”過去”こそ自分を知るヒントの宝庫


数えきれない転生や記憶などを一旦全て忘れ去り、

小さくて真っ新な肉体という箱に入る。

母のお腹に宿り、そこから出て光を浴びた瞬間、

人間としての学びのジャーニーは始まる。

全てが未知、そして眩しい。

なんとなく、でも絶対的な暖かい温もり(母)だけを頼りに、ただ時間という軸に乗り、存在する。

時間は流れ、自分の中の姿形ないもの(感情)一つ一つにつく名前(言葉)を知る。

伝えられた喜び、通じ合えた喜びにただ嬉しさを感じる。嬉しそうな父や母が目の前に居る。愛おしい、大好き。ただその感情として存在する。

家族こそが今世自分にとっての初めて属するコミュニティであり、人生という学びの旅を進めていく為の基礎設定のようなものであったのだと思う。

自分の意思などそこには存在せず、親や環境、外的な何かが自分をそうさせて居ると勘違いしがちだが、もうこの時点で、無意識、潜在レベル下の自分がある程度意図し生まれて来たこと、希望してきたことが目の前で繰り広げられていく。


起きること全てを本当の自分が、望んでいたのだとしたら?

受け止めたくない?そんなはずない?

そう思いたい自分すらもマルっと受け止め、自分の基礎設定を思い出す所から、本当のジャーニーはスタートしていくのだろう。


今こそスタート地点に経ったことを深く思い知る。

このタイミングでこのような思考を持つ事さえも、本当の自分(気づいていない潜在意識下の自分)が意図し設定している事なのだろうと思う。

時に、内にあるその重要なヒントは、目の前に視覚化、広がる世界となって写し出されることもあるので、目の前の現実を注意深く捉えることも重要。


過去の自分(ロウアーセルフ、インナーチャイルド)こそヒントの宝庫なのだろう。そんな宝庫を大切に大切に、あるがままを受け止める姿勢で。

自分の中の深く無限に広がる海へダイビングをスタートする


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