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薔薇と血の色


はじめに

薔薇と血

ギリシャ神話のエピソードやキリスト教では、白い薔薇が血によって赤く染められたというイメージが語られている(1)ように薔薇の色は血の色と結びつけられています。

それらの共通点である赤い色や、薔薇の棘が皮膚を傷つけ出血するイメージなどから連想されるのかと思います。
「薔薇」と「血」の組み合わせは、映画(2)や雑誌(3)、小説(4)などの文芸作品で取り上げられており、幻想的・退廃的なイメージを持つものが多い印象です。

薔薇と血の共通点である赤色について、それぞれの物質的基盤や人間による赤色の認識、人間にとっての赤色の意味などをまとめました。


薔薇の赤色

薔薇の花色は、赤紫色のシアニジン(図1)と橙赤色のペラルゴニジン(図2)いう2つの色素の比率や含有率から発現されると考えられています。(5)
これらの色素の組み合わせにより、赤だけでなく、白、黄、オレンジ、ピンクなど多様な色を発現しています。赤い薔薇には主にシアニジンが含まれていることで赤く見えるようです。

図1.シアニジン
出典:NEUROtiker, Public domain, via Wikimedia Commons https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cyanidin.svg
図2.ペラルゴニジン
出典:Pelargonidin.png: Edgar181derivative work: Shakiestone, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pelargonidin.svg

こうした花の色は、花粉媒介者という花粉を運んでくれる鳥や昆虫を引き付けるためにあるとされています。(6)

また、花は花粉媒介者だけでなく、人間によって贈り物にされたり、冠婚葬祭の時に飾られたりと、様々な用途で利用されます。人間は美しさという価値基準を持つことによって、花を美しいと判断し、利用するのかもしれません。

薔薇のように人間を含めた動物の注意を惹くような花が存在するということは、そのような花を付けることがその植物の生存や繁殖に有利であったためと考えられます。


血液の赤色

一方、血液の赤色は、赤血球に含まれるヘモグロビン(haemoglobin)(図3)というタンパク質に由来します。ヘモグロビンは、体内で酸素を運搬する役割を担っている呼吸色素(respiratory pigment)というタンパク質の一種です。

ヘモグロビンにはヘムという鉄原子(Fe)を含む部位があります。この鉄原子に酸素が結合すると吸収する光の波長が変化するため、赤く見えるようになります。(7)

図3.ヘモグロビン
出典: Viki.hola, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hemoglobin.png

私たち人間を含む多くの脊椎動物はヘモグロビンにより酸素を運搬しますが、ヘモグロビンではない呼吸色素を用いて酸素を運搬する生物も存在します。

例えば、エビやカニなどの節足動物やイカやタコなどの軟体動物の一部は、ヘモシアニン(haemocyanin)という鉄ではなく銅を含む呼吸色素により酸素を運搬します。銅は酸素と結合すると青くなるため、これらの生物の血液は青色です。その他、クロロクルオリン(chlorocruorin)という呼吸色素を持つ生物は緑色、ヘムエリスリン(haemerythrin)という呼吸色素を持つ生物は紫色の血液を持つとされます。(7)

以上のように血液が赤いのは、ヘモグロビンと酸素の結びつきによるものであり、酸素を運搬するという機能に関わります。酸素はエネルギー産生に必要な物質ですので、血液の赤色は生存するための機能に由来すると言うこともできます。


赤色の認識

色は光刺激によって生じる感覚の一種(8)とされます。光は電磁波の一種であり波長を持ちます。

この電磁波の波長のうち、およそ400~800nmの範囲の電磁波は人間の目で見ることができるため、可視光線と呼びます。可視光線は、眼の網膜(図4のRETINA)で感受します。(9)

図4.眼球の構造
IRIS:虹彩、MUSCLE:毛様体筋、CORNEA:角膜、AQUEOUS HUMOR:房水、SCLERA:強膜、CHOROID:脈絡膜、RETINA:網膜、VITREOUS HUMOR:硝子体液、BLIND SPOT:盲点、OPTIC NERVE:視神経
出典:Pearson Scott Foresman, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Eye_-_Human_(PSF).png

網膜には、光を受容する細胞(視細胞)があります。視細胞には光を受容するタンパク質(視物質:visual pigment)が含まれ、この視物質を介して視細胞が興奮することで、光刺激が脳に伝わります。

視細胞には桿体細胞と錐体細胞の2種類あり、色を認識するのに関わる細胞は錐体細胞です。錐体細胞は、短い波長を受容するS(ショート)、中程度の波長を受容するM(ミドル)、長い波長を受容するL(ロング)の3種類あります。それぞれ持つ視物質が異なることで受容する波長が異なります。S、M、L錐体はそれぞれ、青、緑、赤錐体と呼ばれることもありますが、それぞれの色の感覚とは直接対応しているわけではないようです。色の感覚は錐体細胞が受ける刺激とその反応だけでなく、その後の神経回路の計算も関わることで発現されると考えられています。(10, 11)

