初めてのミセスコンテスト 自分との約束
出場を決めてから何をしたのか
2017年にミセスコンテストを観覧して、私もこのステージに立つと決めてから、エントリーが始まるまでの半年間。どんな準備をしたかというと、実は何もしませんでした。
高いハイヒールを履くみたいだけど、今まで履いていたのより、ちょっと高いだけ。なんて、ハイヒールウォーキングを簡単に思っていました。
実際には、歩けるけれど、美しく歩くのとは程遠かったわけですが…
そんな私がなぜミセスコンテストに「出なくちゃ」と思ったのかは、以前の投稿にてご覧ください。
そして私は翌年、本当にエントリーをして、書類選考や電話面談などを通過して、出場する事が決まりました。
決まってから、やっと動き出したのです。
レッスンに通う日々の中で
エントリーから、選考を通過したファイナリスト達が集まって練習する、公式レッスンが始まりました。
当時の私は、難病多発性硬化症の後遺症で、腰から下が麻痺している、杖歩行者でした。(麻痺状態は、現在も続いています)
スタジオに着くと、傘立てに杖を入れて、レッスン中は他のファイナリストと同じようにレッスンを受けました。
大会の公式シューズである、14センチのハイヒールでのレッスンです。今思えば、かなりぎこちない歩き方だったことでしょう。
そして、レッスンが終わりると、傘立てから出した杖をついて、電車の優先席に乗って帰る。
そんな無謀で、不思議な日々を過ごしました。
自分との3つの約束
コンテストが終わったら、結果がどうであれ、その後の自分と3つの約束をしました。
1、杖を手放す
そのコンテストは3月に開催されました。北海道は、間もなく雪解けです。
コンテスト当日も、杖をついて会場に行き、帰りも杖歩行でした。
脚の麻痺の症状が消えたわけではありません。
出場を断られると思った時期もありましたが、私が杖歩行者である事を知っていた主催者様は、このことには触れず、他のファイナリストと同じように審査してくださりました。
レッスンに通っているうちに、もう杖に守られる時期は終わりにしよう。普通に生きていいのではないかと思うようになったのです。
コンテストに出場後、雪解けとともに、私は杖を手放すことにしました。
2、ステージに立ち続ける
コンテストに出場すると、主催者様だけでなく、これまでの出場者様、いわゆるOGさんとご縁ができます。
そのOGさんは、ご自身でイベントをされたり、社会に積極的に発信をしていたり、出場経験を発信力に活かされていました。
中には、ドレスショーなどの企画をされている方もいました。
せっかくドレスを持ち、ハイヒールで歩けるようになったのだから、今後もステージに立ち続ける自分でいることにしました。
ステージはコンテストだけではない。ショーだってある。
そして、やりたい事や行きたい会場が見つかれば、自分で作ってもいいのです。
3、チャリティーを行う
私がミセスコンテストに出場した、そもそもの理由は「ミス・ユニバース」になりたかったから。応募基準に満たない私は、ミス・ユニバースになったつもりで生きてきました。
ミス・ユニバースは、任期の期間の中で、慈善活動を多く行っているそうです。
それならば、私のできる範囲で慈善活動を行うことにしました。
最初は災害がなどがあれば義援金を送るなどから始めました。
その後、福祉事業所さんの協力を得て、事業所さんで制作されたパンやお菓子、雑貨などの製品の販売するイベントを開きました。イベントの中で募金も集め、収益の一部と合わせ、赤い羽根共同募金さんに寄付しました。
これらの活動を、コンテストに出場することにより、より発信力を持って広めていくことにしました。
この3つの約束は、今でも守っています。
コンテストで自分の夢を叶える
私の初めての出場したコンテストの結果は、地方代表には選ばれませんでした。
人に評価される審査は、自分だけではどうにもできません。
しかし、出場を機に自分との約束をする事で、自分の夢は叶えることができました。
私はこれからも自分との約束を守り、常に挑戦を続け、成長していきます。
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