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痛みを伴う声を上げる人へ。

個人的な事、特に過去の経験やそれによって出来たトラウマを話すとき、
私たちは少なからずその行為において傷ついている。

私は今、完璧に回復したか?
残念ながら、答えはNOだ。
今も同じような場面になると動揺するし、ラジオ番組の制作をやめようと思った1つの原因の聴覚過敏は、今もストレスがかかると感じる。
加害者に体を触られた時のおぞましい感触は脳にこびりついて離れない。
もしかしたら、一生そのことと戦っていくかもしれない。

ハラスメントのことを話す時、私は毎回、“痛み”を感じてきた。
初めの頃、とても勇気が必要だった。
もしかしたら、感情に任せて話してしまった事もあるかもしれない。
口から言葉が出る瞬間に腹を括っていても、
相手に伝えたい思いや、頭を駆け巡るイメージによって、過去の記憶を追体験してしまうのだと私は思う。

会社との協議の間、担当部署の上司に自分の被害を何度も話した。
理解してくれる仲間が欲しくて、同僚や友人にも話した。
回数が重なるうちに、私は何も感じることができなくなっていった。
でも、毎回、胸の奥がズキズキと痛むのだ。
何度も、何度も、同じセクハラを繰り返しされているような感覚に陥って、どんどん疲弊していく。
声を上げることは、勇気も精神力も体力も必要なことだったのに、私は自分自身のケアを上手くできないまま解決に向けて猛進してしまった。
結果、鬱になって体を壊したので、そのやり方は間違っていた。と、反省している。

新宿アルタ前で行われた#Metoo のデモや、東京駅前の#フラワーデモ に足を運んだ時、声を上げる人たちを見つめながら、追体験するような感覚になって私は嗚咽を上げながら話を聞いていた。
周りを見渡せば同じように泣いている人、加害者や社会に向けて怒っている人、目を瞑って静かに耐えるように聞いている人。様々だった。
話す人も、聞く人も、同じ“痛み”を共有しているんだと感じた。

感じる“痛み”をないがしろにしないでほしい。
もちろん、話す人も、聞く人も。
声を上げることは他人には計り知れないくらい、勇気やエネルギーのいることだ。
ポジティブな反応に触れられることもあるが、同時に深く後悔することもある。
自分の心と体を守るためにも、その時その時消費したエネルギーを補うためのセルフケアも考えてほしい。

人は、何かに夢中になると、自分の事をないがしろにしてしまうこともある。
特に被害を受けた人は、その時点で十分過ぎるほど頑張っているのだから。
あなたが今生きている事は素晴らしい事。
些細なことでも、頑張っていることを褒めてほしい。
少しでも休んでほしい。
自分のために時間を使って、大事にしてほしい。

私は、声を上げる人へ、大きなハグを送りたいと思う。




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