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注釈の種

 注釈の種というものをご存知だろうか。注釈※1.とはこれのことだ。聞いたこともない?なるほど。それでは今日は取るに足らない種の話でもしよう。

※1. 本文の語句や文章をとりあげてその意味を解説すること。また、その解説したもの。注。注解。

 イタリアとスロベニアの国境近く、モレッティ高原(Moretti Plateau)という場所がある。四方を山で囲まれて、秋には小麦のような植物が黄金に輝く美しい小さな高原だ。しかし、ある時までは人の立ち入るような場所ではなかった。注釈の種はそこにあった。

 1872年9月、リチャードという旅人がモレッティ高原に訪れた。リチャードはそこをとても気に入り、その風景の美しさ、澄んだ空気が喉を通る感動を、いつも持ち歩いている日記へと記した。
 次の日、リチャードは異変に気付く。自分が書いた文章に注釈が入っているのだ。誰かに見せる訳でもない日記に注釈を入れるほど間抜けではない。リチャードは通りがかった誰かがやった悪戯だと判断した。
 また次の日、同じような事が起こった。そのまた次の日も。ここまでくると悪戯にしてはあまりに趣味が悪い。
 不気味に思ったリチャードは、その日書いたページをじっと眺めていた。すると、ゆっくり、ゆっくりではあるが、一文字ずつ注釈が書き加えられていくのだ。

 驚いたリチャードは急いで都市まで戻り、研究機関に自分の日記を持ち込んだ。研究機関では、狂人か薬物中毒の妄想だと軽くあしらわれたが、運の良いことに日記はまだ注釈が書き加えられている途中だった。それを見た機関職員の判断により、すぐさま研究が行われる運びとなった。

 そうして注釈の種は全世界に知られることになったのだ。

 「注釈の種」は"種"と呼ばれているが、正確には種ではない。正しくは粘菌※2.の胞子のようなものだ。植物と言うより、キノコやカビなどのそれに近い。

※2.粘菌とは変形菌とも呼ばれる。粘菌は変形体と呼ばれる栄養体が移動しつつ微生物などを摂食する“動物的”性質を持ちながら、小型の子実体を形成し、胞子により繁殖するといった植物的性質を併せ持つ生物である。

 その粘菌は"known cellular slime molds"と名付けられ、一般的には「ノウン」と呼ばれることになった。ノウンの生態に関しては現在に至るまで謎が多い。失礼、謎が多いという表現は些か不適切かもしれない。私達人間は、それが自分達が分類するところの「粘菌」に属する何か、ということ以外何も知らないのである。

 ノウンの吐き出す胞子が文章の存在する紙面に付着すると注釈を形成する事、その注釈が様々な言語に対応していて、そして驚くほど正確な事。
 当然のことだが世界中の科学者はさじを投げた。いや、さじを投げた者が半分。もう半分はさじを持つこともしなかった。説明できるはずなどないのだ。

 一方、ノウンの発見により議論が活発化した分野がある。そう、哲学である。
 "知識"とは何であるのか、という問いに対して様々な議論がなされた。本当に色々と。ノウンは、自らを哲学者と名乗る者に対し触れずにはいられない命題を投げかけたのだ。
 議論は止まることを知らず、現代においても物好きな哲学者達はこの命題に挑戦している。次に引用するのはノウンと知識について語られた物の中で最も有名な一節である。


 "知"はヒトの頭の中に存在するのではない

 ただ空気中に漂っているだけなのだ

 "私が何かを知っている"という状態は、空気中の"知"への道のりを知っていることにすぎない。

 今何を思うか、何を考えるのか、それが知識に基づいて決定されるとするならば

 個人、自我、感情、個性などというものは全くの意味をなさない。


 この説を提唱したアメリカの哲学者ジョージ・ブローティガン※3.はその後、筆を置き、銃口を自らの口の中に刺した。これは私たちの間ではあまりにも有名な話だが、それは当然のことのように思える。

※3.ジョージ・ブローティガン(1823-1882.)はアメリカの哲学者である。著書に「流動的自意識の変遷」「知の終わり」「50歳から始める悠々自適な隠遁生活パート2」などがある。

 さて話をもとに戻そう。
 ノウン、そして注釈の種の能力は科学的に説明できない。しかしその能力が人類にとって有益な事は間違いなかった。Wikipediaなどという物がない時代だ、学者や出版社、文章を書く全ての人にとって注釈の種はなくてはならない物になった。
 それはそうである。適当な文章を書けば注釈の種が補足的な説明を全て行ってくれる。これほど便利なものはそうない。

 それではなぜ現代において注釈の種は使われていないのか。それどころか、注釈の種について聞いた事もないという人も多い。その理由について簡単に説明して、この取るに足らない話を締め括りたいと思う。


 1908年6月、ノウンの活動に変化が見られた。世界中で一斉に。ノウンは自らが行った補足的説明を、更に説明するようになったのだ。説明の説明の説明を説明する、このようなノウンの活動は、紙面からはみ出してなお、止まる事がなかった。
 こうなってしまうと、もはやノウンは便利なものではない。人々はノウンによって書き加えられた注釈を焼き尽くした。一部の例外を除いて。

 1917年8月、数少ない研究機関にて観察されていたノウンが活動を停止した。世界中で一斉に。生物学的に言うのであれば絶滅したのだ。科学者達はこの絶滅に関しても何も説明ができなかった。
 ノウンは活動を停止する72時間前から0と1の配列を注釈に書き続けた。それが何を意味するものだったのかは誰も知らない。

 さて、生物学的な絶滅を迎えたノウンであったが、そうは思わない人達もいた。ジョージ・ブローティガンを師と仰ぐ哲学者達だ。
 「ノウンは知の道のりを網羅したのだ。役割を終えたと言っても良い。あるいは次の知を求めて進化したとも言える。」
 ブローティガン一派は皆口を揃えてそう言った。しかしながら科学的には何の根拠もない学説である。
 またブローティガンの唱えた説を知る者は、彼を師としているにも関わらず、哲学などというものに拘泥している彼等を矛盾した存在だと認識していた。

 これがノウンと注釈の種について、私が知る全てだ。"私が知る"という表現には少し違和感を覚えるのだが、それは良いとしよう。

 さて、話は変わるが、ここに一粒の注釈の種がある。絶滅する前に冷凍保存されたものだ。あの絶滅が意図されたものであるとするならば、この注釈の種もまた、何の活動も行わないだろう。

 注釈の種はペン先に付け、文末のピリオドの部分に植える。あとは勝手に育っていく。これはそういうものだ。


 それでは、今日の話はここまで。※0.


※0. という夢


 
 
 


 
 

 

 


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