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いずれ訪れるものへの感情

こんにちは、ろたです。

お元気してますか、私は元気してます。

今日は何かと言われたら「なんだかなぁ」って感じで自分でもうまく昇華出来てない感情についてつらつらダラダラと書いていこうかなと。

さてここでまぁもう本題ですけど
タイトルにあるようにいつか訪れるもの
に対する感情についてです。

人間、いつか訪れると言ったらもうお分かりの通り人の行く末。死ぬということですね。

2年前に祖父が癌にて亡くなりまして
その2年後の今、祖母が危ないという所にありまして、もう看取りの準備が本格始動している感じ。

祖父の時もそうだったし、今もそう。
悲しいとか寂しいとかそんなん無くて
人の行く末ってこんななのか
という感情ばかりが先行してしまって
「なんだかなぁ」なんですよ。

いやぁ人の心どこ置いてきたんですかって感じ。
 
祖父を身内で唯一看取ったのが何故か孫の私だったわけですが、本当にヤバいって時、バタバタと目の前で目まぐるしくしている看護師さん達の雰囲気に圧倒され「お、おう、えっと…私は何をすれば…?」と困惑するだけだった。

息を引き取った後、祖父を担当してくれていた男性看護師さんが病室に残ってくださり親達の到着を待っていたんですが、その間も悲しみに暮れることなく「このモニター、何を意味してるんですか?」とか「何で看護師を目指そうと?」ともうそれはそれは何かのインタビューですか並に質疑応答を祖父の寝ているベットを挟んで行っていたわけです。訳分からんでしょ。

葬儀に関しては前職の知識を活かして全て私がやり取りをして滞りなく大金をはたくことなく無事に終えましたがその時もバタバタと気を張ってまして悲しみに暮れることは無かった。

ね、あんだけ小さい時に遊んでくれた祖父だったのに。顔が広くていつも予定がパンパンにあってあまり家にはいない人だったけど。

それがまぁ2年越しに再来してるわけですよ。
次は祖父の相方の祖母に対して。

病院で点滴に繋がれて呼吸苦しそうにしてて
いやぁこれが人の行く末かぁってまたこの感情。
いずれ自分もこうなるのかと思うと苦しみたくないな〜とかこういう時だけは人間で何で生まれてきたんだろうって思うんだよな〜って思いながら祖母の見舞いに行く。

ほんと人の心どこ置いてきた?(n度目)

葬儀に関してはまじで任せて!ってその前に思う事あるだろ普通。って自分にツッコミを入れたいくらい。

祖父母を見てこれが人間の行く末だと思うとなんだかなぁ。のなんだかなぁ。

なんか、一気に虚しくなる。
どんだけ有名でも無名でも何者でもなくても人間であれば誰でもいずれ訪れるものなのに。

この感情を何度考えても昇華出来なくてずっとモヤモヤしてる。

自分の中で生きたいって思うから思うものなのか
虚しいなとかそう思ってしまうからそう思うものなのか。

ほんと考え方を変えないと。
じゃないとまた私は祖父の時みたく病院から葬儀社に搬送して安置準備が終わるまでの間に駐車場で車のバックドアを開けて座って病院内のコンビニで買ったドーナツかじって星空を見上げて、そして家に帰ってCookDoの青椒肉絲と回鍋肉を無心で作って気付けば全部平らげるんだと思う。

普段こんな量食べきれるわけないのに。
いつからか誰かが亡くなると無性に食欲が湧いて食べすぎてしまう。2人前を2つ完食したって気付いた時本当に驚いて声出して笑った。やばすぎるだろ自分バグってるわって。

祖母の時くらいは普通の人みたく悲しみたい。
祖父の時に涙を流した妹や母親のように。

どうしたらこの「なんだかなぁ」が昇華できるのか。

今日もこの感情を抱えながら悩みます。
何かこの感情の昇華方法があれば教えてください。

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