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(19/4/30)シベリア奥地、ウスチイリムスクの高速トラムシステム

※ウスチイリムスクトラムは2022年12月に突然廃止になってしまいました…。この記事はありし日の記録です。

 ウスチイリムスク(Усть-Илимск)は、アンガラ川とその支流イリム川の合流地点から20 kmほど北に位置する人口約8万人の都市である。日本でその名を知る人はほとんどいないシベリア奥地の町だが、この町には市街地と工場地帯を結ぶ、高速トラムシステムが存在する。
 ウスチイリムスクの歴史は、アンガラ川をせき止めるウスチイリムダムとともに始まった。1963年に建設開始された同ダムは、上流のブラーツクダム、イルクーツクダムとともにアンガラ川における一連のダム群を形成している。ダムの建設開始とともに集落が形成され、1973年にウスチイリムスク市が誕生した。市街地には、アンガラ川左岸の旧市街と、右岸の新市街がある。1980年にダムが完成すると、生産した電力を消費するために新市街の北側に、木材工場、製紙工場、火力発電所などが立地する木材産業団地(Лесопромышленный комплекс: ЛПК)が造成された。ウスチイリムスクの高速トラムシステムは、新市街からこの木材産業団地へ労働者を輸送するために建設された。比較的新しい路線で、最初の区間、ディヴャティ ミクラライオンからアグラフィルマ アンガラまでの区間は1988年、その先セヴェルナヤ テーツェまでは1992年に開通した。
 路線は新市街のディヴャティ ミクラライオンからセヴェルナヤ テーツェまでの約14 kmとデポ(車庫)への約1 kmの支線からなる。全線複線、軌間1520 mmの専用軌道で、直流600 Vで電化されている。このような高速トラムシステムは、ロシアでは珍しく、他にはヴォルゴグラード、イジェフスク、スタールィ オスコルにしかない。また、世界で最も厳しい気候を走るトラムシステムの一つであり、厳冬期には気温が-60 ℃まで低下することもある。

路線図
時刻表 (車内掲示をもとに筆者が作成)

 ダイヤは主に全線を走る系統と、新市街からデポまでの区間運転系統がある。平日の朝晩のラッシュ時には2両編成の電車が数多く運転されるが、昼間は単行となり運転本数も減り、土休日は全線を走る電車も極端に少なくなる。デポまでの区間電車は、新市街地と、デポ周辺にあるダーチャ(別荘)を結んでおり、土休日もある程度が運転される。また、デポからセヴェルナヤ テーツェへの入出庫便もいくらか運転されている。ウスチイリム市の人口はピーク時の3/4まで減少しており、この傾向は現在も続いている。トラムの運転本数も、徐々に減少しているようだ。
 車両はすべて、ウスチカタフ車両工場製のКТМ-5МЗ型(71-605型)で、1987年及び90年に製造された。他のロシアの路面電車と同様に片運転台式であるため、終点にはループ線が整備されている。2両編成での運転時には2両目はトレーラーとなる。
 運賃は区間制で、市街地からデポまでとデポから木材産業団地までが40ルーブル、市街地から木材産業団地までが65ルーブルである。
 トラムは木材産業団地の輸送企業イリムレストランス有限責任会社(ооо Илимлестранс)によって運営されてている。 
 
 筆者がウスチイリムスクトラムを訪ねたのは2019年のゴールデンウィークのことである。ウスチイリムスクは、シベリア奥地の隔絶された町であるが、バム鉄道の支線が延びており、イルクーツクから毎日列車が運転されている。

ウスチイリムスク駅


 旧市街には空港もあり、СиЛАという会社がイルクーツクから直行便を飛ばしているが、ウェブサイトを見る限り個人商店的な会社で、オンライン予約もできない。そこで、イルクーツクからウスチクートへ飛び、そこから鉄道を乗り継いで向かった。列車はウスチイリムスクへ23時過ぎに着くダイヤで、しかもウスチイリムスク駅は市街地から離れている。少し心配したが駅前にタクシーが何台か居り、ホテルまで移動できた。タクシー代は300ルーブル。

