見出し画像

「年収」について

ロッシーです。

年収という言葉を本当によく見るようになりました。

動画でもブログでも、いたるところに年収は転がっています。

石を投げれば年収に当たる。そんな状況です。

なぜこんなに年収という言葉が溢れるのだろう?

私は、別に「年収」という言葉が溢れていることに否定的ではありません。

私もお金は大好きですから。

ただ、なんでそんなに「年収」「年収」と年収がとりあげられるのか不思議なのです。

だって、単なる年間の収入ですよ?

それ以上でもそれ以下でもありません。

試しに百回くらい年収、年収、年収・・・と唱えてみてください。年収という言葉の意味がなくなっていくような不思議な気分になりますよ。(ちなみにこれを「ゲシュタルト崩壊」といいます。)

年収が高いほうが良いのか?

年収が高いほうが良いのでしょうか?

以下のようなケースを考えてみましょう。

Aさん: 毎日死に物狂いで働き休む暇なし。年収1000万円。家族と過ごす時間はほとんどない。

Bさん: 毎日定時で帰宅。年収は500万円。毎晩家族と夕食をとる。

ちょっと極端なケースかもしれませんが、みなさんならどちらが良いでしょうか?

私はどちらも嫌です。

Aさんの年収で、Bさんの働き方がいいですね(笑)。

ただ、そんなうまい話はないので、それなりに折り合いをつけてライフワークバランスをとっていますが。

要は何がいいたいのかというと、

「年収というのは単なる数値であり、それをどう解釈するかは人それぞれ」

ということです。

Aさん的なスタイルをよしと解釈する人もいれば、Bさん的なスタイルをよしと解釈する人もいるわけです。

年収が高いから良いとは限りませんし、年収が低いから悪いとも限りません。

そんな単一のモノサシで判断できるほど人生は単純ではありません

会社だったらと考えてみる

会社だったらどうでしょう。

「わが社は年間1兆円の売上高です!」

という会社について、あなたはどう思いますか?

すごい!と思った人は、経営分析の基本のキから学んだほうがよいでしょう。

1兆円の売上高は、一見するとすごいかもしれません。しかし、以下のようなことも考えてみてください。本当にすごいですか?

「他の競合会社の売上高が、平均して30~50兆円だったら?」

「販管費等の費用が膨大にかかるため、毎年の差し引きの利益は赤字だったら?」

「環境破壊の元凶となる企業活動をしていたり、反社会的勢力とのつながりがある企業だったら?」

そう、要するに、1兆円の売上高というのは、単なる数値であり、それ以外の様々な要因を考慮したうえで「解釈」しなければ何の意味もないただの数値なのです。

個人もそれと同じではないでしょうか?

「年収」という数字だけをみても、その人の「ゆたかさ」や「幸せ」は分かりません。

そんな数値でしかない「年収」という言葉が溢れているのはなぜなのでしょうね。

Thank you for reading !

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?