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さようなら、ラジオ。

およそ10年勤めたラジオ番組の制作会社をやめた。
私は、自分が勤めていた放送局を聞くことができない。
毎日毎日、仕事をしながら聞いた時報やアナウンサーが読むコールサイン、耳になじんだパーソナリティーの声、番組SS… 
今も耳にすると、悔しさや悲しみが押し寄せて、吐き気がする。

やめたきっかけは、上司からのセクハラだった。
会社役員へセクハラの事実を訴えたあと、会社と協議に入った。
そのとき受けた、パワハラ、モラハラ。
信頼していた人からのセカンドレイプ。
全てに耐えられなかった。

できるところまでやろうと思った。
負けん気が強く、欲深かった私は、今まで築いてきた経験や時間を無駄にしたくなくて、新しい仕事にもチャレンジした。
気がついたら、小さなコーナーのディレクターをし、レポートも任されるようになった。とても楽しかったし社会的意義も感じていた。

でも、いつも喉の奥で悲鳴を上げていた。
会社との解決の見えないやりとり。増えていくタスク。
寝ていても、夢の中で怒り、泣き、叫びながら目が覚めた。
友人は、そんな私をみて「何かがおかしい。」と言った。

私は鬱になった。
泣きながらメトロに乗って、乗り換えの駅で何度も地下鉄に飛び込もうと思った。
寝ても覚めても、自分の身におきている事の意味がわからなかった。
好きだったラジオが、どんどん嫌いになっていった。

ニュースには、セクハラ・パワハラ・レイプのオンパレード。
事件の被害者は、女性。
言い訳をする男性の加害者。
社会的制裁を受けた加害者を擁護する声。
被害者を非難する声。
#Metooで連帯する人たちの姿
仕事で速報ニュースを取り扱うたび、自分のことと重なって見えて、私は新聞記事をコピーしながら泣いていた。
限界だった。

私は死ねなかった。
だから、逃げた。逃げて、今も生きている。
その放送局も担当していた番組も、まだ続いている。
家族がその放送局を聞いていて、私が関わっていた番組や、そこで働いていた過去の私を誇りに思ってくれている。
でも、私には受け入れることができない。私が捨ててしまった様々なことへ、向き合うことができていない。
お世話になった先輩へ、まともな挨拶も謝罪も感謝も伝えることができず、仕事をやめざる終えなかった。
会社は、私を追い出すように退社させた。
聞けば、見えてくる職場の光景、当時の思い出。身体が固まって、緊張で喉がしまる。

たまに連絡を取り合う先輩の担当番組は、radikoで聞くこともある。
今も大好きだと思う。それも辛い。
生活の時計としてのラジオの役割は終わってしまった。
情報としてのラジオ、エンタメとしてのラジオ、コミュニティーとしてのラジオ…
離れていても、見えない電波で繋がっていた全てのこと。私が好きだったラジオは全て、私の中から消えていったと気がついた。
さようなら、ラジオ。

これは、私の回復の記憶と、日々の事をかくnote。




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