イルクーツク空港から乗ったアンガラ航空のアントノフ24


 宿泊したのは「ウスチイリム」というホテルで、ソ連時代からのホテルであるがきれいに改修されていた。線路のそばに建っているので、客室からトラムを見ることができる格好の宿だ。しかもブッキングドットコムで予約できる。

ホテル ウスチイリム
ホテルの窓からトラムを撮影できる


 翌朝はみぞれ交じりの雨。9時ごろにホテルを出た。しかし電車の時刻がわからず、停留所にも時刻は貼り出せれていない。走っている電車もなく、もしや廃線か?と不安に思いながら、歩いてディヴャティ ミクラライオンまで行った。そこでしばらく待っていると、北から電車が走って来るのが見えた。ウスチイリムスク市街は丘陵地帯なので、やってくるトラムがよく見える。
 やってきた電車に乗り込むと、車内に時刻表が掲示されていた。前頁の時刻表は、この掲示をもとに筆者が作成したものである。車掌はおらず、運転手に直接運賃を支払う。運賃と引換に小さなチケットが渡される(コピー用紙を切ったもので、いわゆるロール紙の切符ではなかった)。トラムの軌道のレールは太く、専用軌道でもあるので結構なスピードを出す、アプリで計測してみると時速60 kmほどであった。

昼間は単行で運転


 昼間の列車の乗客は数人。途中青色のトラムとすれ違った。ダーチャ停留所で降りて電車を撮影していると先ほどの青色のトラムが折り返してきた。どうやら事業用の車両のようだ。ウスチイリムスクの車両はこの020号を除いて白地に赤帯(この時は色褪せて朱色っぽかったが、その後塗り直された模様)の塗装のようだ。

事業用の020号


 終点の木材産業団地は、工場地帯の真ん中にあり外国人はかなり目立つ。トラムと並行してロシア国鉄の貨物線もあり、貨車がとまっている。夕方になると、電車の運転頻度が高くなり、停留所には工場から通勤客が集まってくる。といっても客の数は座席が埋まる程度だ。雨も上がり、乗客の顔も明るい。今日は4月30日、ロシアは明日からメーデーの連休である。

車内の様子

 終点から少し戻り、国鉄からの引き込み線をオーバーパスするあたりでトラムを撮影。工場の紅白煙突と針葉樹が、この町を象徴しているようだ。

通勤時間帯は2両編成

 2両運転の場合、後ろの車両にはもちろん運転士がいないので運賃を支払うことができない。通勤客は定期券を持っているので、それ以外の客はほとんどいないのだろう。そもそもこのトラムは木材会社の福利厚生みたいなものだから、最初からこれで儲けようなどという気は無いのだろう。
 市街地に戻り、さらにトラムの撮影。運転手は女性が多く、カメラに気づくと手を振ったりポーズを決めてくれる。日本人やカメラが珍しいので、子どもたちが寄ってくる。

車内の掲示 一ヶ月定期券は550ルーブル
製造銘板


左上の二つがウスチイリムスクトラムの切符

 翌朝は、ウスチイリムスクの駅に戻りクラスノヤルスクへ向かった。乗った列車はイルクーツク行き087レなのだが、1両だけクラスノヤルスク行きの客車が付いていて、途中のヴィハレフカ駅で切り離されて、クラスノヤルスク行き347レに連結されるのだ。しかも、347レはヴィハレフカ駅を先発するのに、途中で後発(もともと連結されていた)の087レに抜かされるという複雑な運用でとても興味深い。さらにさらに、347レはタイシェトからクラスノヤルスクの手前のウヤルまで、通常のシベリア鉄道経由ではなく、南を並行する南シベリア鉄道線を経由するのだ!
 この列車についても書きたいのだが、ウスチイリムスクと関係なくなるので今回はとりあえずここまで。

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