赤色とは、眼の網膜に存在する錐体細胞で受容された光の刺激が神経回路で処理されて脳に伝わることで発生する感覚の一つということになります。


人間にとって赤色の意味

人間にとって赤色はどういった意味を持つのでしょうか。赤色が人間の心理などにどのような影響があるのか多くの研究がされています。例えば、次のような報告があります。

  • 被験者に心理や概念に関するそれぞれの言葉を提示し、それらの言葉を表現するのに適した色を選択してもらったところ、赤色が最も多くの人に選ばれた言葉は「怒り」、「嫉妬」、「愛」であった。(12)

  • 赤色を見ると他の色(青色、灰色)を見る時よりも大腿部のRFD(rate of force development)(単位時間あたりに発揮される力)が低下した。(13)

  • 男性被験者に対して、赤い背景の女性の写真と白い背景の女性の写真を提示し、魅力度を評価してもらう等の複数の実験を通して、男性は赤い色のある女性を他の色がある時よりも魅力的に感じることが示された。(14)

以上のように赤色が人間に与える影響は様々ありますが、それは性差や文脈によって異なると考えられています。(15)
いずれにしても赤色は人間の生理機能や判断に対して何等かの変化を与える色であるということから、人間にとって特別な色であると考えられます。


まとめ

薔薇と血は、赤色という共通点や神話などのエピソードから結びつけられることが多く、その組み合わせは、どちらかというと退廃的なイメージを想起させます。
共通点である赤色は、生存や繁殖に必要な機能を果たす中で獲得した物質が、人間の視覚には同じ赤色として認識されているということになります。
薔薇と血の赤色は、物質(客体)としてはその色に意味があるわけではありません。しかし、認識する人間(主体)の方では赤色は文脈に応じて生理学的・心理学的な影響を及ぼされるように、何等かの意味づけが行われていると考えられます。
薔薇と血は赤色に見えることで、人間にとって何か特別な意味をもたらす可能性があるものかもしれません。


参考文献

(1) 池上英洋. 花園に咲く薔薇の香り-園芸の図像学(1)-. 園芸文化. 2006, no. 3, p. 7–16.

(2) Et mourir de plaisir / Blood and Roses. 1960. https://www.imdb.com/title/tt0053802/.

(3) 血と薔薇. 東京, 天声出版, 1968. https://cir.nii.ac.jp/crid/1130000793637175296.

(4) 血と薔薇のエクスタシー:吸血鬼小説傑作集. 東京, 幻想文学出版局, 1990. https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA74469504.

(5) 斎藤規夫, 川畑優子, 鈴木省三, 平林浩. バラ花色の定量的な分析と花色との関係. 千葉大学園芸学部学術報告. 1979, vol. 26, p. 1–8.

(6) 中山真義. “3. 花の色、かたち、香りを科学する:花の色や模様とその役割”. 花の不思議にせまる. 農研機構, 2008, p. 14. https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/files/publication_fushigi.pdf.

(7) Brunning, Andy. “The Chemistry of The Colours of Blood”. Compound Interest. https://www.compoundchem.com/2014/10/28/coloursofblood/, (参照 2024-01-21).

(8) 児玉晃. 色を見るしくみ. 実務表面技術. 1979, vol. 26, no. 2, p. 60–64.

(9) 東邦大学. “可視光線(visible light)”. 高校生のための科学用語集:化学用語. https://www.toho-u.ac.jp/sci/biomol/glossary/chem/visible_light.html.

(10) 今元泰. 視細胞の光受容メカニズム. 生物物理. 2015, vol. 55, no. 6, p. 299–304.

(11) 鯉田孝和. なぜ赤・緑・青錐体ではなくてL, M, S錐体と呼ぶの?. VISION. 2020, vol. 32, no. 4, p. 123–125.

(12) 大山正, 田中靖政, 芳賀純. 日米学生における色彩感情と色彩象徴. 心理学研究. 1963, vol. 34, no. 3, p. 109–121.

(13) Payen, Vincent, Elliot, Andrew J., Coombes, Stephen A., Chalabaev, Aïna, Brisswalter, Jeanick, Cury, François. Viewing red prior to a strength test inhibits motor output. Neuroscience Letters. 2011, vol. 495, no. 1, p. 44–48.

(14) Elliot, Andrew J., Niesta, Daniela. Romantic red: Red enhances men’s attraction to women. Journal of Personality and Social Psychology. 2008, vol. 95, no. 5, p. 1150–1164.

(15) 柴崎全弘. ヒトはなぜ赤に反応するのか?:赤色の機能に関する進化心理学的研究. 名古屋学院大学論集 社会科学篇. 2017, vol. 54, no. 1, p. 81–96.

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