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(17/3/11)サハリン西海岸線の日本製気動車

 サハリン鉄道では、ソビエト領となったのちも、日本本土と同じ1067mm狭軌のため日本製の気動車が代々使われてきた。1961年に日本からA1気動車が導入されたのち、1985年に富士重工から納入されたのがД2気動車である。当初は中間にキサハを2両挟んだ4両1ユニットで、計10ユニットが輸入された。ソビエト崩壊期には、部品不足からJR中古のキハ58に一時的に活躍を奪われたものの、21世紀に入るころには逆にキハ58を淘汰した。そんなД2気動車も、極寒地での使用で老朽化が進み、2017年現在ではユジノサハリンスク近郊及び西海岸線77km~ホルムスク~トマリ間のみの運用となった(※この旅行後の2018年にはユジノサハリンスク近郊からも撤退した)。さらにサハリン鉄道では大陸規格の1520mmへの改軌工事が進められており、2019年には完成予定だという。改軌されれば、Д2の引退は確実である。この余命少ないД2気動車に乗るため、サハリンへと向かった。

Д2気動車 チェーハフ=サハリンスキー駅にて


 2017年3月11日、朝10時ユジノサハリンスク発のバスでホルムスクへ向かう。車内は空席はほぼ無い。日本が建設した鉄道、南部横断線はナヴァジリヴィンスカヤ(奥鈴谷)を経由していたが、道路はアニワ(留多加)北方を通って大きく迂回している。しかし、道路のルートの方が勾配は緩やかだ。バスは、乾いた路面を100km/hを超えるスピードで爆走する。乗客全員がホルムスクへ向かうわけではなく、途中のバス停でも乗り降りがある。ピャチレチエ(逢坂)を過ぎると峠越えにかかる。旧日本軍とソビエト軍が激戦を戦った旧熊笹峠である。頂上からは間宮海峡が一望でき、ドライブインの一つでも欲しいところだが、バスはそのまま通過してしまう。ガソリンスタンドや倉庫群が現れ、踏切を渡るとホルムスク市街である。ホルムスクバスターミナル11:38着。

ホルムスク行バス


 バスターミナルから南に向かうと、ホルムスク駅に着く。駅舎も何もないのでわかりにくい。昔は小樽駅を模したという駅舎が残っていたらしいが、今は何もない。しかも駅名標には「Холмск-южный(ホルムスク南)」と書いてあり、いったいこの駅の正式名称はホルムスクなのか、ホルムスク南なのかわけがわからない。このまま吹きさらしのホルムスク駅で列車を待つのも辛いので、歩いてホルムスク北駅まで向かう。ホルムスク北駅には駅舎もあり、チケットもここで買える。


ホルムスク駅南方の跨線橋から。赤いのは消防列車。緑色のは日本製旧型客車
ホルムスク(南)駅。栄光の真岡駅も今は待合所?だけ


 ホルムスクから北へは、朝昼晩の一日3便運行である。朝と晩の便は週3回トマリ(泊居)行になるが、その他はすべてチェーハフ(野田)行である。駅舎内には30人前後の客が集まっている。ローカル線の客におばぁさんが多いのは日露共通のようだ。13:24、定刻よりも少し早くチェーハフ行が到着。編成はД2 008-1, 008-2, 008-3の三両編成だ。発車間際にさらに客が集まり、すべてのボックス席が埋まるくらいになった。

ホルムスク北駅に到着したД2気動車
ホルムスク北駅に停車中の除雪車


 13:29発、列車はゆっくりとした速度で海食崖の下を走る。海は100mほど沖で波が砕けており、波蝕台が発達しているようだ。3月のサハリンはまだまだ冬だというのに、遠浅の海に入って何かを採取している人がいる。Д2の窓は雪解けの泥を撥ねて汚れており、写真がうまく写せない。
 13:38 シマコーヴァ(幌泊)着。海岸沿いに廃墟が続く…。
 13:42 73km pk10着。ソ連式アパートが3棟建っている。なぜこんなところにアパートが?というくらい周りには何もない。
 13:48 ミニラーリナヤ(楽磨)着、沖には錆びた座礁船が放置されている。
 13:53 ヤブラシナヤ(蘭泊)着。日本時代には蘭泊町があったが、町の中心はミニラーリナヤ方面へ移動したようである。
 13:58 81km pk6着。ソ連式アパートと、操業しているか不明の工場があり、そのために設置された停留所のようだ。山側に目立つのは女子岳。標高500mを超えるこの辺りでは高い山だ。植生はほとんどなく、白い山肌が目立つ。
 サドーヴニキ(藻白帆)に停車し、14:12 ピアネールィ=サハリンスキエ(羽母舞)着。ホルムスク北~チェーハフ間唯一の交換可能駅だが、交換列車はない。駅の周辺にはダーチャ(ロシア式別荘)風の一軒家が多い。旧小能登呂飛行場(現在も軍用に使用されているようだ)のレーダーがちらりと見え、意外なほど小さい旧列丹川を渡ると、カスタラムスカヤ(小能登呂)である。定刻14:24着。

列車は仁多須原野をゆく


 列車は、仁多須原野と呼ばれた平地を走る。積雪のため、ここが原野なのか耕作地なのかはわからない。102 km停留所から線路は海沿いを行く。海岸には新しい消波ブロックが入っている。
 14:40 クラスノヤルスコエ=サハリンスカヤ(登富津)着。その名の通り美しい村だ。客が2人乗る。海食崖の上から列車を写したら絵になりそうな場所だ。大きめの登富津川を渡る。並行する道路は未舗装である。列車は海岸線を走る。この辺りは2016年に台風の影響で列車の転覆事故が起こった場所だ。

列車転覆事故が起こった付近。現在も護岸工事中

 しばらくすると、進行方向に岬とアパート群が見えてくる。チェーハフ(野田)の町だ。旧野田は、王子製紙の工場もあった町である。14:50終点チェーハフ着。迎えの車や、市内バスに乗って乗客は散っていった。

車窓から見えるチェーハフの町

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