松島露水

中央アジアやロシアなど旧ソ連圏の鉄道旅行記 日本式中央アジア鉄道時刻表、日本式サハリ…

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中央アジアやロシアなど旧ソ連圏の鉄道旅行記 日本式中央アジア鉄道時刻表、日本式サハリン・シベリア時刻表作ってます https://rail900.booth.pm/

最近の記事

(17/3/13)ブィコフ線(帝国燃料興業内淵鉄道線)

 サハリンの首府、ユジノサハリンスクの北の郊外にソーコル(旧大谷駅)〜ブィコフ(旧内淵駅)間を走るブィコフ線というローカル線がある。  ブィコフ線のルーツは戦時中に樺太人造石油という会社が敷設した鉄道である。人造石油とは、石炭を液化して石油代替燃料を合成する方法で、石油不足に苦しんだ戦前の日本で盛んに研究されており、その中で、内淵川上流にある炭鉱を開発し、人造石油を製造するためにこの鉄道が敷設された。1945年に、樺太人造石油は帝国燃料興業に合併され、鉄道線も帝国燃料興業内

    • (19/4/30)シベリア奥地、ウスチイリムスクの高速トラムシステム

      ※ウスチイリムスクトラムは2022年12月に突然廃止になってしまいました…。この記事はありし日の記録です。  ウスチイリムスク(Усть-Илимск)は、アンガラ川とその支流イリム川の合流地点から20 kmほど北に位置する人口約8万人の都市である。日本でその名を知る人はほとんどいないシベリア奥地の町だが、この町には市街地と工場地帯を結ぶ、高速トラムシステムが存在する。  ウスチイリムスクの歴史は、アンガラ川をせき止めるウスチイリムダムとともに始まった。1963年に建設開始

      • (18/10/12-13)サハリン西海岸黄金ルート ~南樺太一周一泊二日~

         戦前の日本領時代に敷設されたサハリン鉄道は、ソ連〜ロシア統治下においても異色の1067 mm狭軌線ネットワークとして存続してきたが、現在1520 mmへの改軌工事が進められており、2020年までには完了する予定である。そんなサハリン"狭軌"鉄道の最後の日々を記録するため、2018年10月中旬、サハリンへと飛んだ。10月中旬のサハリンは紅葉真っただ中である。 ■ユジノサハリンスク発トマリ行6201列車  今回の旅の最初のランナーは、ユジノサハリンスク発トマリ行の近郊列車、

        • (05/10/22)サマルカンドブルー,レギスタン号

           中央アジア,旧ソ連諸国のひとつであるウズベキスタンに,レギスタン号という列車が走っている. レギスタン号は,2004年に運行を開始したウズベキスタン国鉄が誇る看板列車で,首都タシケントと青の都サマルカンドの間をノンストップで結び,週3往復(2005年当時)している.冷房もついていて,噂では時速200 kmで走るという.  2005年10月22日,このレギスタン号に乗るため,私はサマルカンドの駅に向かった. サマルカンドは,世界文化遺産にも登録されている古都で,古くはソグド

        (17/3/13)ブィコフ線(帝国燃料興業内淵鉄道線)

          (17/3/11)サハリン西海岸線の日本製気動車

           サハリン鉄道では、ソビエト領となったのちも、日本本土と同じ1067mm狭軌のため日本製の気動車が代々使われてきた。1961年に日本からA1気動車が導入されたのち、1985年に富士重工から納入されたのがД2気動車である。当初は中間にキサハを2両挟んだ4両1ユニットで、計10ユニットが輸入された。ソビエト崩壊期には、部品不足からJR中古のキハ58に一時的に活躍を奪われたものの、21世紀に入るころには逆にキハ58を淘汰した。そんなД2気動車も、極寒地での使用で老朽化が進み、201

          (17/3/11)サハリン西海岸線の日本製気動車

          (16/11/05-06)旧樺太東線330km 普通列車の旅

          ※この旅行記は、日本式サハリン時刻表2017に掲載したものです。  大泊港(コルサコフ)から豊原(ユジノサハリンスク)を経て敷香(ポロナイスク)に至る旧樺太東線は、日本統治時代の樺太第一の幹線であったという。急行列車も運転されており、大泊港を朝8時に出発し、敷香には夜19時の到着していた。車窓からは、樺太の雄大な景色を楽しむことができたという。  時代は日本からソビエト、ロシアへと移り変わり、現在では、ユジノサハリンスクから北へ向かう列車は夜行列車が主体となった。普段着の夜

          (16/11/05-06)旧樺太東線330km 普通列車の旅