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あの時、自分が自分に対し下した判決。そして現在。

お久しぶりです。ろたです。

なんかいつもお久しぶりですから始まってる気がする笑

今回もまぁ毎度の通り自分の考えというか
色々と整理させるために文章化していこうという感じです。

え〜、noteを初めて4年?程が経ち
当時21歳だった私は現在25歳と歳を重ねております。

こんなに生きるとは思ってなかった。

学生時代は20歳でこの世を去ろうと計画立て
最初で最後の親孝行は成人式とし、母親も成人式で着用したお下がり振袖を当日に着た。

早生まれの私は成人式の時19歳。
享年19は流石に語呂が悪いと思って
数週間後に来る20歳の誕生日を待った。

幼少期から自分の存在価値を見いだせず
なぜ生きているかも分からなかった。

身の回り・親から注がれた有難いお世話は過去の記事にしているが、それらが世界の全てだった私は自分の全てを否定されいる気がして、自分を好いてくれる人間なんてこの世にいないとさえ思っていた。

そんな私がなぜ25歳まで生きているのか。
過去記事に書いた、死んだらご飯が食べれなくなる。その理由も大いにある。
けれど、そう思ったのは21歳の頃。

20歳の自分はなぜこの世を去らなかったのか。

20歳になる夜。
毎週月曜日にやっている深夜番組を見て笑ってその後に死のうと思った。
まさしくその日もばかみたいに面白かった。
リビングの照明を全部消してTVの画面だけが明るい部屋でゲラゲラ笑っていたら
2階で寝ていたはずの母親が降りてきた。
「うるせぇよ」と怒鳴りに来たのかと思い身構える。

床に座ってTVを観ていた私に「立って」と母は言い、叩かれると思った私は恐る恐る立ち上がり

「なに…」と呟くと、母親は私を抱きしめた。
一体全体何が起こっているんだ。

TVはついているはずなのに、あまりの突然さに全ての音が聞こえなくなる。

母親の抱きしめる腕が強くなるが
私は母親の背中に腕を回すことはなく
ただただ混乱するだけ。
たった数秒だったかもしれない。混乱した自分からすれば体感は10分くらい経っているように感じた。

再度、私が「なに…?」と問うと
母親がか細い声で言った。

「ごめんね」  

何に対してのごめんねなのかは今でも分からないが、私は今まで全ての事について謝られたのだと感じた。

もしかしたら自分の娘が今日、20歳になったら死ぬつもりだと察していたのかもしれない。

ごめんねと呟いた母親はすぐさま2階の自室へ戻って行った。

私はその場で脱力して泣いた。

今まで親に謝られた事が無い。
なんだ。あの人、謝れるじゃないか。
…でもなんでよりによって今日なんだよ。

身体に巻きついたものが無くなったかのように
スっと謎に身体が軽くなった事を今でも覚えている。

嬉しさか、安堵か、救われか、悔しさか。
私の目から涙が止まらず
TVを観て笑いたいのに泣きながら笑ってるから傍から見たら不審者だし情緒のジェットコースターかって感じ。

朝日が昇り始めた時、自分の世界に色がついたように見えて空がとても眩しかった。

冬の朝。寒いけれど部屋着のまま玄関を開けて外に出て空気を吸った。

こんな日に死ねたらどれだけ良いか。
そうも思ったけれどそれ以上に「執行猶予」という言葉が強く脳内を占めていた。

自分で手をかける、他人に手をかけられる、病気、寿命etc……

どうせ生きていれば死は必ず来る。

現世が地獄のようなものだとして、刑期中だとしたら全ての死を死刑と呼んでも良い。

長年、20歳で刑執行と思って生きてきたけれど自分は自分に「執行猶予」というギリギリの時に判決を出した。

そして気付けば5年が過ぎていて
色々な事を知識として手に入れ、あの頃より息はしやすいし沢山の人に出会って俄然生きやすくなった。

執行猶予期間は10年。
10年毎に判決を自分で下すと決めた。

今は30歳を目標に生きている。あと5年。

30になった私は刑執行と執行猶予、どちらを選ぶのだろう。

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