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言葉を新しく獲得していく〜『言葉を失ったあとで』

◆信田さよ子、上間陽子著『言葉を失ったあとで』
出版社:筑摩書房
発売時期:2021年11月

臨床心理士として、アディクションやDVの問題と向き合ってきた信田さよ子。沖縄で若い女性の調査を続ける教育学者の上間陽子。現場と対峙する二人が語り合う。二人の対話に説得力を感じるのは、いずれも話が具体的で事実や実践の裏付けがあるからでしょう。

開巻早々に語られる信田のエピソードが象徴的。「中立的になろうとして聞いたとき、目の前に座っているひとの口調が明らかに変わった」というのです。

 ……私のポジショナリティ・位置取りの変化は、相手にすぐわかったんですね。それまで自分の言うことを信じて聞いてもらっていた、味方だと思っていたのに、変わってしまった。唯一の味方だと信じたのに、裏切られたと思ったのでしょう。
 この経験は、カウンセラーであることの基本は位置取りにあると気づかせるものでした。中立とか客観というものが、加害者寄りになってしまうんだと実感した最初でしたね。(p18〜19)

それと直接の関連はありませんが、たとえば性犯罪者の処遇プログラムでは再犯防止一点に絞られているらしい。かつては「被害者共感」という言葉がありました。「自分が犯した性犯罪が、被害者にどんな影響を与えて、精神的にどんな打撃を与えたのかを知らせる」のです。

しかし信田によれば、二一世紀になって、被害者共感を強調することが必ずしも再犯率の低下と関連しないことがはっきりしてきたといいます。上間はそれを受けて「性加害に、自分の力を確かめてしまうような作用があるからなんですかね?」と問い、信田は「被害者におけるトラウマの深度が加害者のパワーになっていく」作用のあることを明言しています。このあたりの認識は、私たち素人の漠然とした思いとは異なるように思われますが、それこそが専門家の話を聞くことの醍醐味というべきなのでしょう。

もうひとつ興味深く思われるのは、アルコール依存症に関する議論です。一般にアルコール依存症の場合、精神科医の役割は少ないと言われています。依存症とは「身体の病でもなく、精神の病でもなく、関係の病」であるからです。
社会学者の野口裕二を引きながら、信田は「アルコール依存症者とは、近代的自我の限界をいちはやく露呈した人たち」だと指摘します。「がんばれば先があるとか、自分で自分の意志をコントロールすれば成長できる」という近代的な神話が通用しない世界。
これは哲学者の國分功一郎の『中動態の世界』でも提起された問題ですが、それよりもはやく経験的にそのことを認識している人たちがいたのです。

上間の単著はまだ読んだことはありませんが、彼女の「質問力」が信田からさらなる興味深い話を引き出すのに大きな力となっています。むろん上間は単なる聞き手ではありません。沖縄でもっぱら女性の声に耳を傾けてきた彼女の問題意識は、いわば複層的な差別の現場から生み出されてきたものに違いないでしょう。「語りだそうとする人がいて、それを聞こうとするひとがいる場所は、やっぱり希望なのだと私は思う」と上間はあとがきに記しています。

近頃は対談本がやたら増えましたが、これほど内容の濃い対談集は滅多にないと言っておきましょう。

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