暮らさなければならないのだった。児玉は患者たちと寄り添い、中でも患者の少女・檜沢千茅と心を通わせ、彼らを孤立させまいとする。しかし冥王斑が広がるにつれ、社会と患者たちとの溝は深くなっていく――

この小説は伝染病と人類との壮絶な戦いを描いた、パンデミック小説だ。主人公である感染症医の児玉圭吾の視点を通して、「病気」という観点から人間を描いている。その彼の世界観が端的に現れる冒頭の描写を引用する。

灯火の輝く都会の路上を、無数の人が歩いている。コート姿のビジネスマンの二人連れ、きりっとした顔のミニスカートの娘、声高に持論を語るオタクっぽい一団、まだ制服に着られているような塾帰りの小学生。どこから来てどこへ行くのか把握できない個人と個人と個人。そのすべてが、他の個人とひっきりなしに数十センチの距離ですれ違い、しばしばぶつかり――(中略)――時には交わる。(中略)そんな度し難い生き物がこれほども、数十万数百万と寄り集まっていながら、件の怪物ども(引用者注:感染症)に食い荒らされず、滅ぼされもしていないのは、まったく何かの奇跡だとしか思えない。実際ある意味では、みんなで寄ってたかって綱渡りをやっているのに等しいのだろう。(pp. 25-26)

今回の新型コロナウィルス感染症の騒動でしばしば指摘されるのは、「インフルエンザの方が死者数多くね?」という点だ。実際のところは、致死率でいうと新型コロナウィルスの方が高いそうだが、しかしインフルエンザは世界中に蔓延し切っているため、現時点(4月3日時点)ではどちらが驚異的かは甲乙つけがたいところはあるかもしれない。

新型コロナウィルスとインフルエンザのどちらが脅威であるか、あるいは恐いかはさておき、人類社会は常に感染症とともにあったと言っていいだろう。しばしば引き合いに出される、ヨーロッパの人口の1/3を消し去り、ヨーロッパの社会や文化にも多大な影響を与えたペスト(黒死病)や、スペインから南米に持ち込まれ、壊滅的な被害を与えた天然痘やチフス、第一次大戦時に発生したスペイン風邪などが代表的な例だ。他には麻疹や風疹など、身近ではあるものの危険な病気もある。特に風疹は胎児の先天性障害を引き起こす病気であり、アガサ・クリスティがこれを題材に作品を書いている野は有名だ(『鏡は横にひび割れて』)。21世紀に入ってからでも新型インフルエンザやSARSといったウィルスが発生している。

ある意味では、感染症は非常にありふれた存在であるとも言える。風邪なんかも立派な感染症の一つらしい。その一方で、時には非常な脅威となり、社会全体にまで影響を及ぼすものとなる。14世紀末から15世紀にかけてヨーロッパで流布した「死の舞踏」というモチーフは、ペスト禍によって成立したと言われている。それほどまでに大きな影響力を持つ感染症という存在を隣人として、我々は普段の生活を送っているのだ。それは薄膜で保護された偽りの平穏とでも言うべきもので、ちょっとした拍子に破れてしまうものである(もちろん日々我々を危険から遠ざけてくれている医療従事者の方々や、日常的に防疫を意識している市井の我々の努力あっての平穏である)。ひょっとしたら身近な人が死ぬかもしれない。みんなが知っているあの人が、あるいは自分が。それが感染症というものなのだと、最近感じているし、みんな感じているだろう。

現在の我々の社会も、今まさに新型コロナウィルスによる影響をもろにかぶっており、日本ではこれを機に社会が良い方向に変容してほしい、という期待も持たれている。だがその一方で、政府が「自粛」を「要請」する程度であるせいで、人々があちこちに移動する結果感染を抑えられず、それによって人間関係がぎくしゃくし、そうした振る舞いを「身勝手」として攻撃する人も現れ、といった具合に、様々な問題が引き起こされたり、あるいはもともと存在していた問題が浮き彫りにされたりしている(医療機関のリソース問題なども)。伝染病はその性質上、一人が病気にかかるだけでは済まず、その周りにあらゆる人がその割を食う可能性がある。故にワクチン接種なども個人の自由の範疇に収まらない公共的な性格も持つので、そうした医療の分野にとどまらない社会的問題が起こりやすいのだろう。

