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話題の論客がテレビ文化を熱く語る〜『芸能人寛容論』

◆武田砂鉄著『芸能人寛容論 テレビの中のわだかまり』
出版社:青弓社
発売時期:2016年8月

『紋切型社会』で話題を集めた武田砂鉄の第二作目。論評の対象となっているのはタイトルに謳われているように主に芸能人ですが、テレビにも露出するトマ・ピケティのような学者や織田信成のようなスポーツ選手もふくまれています。

与沢翼の転落を座高測定の廃止と絡み合わせて考察するかと思えば、前園真聖を阿川佐和子と並べて論じたり。中山秀征は成果主義が日本の形態に似合わないことを教えてくれる存在だといい、ネプチューン名倉潤を終電まで語り尽くす必要があると熱く語ります。騒動前のベッキーについて論じた一文は的を外した感はあるけれど、それもご愛嬌。

テレビをとおして浮上してくる種々雑多な問題をねちっこく斬ってさばいていく手際は相変わらず達者な感じですが、題材としては一般のインテリ言論人なら無視するようなものを扱っているので、その熱さとテンションは一種異様といいたくなるほど。とにかく語っている内容よりも語り口に話芸の妙が脈打っております。

夏目三久アナを論評するのに、他のアナウンサーの書いた本──『半熟アナ』(狩野恵里)、『聞く笑う、ツナグ。』(高島彩)、『ことたま』(馬場典子)、『アナウンサーの日本語論』(松平定知)──などを参照する、その労力にも頭がさがります。

ナンシー関のエピゴーネンという評もあるようですが、あいにく私はナンシー関をきちんと読んだことがありません。著者本人の分析によれば「ナンシー関の鋭利や瞬発」に対して、自分は「迂回に迂回を重ねていく手法」ということらしいのですが。武田の論調や文体は好悪を分かつかもしれないけれど、私には愉しい本であったといっておきましょう。


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