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産む性ではあるけれど

赤ん坊の夢を見る

自分が産んだという設定の時もあれば、よその子の赤ん坊を預かるという設定の時もある。私はおっかなびっくり赤ん坊を抱き上げようとする。何故かその赤ん坊は手のひらに収まるほど小さいが、夢の中の私はそれが奇妙なことだとは気付かない。赤ん坊は泣いたりはせず、やけにおとなしい。この小さい生き物を守らなくてはならないという使命感と、もはや逃れられないという絶望感が胸にあった。

子どもが怖い

子どもが苦手である。どのようにふるまえばいいかわからないからである。相手を大人のように扱うのか。それとも猫なで声で話しかけるのか。迷ったあげく敬語とタメ口の混ざった不自然な台詞を吐くハメになる。近くに子どもがいないせいかもしれないが、子どもは皆、得体がしれない生き物に見える。昔、自分があまり大人を信用していない子どもだったことが関係あるかもしれない。

どうにもならない

子どもを産み育てたいとあまり思わない。テンプレ的な人並みの幸せを目指してみたこともあったが、私自身の望みからはかけ離れていることに気付いた。それなのにそんな夢を見るのは、心の奥底では望んでいるのか。それとも年齢を重ねるにつれて、遺伝子を残すように本能が叫んでいるのだろうか。どちらであっても今更どうにかできるものではないし、どうにかしたいとも思っていない。

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