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自然はオーケストラ。そして、人間は指揮者ではないみたい

日本中は東京オリンピックに夢中なようですが、私はクラシック業界のオリンピックである5年に一度のショパン・コンクール@ポーランド(ワルシャワ)の原石ピアニスト探しにYoutubeを毎日掘っております。

さて、屋久島にお家を作るぞ!と決めてから、一年が過ぎました。本日は、最後の棟となるラウンジの棟上げ。お風呂の棟、寝る棟、きっちんの棟とそれぞれ機能をバラバラに設けて、(大きく作るとその間の木を切ることになるから)出来上がったらデッキでお家同士をつないでいくという、自然と人間の都合の合間を練って建てております。

実は、「SUMU」というプロジェクトとして来年から本質的な取り組みや問いかけをして行きますので、インスタのフォロー(@sumu_yakusima)と公式サイトの動画をご覧になられてみてくださいね。 https://sumu-life.net/ja/

そこに住むことで、自然も人も澄んでいくというコンセプトです。

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屋久島は、山岳信仰。お山に向かって、はじまりの儀式を。お米とお酒と塩で禊をし、ここまで来れたこと、ここにお家を建てて住ませてもらえることへの感謝をお伝えしました。もちろん、みんなが怪我なくハッピーでいられるようにも。

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自然との共生。自然と共に生きる。

そんな言葉が流行っているのか、よく聞きます。聞こえもいいし、どっかの会社のコピーみたいだけど、もう一歩次のステージに思考を進めてみませんか?

確かに、東京にいると、自然VS人間の構図があるのも確か。それは虫VS殺虫剤や土VSコンクリートとかはっきりと分かれているし、分けたい人が多いからね。

でもね、「人間も自然の一部」でしかないのよね。

空を見上げてたくさんの星があると思うんだけど、その星を見ている私たち地球も実は宇宙の中では猛スピードで動いている星の一つ。自然は、全てが調和して循環をしている。簡単にいうと、命あるものが死んだら栄養となりそこからまた命が生まれるよね。人間が二酸化炭素を出したら、葉っぱがそれを吸って酸素をくれる。雨が降ったら、森が吸い込んで、いらない分を川に流して、人間が里でそれを少し汲んで、海に戻したら、それが雲を生んでまた雨が降る無限ループが存在している。

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自然のために〜をする。自然を取り入れる。ではなく、私自身が自然というオーケストラの一部でしかなんだって捉え直せたら、指揮者のように全体をコントロールしようとして奇妙なハーモニーが生まれたり、自然災害が起きることは少なくなっていくでしょう。

オーケストラの一部らしく生きるのは、そこまで難しいことではなくて、食べたいなと思った時に好きなものを食べ、疲れを感じたら眠り、嫌だな〜と思う人とはもう会わないで、好きな場所で楽しいことをして過ごすこと。素直に心地よい方に流されていく感覚は、きっと誰にでもあるはず。

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最近見た映画で、このオーケストラを見せてくれるドキュメンタリーがあり心が動きました。「The biggest little farm」

商売に必要な鶏を殺すので、農家からして見たら天敵とされるコヨーテですら、必要な循環の一部とする。人間はただ観察をすればよいし、調整を少しするだけ。

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単一農業と言われる、一つの作物しか育てないスタイルの農業こそが、地球の自然のバランスを壊していってしまっているそう。指揮者のふりをして、便利さや快適さを求めた結果として引き起こしたこととはいえ、まだこれからでもオーケストラの一部に戻る時間はあります。

まずは、自然体で生きること。

ぼーっとしてください。とにかく、海を見たり、星を見たり、サウナ入ったり、なんでもいいです。ぼーっとしてたら、お腹が空いてるなーとか最近無理していたなーとか体と心の声に気がづくことができますから。

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自然はオーケストラ。

そして、私たちは指揮者ではないですよ。

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