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炒飯


結婚して以来、家で炒飯を作るのは俺の仕事だ。

自慢ではないが、そこら辺のラーメン屋で出てくる炒飯と、遜色ない味に仕上がるのが俺の自慢だ。


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具材は同じような大きさに微塵切りし、溶き玉子も作っておく。

愛用の中華鍋を焜炉へとセットし、出力を最大にして点火する。

やがて鍋からは煙が萌え、熱い風となって天を舞う。


普通ならここでサラダオイルか胡麻油が定石だが、ラードを使うのが俺のジャスティスだ。

瞬時に鍋のラードは固体から液体へと、その高温によって形態を遷移させていく。


再び煙が旋風となり始めれば間髪入れず、間髪の代わりにネギを入れて炒める。

ネギからフレグランスな香りが立ってきたら、ラードに風味が移ったというサインだ。


溶き玉子を入れ、素早く半熟の少し前まで攪拌する。

そして、解した冷やメシと具材を玉子と共に炒めたら塩胡椒、鍋肌からも醤油少々。

家庭用の焜炉で無理に鍋を煽る必要はない、温度を下げるだけで御法度だ。

手早くスピーディーなワンダーに炒め、炒飯はコンプリートする。


自慢ではないが炒飯嫌いな息子の友達が、夏休みに家へ来ていたから試しに食わせてみたら、お代わりして俺の分まで食いやがったのは俺の自慢だった。

無論、家族も喜んで食べてくれ好評だった。


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しかし、今日の炒飯を作ったのは珍しくも共働きの妻だ。

綺麗に丸く盛られているのは炒飯を丼に入れて皿を被せ、それを返したからだろう。

教えた裏技を記憶していたらしい。


俺が炒飯をスープと共にテーブルへと運び、妻は子供達を呼ぶ。

一同が集合してレンゲを取り、各自の皿へ次々と手を伸ばし始める。


俺もそれを口に含んだが、米と具材とサラダ油の素朴な味がした。

俺が作る、全ての材料が香ばしく渾然一体となった炒飯とは違う。


しかし、不味くはなかった。

むしろ遙か昔に食べた、懐かしい美味しさがあった。


あの河原で走り回っていた夏休みの昼、お袋が作ってくれた焼き飯の味がした。

朝早くから遅くまで働いていた独り身のお袋が、昼の休憩中に作ってくれた焼き飯の味がした。

作っていたら自分が昼飯を食う時間などなかっただろうに、俺は気付かなくて食べ終えたら友人達と夕方まで遊んでいた。


身体を夏の風が、楽しくも塩辛くなった思い出と共に通り抜けていく気がする。

何かが溢れそうになった俺は、思わず口を開いた。


「俺や店のとは全然違うが、中々美味く出来たんじゃない?」

「誰に向かって何を言ってんだか! ・・・偉っそうに」


俺に釣られて子供達も笑った。


たまには、妻に炒飯を作ってもらうのも良いかもしれないな。

子供達は、風を少しでも感じてくれるだろうか。


食べ終えてテーブルに放置された家族分の食器を重ね、俺は洗い場へと少しセンチメンタルな気分でジャーニーに向かった。



--- fin —-




30数年ぶりに書いた、不慣れな小説の2作目でした。

クリオネさんの名作に倣い、お笑い要素は排除しています。



いつものバカ話だけで「文脈メシ妄想選手権」へ応募するのは気が引けた、という訳ですね。


でも、誰か視点の一人称なら今後も小説を描ける気がしないでもない気がするので、表現方法など、どしどしコメントでダメ出しして下さい。



やっぱ、あんまりダメ出ししないで。


あ、今日は仕事が大変なのでレスポンス悪いです。





押すなよ!絶対に押すなよ!!