『天冥の標Ⅱ 救世群』においても、冥王斑によって露わになる人間のどうしようもない愚かしさが、嫌になるほど描かれている。特に、この巻で迎える結末は、この作品における後の人類史で、取り返しのつかない結果を招くことになるのだ。人間の愚かさがその破滅を招くことになるとは、皮肉な話である。以下にそこら辺の話と、あと『天冥の標』シリーズ全体の話をしていきたい。ネタバレを気にしない人は読んでくれ。ネタバレエリアの後に『天冥の標』推薦文を書いたので、ネタバレを気にする人は飛ばして最後だけ読んでくれ。


【以下重度ネタバレ注意】


『天冥の標Ⅱ 救世群』では、患者たち(彼らは後に「救世群」を名乗る)は、世界中で排除され、疎外され、リソースを食いつぶすだけの存在として疎まれ、そして常に感染のリスクを振りまく存在として憎まれる。そしてその果てには、世界中から集められた患者群は、南米コロンビア沖の無人島を与えられ、そこを「自由に開発」するという名目を与えられ、棄てられるのである。主人公児玉圭吾は、これを明らかに敗北と捉えている。

「手に負えないものが現れたときの、おれたちの態度というものが、これで決着したと言ってるんだ。ののしり、石を投げ、荒野へ追い払う……」
「仕方ないじゃない。他にどんな方法があったって言うの?」
「どうとでもできたさ。ここの施設を拡充するとか、千葉でも長野でも、土地のあるところにまとめるとか……そのための技術も金もあるんだ。ただ、おれたちはそれを惜しんだのさ。そして恐れたんだ。臆病だからこうしたんだよ。理解できないから、理解したくないから、理解するのが面倒だから」(pp. 393-394)

これは当時の人類社会としてはある程度仕方のないものではあったが、児玉の言う通り、その背後に彼ら患者たちに対する無関心さや、あるいは負の感情がないとは言えないだろう。これは簡単に割り切れる問題ではなく、こうした厄介な存在を抱えて、社会はどこまでそこにリソースを割くべきかという、自由と平等と哲学の問題であり、また差別の問題でもある。

差別はしばしば合理性の名の下に行われるものだが、それは感染症からの防疫においても起こり得るものだ。日本ではかつて結核患者が差別の対象だった。患者の忌避は、日本的に言えば「穢れ」、「不浄」の観念と容易に結びついてしまい、隔離が物理的なもののみならず、感情的・社会的なもの、すなわち差別になってしまう。実際、後の『天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち』において、当の患者であるキリアン・クルメーロの視点からその「不浄」の観念が語られる。

ここから『天冥の標』シリーズ全体の話になるが、このシリーズは、西暦2015年の日本から、西暦2804年のふたご座ミュー星にまで至る長い長い物語の要所を描くSF大河物語であるが、その中心を貫く芯は、冥王斑患者たちである。彼らは21世紀初頭、社会から徹底的に阻害され、その後も細々と生き続けながら、怨みを溜め続けた。それがとある勢力の助力を受けて弾けた結果、上述の通り人類は破滅的な被害を受け、ほぼ全滅した。お話であるとはいえ、差別からくる「怨み」の底知れない負の力をこの物語は描いている。

「差別はいけません」というお題目が、単なるきれいごとでは済まないのは、社会の歪みがそこに褶曲し、やがては地震のように弾けてしまうからかもしれない。それが、我々が今直面している事態の、最悪のケース……というほどではないかもしれないが。


【ネタバレエリア終了】


『天冥の標』は、冥王斑患者たちをはじめ、あらゆる「異質なものたち」が同居する世界を描いている。彼らは憎み合い、反目し合い、殺し合いもする。それは「多様性」の負の側面だ。それでもこの作品は多様性を否定しない。人間が本質的に同質な存在になれない以上、避けては通れないからだろうか。多様性の重要さが強調される現代でこそ、読まれるべき作品である。めちゃくちゃ面白いので、みんな、読もう。

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